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高校野球!!

【第91回全国高校野球選手権埼玉大会】

川越初雁サヨナラ

2009年07月12日

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サヨナラ勝ちで喜ぶ川越初雁の選手たち。捕手村瀬=朝霞市営

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「がんばれ先輩」と声援を送る、行田市の中央ボーイズ=上尾市民

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7回表、深谷一の飯田(左端)と柳(左から2人目)の連続安打で無死一、二塁となり、本庄一の内野陣がマウンドに集まった=熊谷公園

 第91回全国高校野球選手権埼玉大会は11日、県内11球場で24試合があった。滑川総合の平賀諒選手が大会第1号の本塁打を放ったのをはじめ、計4本の本塁打が飛び出した。昨夏の北埼玉大会で優勝した本庄一は深谷一を下し、唯一の合同チームである寄居城北・川本は、初出場の山村学園を破り、2回戦に進んだ。12日も11球場で、25試合がある。

◎ピンチチャンス
◇9回裏2死満塁 直球狙いピタリ 川越初雁・東福寺選手

 「外角攻めを続けるだろう。土壇場だから、エースは直球で勝負する」。9回裏2死満塁で、川越初雁の4番打者の東福寺進吾選手(2年)は、狙った外角直球を右翼線へはじき返した。殊勲の適時打で、サヨナラの走者を迎え入れた。

 9回2死二、三塁で、敬遠を見越した3番打者の松坂賢選手(3年)から「お前が決めろ」と言われ、気合が入った。生まれて初めてのサヨナラ安打で、「気持ちが良かった」と笑った。

 春から中軸になったが、不調にあえいだ時期も。だが、宮内誠弘監督から「無欲で積極的に振る打者だから」と4番を任され、期待に応えた。

 3年生は4人だけ。大室龍希投手(2年)が完投するなど、先輩に激励されながら後輩が育ってきた。「力をつけてきた。これからのチームです」と、宮内監督はうなずいていた。

 浦和は橋本隆広遊撃手(3年)と岸波快明二塁手(同)が5回までに計3併殺を決め、終盤には2人の好打などで同点とした。しかし、川越初雁の無失策の堅守に追加点を阻まれた。=朝霞市営

◇迷わず頭から1点もぎとる 狭山ケ丘・菅原主将

 「主将として流れをつくりたかった」。だから、迷わず頭から行った。狭山ケ丘の菅原鷹人主将(3年)が8回表、2度のヘッドスライディングで得点ボードに最後の夏で唯一の「1」をともした。

 先頭で打席に入ると、「最初からセーフティバントで頭から行こう」との言葉通り、相手投手前に打球を転がし、頭から突っ込み、一塁上でガッツポーズ。その後、後続の犠打と適時打で再び、頭から本塁へ突っ込んだ。

 「自分たちの代は色々あったので」。昨夏に主将になった後、同級生が10人退部。チームはバラバラになり苦しんだ。それでも残った3年生7人が互いに支え合い、ここまで来た。「1点とっても勝たないと意味がない。悔いが残る」。試合後、悔しさをぐっとこらえながら顔を上げた。=市営大宮

◇未来の高校球児「先輩に続くぞ」 本庄東の応援席

 「先輩がんばって」。本庄東の応援席ではブラスバンドの音に合わせて、未来の高校球児が声援を送った。ユニホーム姿の子たちは、行田市にある軟式野球チームの「中央ボーイズ」の小学5、6年生11人だ。本庄東の二塁手、新井康平選手(3年)が、同チームの卒業生とあって応援にかけつけた。

 小学6年の大西圭君(12)と堀礼文君(同)の将来の夢はプロ野球選手。「でも、その前に、甲子園にも出てみたい」。12日は自分たちの夏季大会準々決勝。「明日勝ったら、『行田の甲子園』でプレーできるんだよ」と笑顔で話した。=上尾市民

◇故障乗り越え133球 庄和・篠原投手

 6回まで133球。「思い切って腕を振れた」。庄和のエース篠原久幸選手(3年)はマウンドの上で、投げられる喜びをかみしめていた。

 昨秋、得意の直球は最速133キロをマークし、新チームの背番号「1」をつかむ。だが、冬に入って、右のひじと肩に違和感を感じ、投げたくても投げられない日々が続いた。6月後半、ようやく練習試合で1イニング程度投げられるようになったが、背番号は「3」。「1」は成長著しい同級生の渡辺陽介選手(3年)に託された。

 「まだ完全に治っていない」と篠原選手。でも、試合前、渡辺選手から「頑張れ。後ろにはオレがいる」と背中を押されて力がわいた。

 試合後、両手で顔を覆って泣きじゃくった。「最初から渡辺に投げて欲しかった」。信頼する仲間を思いやった。
=市営大宮

◇18歳監督の初陣 コールドで白星 立教新座

 今年から立教新座を率いる18歳の城崎智弘監督が、自らの初陣を飾った。昨年の南埼玉大会で準優勝した時のメンバー。この日は朝、進学先の立教大学で英語の試験を受けてから、球場入りしていた。

 7回コールドで勝ったが、走塁や守備のミスを指摘し、「集中力に欠けるプレーがいくつかあった。足元をすくわれないように見直す」と、次の試合を見据えていた。

 藤卓哉主将(3年)は、「自分たちの野球をやれば勝てる」という監督の言葉を胸に臨んだ。勝利を喜びながらも、「1点を取りにいく野球ができないと、上へ行けない」と気を引き締めていた。
=朝霞市営

