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yugui | Wikipedia-jaが失敗プロジェクトだというのは私の平生からの主張でもあって、全面的に賛成するんだ。ただ、何で失敗したかについては一言言いたい。1つにはプロの法律家の参加が少なかったこと、もう1つには日本の著作権法にはフェアユースがなかったから。 | 2009/10/28 14:36:25 |
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yugui | フェアユースの論理が許されない著作権法のもとで、「害も悪意もないから良いでしょ?」が通じないので初期のWikipedia-jaはプロジェクトを守るために転載は勿論のこと引用についても厳格であらざるを得なかった。これは著作権的にルーズな記述のパージを招いた。 | 2009/10/28 14:39:23 |
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yugui | こうして、文学やメディア作品について言及しながら引用も許されないような歪が生まれた。著作権への厳格な対処は、著作権には詳しくないが特定分野について専門家である人々の居心地を悪くした。残ったのは作品の設定を羅列する記事、機械のspecを記述する記事だけだった。 | 2009/10/28 14:41:47 |
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yugui | 他の著作物を引用して論評/論を構成することができなければ文化は生まれないこと、フェアユースを認めずに著作権者に無害な利用をも禁止するのは文化を阻害すること。wikipedia-jaはこれを実証する壮大な実験であった。 | 2009/10/28 14:46:17 |
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yugui | 私が参加したころ、wikipedia-jaはまだ登録ユーザーが3桁前半で一日の更新が50未満だった。その気になればその日の更新を全て確認することができた。「ガイドブック」を書いたりもした。GFDLと日本著作権法の乖離から生じるリスクを避けようとするうちに少しずつ官僚化していった。 | 2009/10/28 14:51:22 |
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yugui | wikipedia-ja最初のユーザーブロックは長い討論の末に行われた。1週間か2週間。そのユーザーへの最後通告をしたのは私だった。しかし、なおも記事の破壊を続け、それへの異論には答える気配を見せなかった。そしてブロックというものが始まった。 | 2009/10/28 14:55:40 |
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