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韓半島の文明化

崔  夢龍(ソウル大学人文大学)


Civilization of Korean Peninsula

Mong-Lyong CHOI
Dept. of Archaeology & Art History, Seoul National University, KOREA



Abstract
   A city, civilization, and state simultaneously appear in the world history and their foundation lies in food-producing subsistence. New archaeology since 1960s defines culture as the means of adaptation to environments, and civilization is characterized by the presence of city and writing system. A state may be explained by power, economy, and ideology.
   The beginning of iron age at BC 300 marks the civilization in the Korean Peninsulan. The state of Wiman Choson (BC 194〜108) had established around this time. Historical documents indicate several factors characterizing civilization, such as, the use of Chinese writing system, the distribution of coinage, the presence of military, in the Wiman Choson.
   Current state of research however demonstrates there is a gap between historical indications and archaeological evidence. None of the issues above is attested archaeologically, and therefore, the state formation in the Korea peninsula is difficult to address substantively.
   Political trends in neighboring China must have a great impact on the state formation in the Korean peninsula. Cultural and political relationship with China was strengthened when the emperor Wu in the Early Han dynasty had founded Nangnang-gun in BC 108. The introduction of Buddhism in later time period further promoted a profound relationship between China and the Korea peninsula.

 都市、文明、国家はほとんど同時に現れ発展する。これらに関する研究は、1960年代以後の欧米学界におけるニューアーケオロジー(New Archaeology)で、レズリー・ホワイトとジュリアン・スチュワードの新進化論(neo-evolutionary approach; a systems view of culture)と体系理論(system theory)を背景に大いに進展した。これらの研究の主題は農耕の起源と文明の発生にある。このような視点は生態学的な接近法で得られた自然全体観(holistic view)としての物理的環境(physical environment)と、生物相(biota; fauna, flora)と文化(culture)が相互適応する生態系(ecosystem)からなる。
 文化は人間が環境に適応した結果うまれたものである。文化が量的・質的な変化をおこすと、都市と文字が現れて文明になる。それに武力を合法的に使用する中央集権体制が揃い、力・武力(power)、経済(economy)と理念(ideology)が共に現れると国家の出現を意味する。したがって都市、文明と国家はほとんど同時に現れるとみる。文化が環境に適応した結果、文明はスメル(Sumer)からインカ(Inca)に至るまで時空を超越して出現し、文明の発生はアジアから南米にいたる全世界おいて、紀元前3,100年から紀元後1,325年まで約4,500年間にわたっておこっている。
 韓国の場合、考古学的には鉄器時代前期(紀元前300−1年:従来の初期鉄器時代)に文明化が始まる。これは衛満朝鮮(紀元前194−108年)の成立と同時である。もちろん文明の必要充分条件である都市と文字は考古学的に確認されてない。しかし文字は、衛満の出自が中国の燕であることから、衛満朝鮮では韓国固有の言語とあわせて漢字を使用した可能性が高い。また衛満朝鮮に関する記録が中国側の漢書と史記には具体的に出ているし、当時交易に使われた国際的な貨幣である燕の明刀銭が衛満朝鮮の領域からたくさん出土することから推測できる。これらを通じて当時の貿易路も推測することができる。
 衛満朝鮮は衛満―?−右渠―太子の長の4代87年間存続した国家でありながら、最後に右渠と彼の息子である太子の長が、前漢の武帝に派遣した楊僕と苟●の陸海軍55,000名の遠征軍に対抗する記事が、司馬遷の史記、朝鮮伝には具体的に記されている。ここでの難攻不落の都邑地、兼王城が現在の平壌近所の王剣城と推定される。したがって衛満朝鮮は漢書と史記の記録を根拠に文字を用い、武力を合法的に使用した中央集権(官僚)体制が確立された完璧な国家と言っても過言ではなかろう。朝鮮相、路人とともに韓陰、大臣成己、将軍、王■、尼谿相の参と裨王の長などはこれらにあたる中央官僚達である。それとあわせて朝鮮相の路人と彼の息子最の登場は、この社会で身分の世襲が行われていたことを示している。
 燕国の衛満は、王・虜綰の部下として燕王が漢に叛して匈奴にはいると、頭にちょんまげをして朝鮮族の服を着て(椎結蛮夷服)、▲水を通り以前の秦の空地の上下障に泊まりながら、燕と斎から亡命した人びとを集め王になり、王■に首道を設けた。その後、前漢の恵帝の時、遼東太守になって力を蓄えた後、箕氏朝鮮の最後の王である準王を追い払い衛満朝鮮を建国した。
 一方、三国志東夷伝韓条には衛満が博士の職をもらい朝鮮の西側に邊方を守るように委任されたが、戦国の乱を避け逃亡してきた人びとを集め、むしろ準王を追い出し国を立てたと伝える。これは韓国の歴史上最初の武力政変(coop d‘e−tat)であった。そして衛満朝鮮ははじめから武力を基盤とする征服国家であった。彼は力を利用して◆や弁辰の朝貢路を遮断し莫大な利益を上げることができたが、これが前漢武帝の遠征軍を招く原因になる。衛満朝鮮が征服国家であることは後漢書の東夷伝◆伝に、元朔元年(紀元前128年)「◆君南閭が右渠を裏切り28万名をつれて遼東に行った」とあることや、三国志東夷伝漢条に「朝鮮相暦谿卿が右渠を裏切って2千戸あまりの百姓をつれて辰国に亡命した」という記事があることから、これを立証すると考える。
 韓国における国家の発生とそれにともなう文明化過程についての研究は容易ではない。何故ならば、いまだに考古学と古代史研究の成果が一致してないからである。不幸にも該当地域に関する考古学的な発掘が行われていないため、その正確な内容が明らかにされていないのである。不幸中の幸いは隣の中国側の文献記録により、その歴史的な事実を具体的に知ることができるという点である。このような場合、衛満朝鮮が韓国における最初の国家と文明の発生に関する研究上、重要な位置を占めているのである。
 衛満朝鮮が属する時期は韓国考古学編年上、鉄器時代前期にあたる。したがって韓国における国家と文明の始まりは鉄器時代前期に起こるのである。衛満朝鮮の基盤は武力と戦争による征服国家であった。この時期は韓国における歴史の始まりでありながら歴史考古学研究の出発点でもある。その当時の考古学的な情況は中国側との関係によって文明化の道にはいる、いわゆる第二次的な文明と国家(a secondary civilization & state)ということができよう。これは紀元前108年、前漢の武帝が立てた漢四郡の中の一つである楽浪を通じて中国の鉄器、土壙墓、漢字、そして後日、仏教まで流入することになりさらに加速化されることになる。