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幻の甲子園に57年ぶり光、元南海・宅和さんらに功労賞今月末で閉校となる門司区丸山、県立門司高(谷口孝文校長)で3日、卒業式と閉校式が行われた。併設されている継承校、門司学園高の在校生らが見守る中、最後の「門高生」195人が巣立ち、85年の歴史に幕を下ろした。 ◇ 閉校式後の懇親会では、学校側のミスで出場辞退したため「幻の甲子園出場」となった1952年当時の野球部員に、学校側からおわびの気持ちを込めた「功労賞」が贈られた。 門司東高の校名だった当時、野球部は選抜高校野球大会への初出場を決めた。ところが、学校側が部員の学年末試験を免除し、練習合宿させていたことが発覚。部員の体調を考慮しての措置だったが、問題視され、出場辞退に追い込まれた。 栄光の歴史を埋もれた過去にしてしまったことに対して、谷口校長が「閉校する前に、唯一甲子園への出場権を獲得した部員たちの努力と栄誉をたたえ、きちんとおわびしよう」と発案。部員13人の消息を調べ、連絡が取れた5人を招いた。 5人(1人は代理)は順番にステージに上がり、谷口校長から記念の盾を受け取った。同窓生ら約310人からは大きな拍手が送られ、野球部の後輩らから握手を求められる場面もあった。 当時1年生の主戦で、卒業後はプロ野球・南海ホークスで1、2年目に最多勝に輝いた宅和本司さん(73)(大阪市)は「当時は本当に悔しかった。プロでも甲子園経験があるかないかで待遇は全く違った。でもそれが『何くそっ』と奮起する原動力になった」と振り返る。「この盾は高校3年間の努力の証し。良い思い出になった」と話していた。 好打の一塁手だった白野克己さん(74)(門司区旧門司)は体調不良で、妻の久美子さん(67)が代理出席。克己さんは長年複雑な心境を抱えていたという。久美子さんは「この盾を見せればきっと夫の心も安らぐでしょう」とほほ笑んでいた。 (2009年3月4日 読売新聞)
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