◎球音
◇投の二枚看板 意地の反撃 深谷一の飯田・柳選手7回連打も無念

 深谷一の反撃に勢いをつけたのは、エースの座をめぐって競い合ってきた2人の3年生だった。

 7回表、先頭の6番打者の飯田祥伍(3年)が、右中間を破る二塁打で出塁。7番の柳尚希(同)も内野安打で続き、好機を広げた。昨年の北埼玉大会を制した本庄一に圧力をかけ、相手のエースを降板させた。無死満塁から1点を返し、2点差に詰め寄った。だが、あと一押しができなかった。

 この日、飯田は守備のミスで、相手に追加点を与えるきっかけを作ってしまった。ベンチに戻り、仲間にわびると「バットで返せ」と気合を入れられた。何とか取り返したいという意地が生んだ、7回の攻撃だった。

 昨秋はエースだった飯田。だが今春からは、冬の間に球威を増した柳に、その座を奪われた。飯田は一塁手と控え投手をこなす立場になった。

 「総合力で本庄一に勝ちにいったのに。みんなに本当に申し訳ない」。試合後、飯田は帽子で顔を覆った。柳は「飯田がいたから、ここまで投げることができた」といたわった。=敬称略

◇20点差なお「まだだ」 上尾鷹の台・伊藤投手 全力の救援

 「このまま負けても、悔いのない戦いをしよう」

 上尾鷹の台の救援投手の伊藤和輝(2年)は4回1死、マウンド付近に内野陣を集めた。すでに20点差をつけられていた。「来いよ!」「まだまだ!」。仲間たちは声を張り上げ、戦う気力を取り戻した。

 昨春に開校したばかりで、野球部は1、2年生計8人だけ。他の部から助っ人を借りて、何とか9人ぎりぎりで戦っていた。

 一塁手で出場した伊藤が救援で登板したのは、1回。先発の小島瑞樹(同)がいきなり3点を失ったからだ。「小島が苦しんでいたから助けたかった」。他に投手を務められる選手はいない。どれだけ打たれても、逃げずに投げ続けた。

 「無失点に抑えたイニングもあったことが収穫」

 監督の坂下康弘(44)は試合後、そう評した。昨春まで春日部を率いて、100人以上の部員を抱えたこともある。「ほとんど試合に出たことのない選手ばかり。経験を積ませて、うれしい、悔しい経験をさせてあげたい」。この日の試合も、来年に向けた貴重な糧だ。

 試合後、うつむく選手たちの中で、伊藤は顔を上げて言った。「公式戦になると動きが悪くなる。練習での動きを発揮できるようにする」。来年こそ公式戦初勝利をつかむつもりだ。=敬称略

◎ピンチチャンス
◇千羽鶴に託す「心ひとつ」 白岡ベンチに父母

 白岡のベンチには、チームカラーの青色に白く「心」と描かれた千羽鶴が飾られた。河西竜太監督が「みんなが心ひとつになる野球をしよう」と、帽子の裏にも「心」と書いた。千羽鶴は、父母らがその思いを込めて折った。

 2回、スクイズなどで逆転すると、観客席は大喜び。白津大樹主将の父俊明さん(46)は「グラウンドもベンチもスタンドも、あきらめません」。再逆転された後、9回に1点を返して食い下がったが、あと一歩及ばなかった。河西監督は「最後まで粘った。心がひとつになっていた」=越谷市民

◇「最後」の夏 執念の安打 栗橋・佐藤選手

 鋭く響いたバットの音に、栗橋の応援席がどっと沸いた。0―14で迎えた5回1死。1本も安打が出ず、コールドゲーム成立まであと少しだった。右前安打を放った佐藤滝馬選手(3年)は「投手が球を手放したあたりから全く覚えていない。ただ、『このままじゃ終われない』と思って思いっきり振った」と振り返った。

 栗橋は10年、近隣校との統合で名前を消す。2年前には部員がマネジャー1人になるなどしたが、杉山廉人主将(同)が中心となってまとめ、選手とマネジャー計13人で「最後」の夏を迎えていた。

 「この日を迎えさせてくれた後輩たちに感謝したい」と杉山主将。増田圭司監督も「選手たちは、最後まであきらめないという姿勢を学んでくれた」と感慨深げだった。=岩槻川通

◎スタンド
◇不動岡応援部 女子団長がデビュー

 「そーれ、かっとばせー」。学ラン姿で観客席を盛り上げた不動岡の応援部。ひときわ目立った高い声の持ち主は、団長の新井瑠美さん(2年)だ。

 66年創部。県内の旧制中学の応援部と「六校応援団連盟」を結成するなど一時は活発な活動をしていた。だが、昨夏の団員は当時3年の男子1人。そこで、創部以来初めて「女人禁制」を解き、女子にも参加を呼びかけた。今年は女子2人を含む4人の新入部員が入り、応援に厚みが増した。新井さんは「他校の男子に負けないように」と力強く応援した。=岩槻川通

◇大メガホン威力 川越・野球部員ら

 川越の応援席に巨大なメガホンが登場、野球部員らが声を振り絞ってエールを送った。

 大きさは約1・5メートルで、画用紙4枚を張り合わせて作った。2〜3人がかりで支えながら使う。応援を盛り上げようと、部の伝統として続けられてきたもので、紙製だけに、1試合終わるとボロボロになるという。

 大きさに比例してか、試合は13点の大量得点で圧勝。巨大メガホンを使った松村一秀君(2年)は「通常のメガホンより声が大きくなる。気持ちが先輩たちに伝わるように大声を出しました」。=所沢航空

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