きょうのコラム「時鐘」 2009年10月31日

 殺人事件で懲役17年の判決を出した富山の裁判員裁判で意外な発見をした。「通常の裁判は偶数年の判決が多いが、奇数年の判決には市民感覚が反映されていると感じた」との弁護士のコメントである

担当記者の解説によるとこういうことだ。判決は求刑の8掛けで、偶数年の事例が多くなるとの常識があった。今回の求刑は20年だった。弁護側は10年が相当と主張した。弁護側が刑期を示すこと自体異例だが、目安として出された

そこで、20年の8掛けになる16年の判決が予想された。20年と10年の中間にも近い。が、判決は求刑の8掛け16年に1年プラスされた。その1年こそ、裁判員が既成概念に流されず罪と罰のバランスを熟慮した結果だったと言うわけだ

たかが1年、されど1年。8掛けだとか偶数年だとか、過去を踏襲してきた司法界のプロにアマチュアが突きつけた大きな「1年」だったと、記者たちにも感じられたのだった

選任の過程や参加義務制など矛盾も多い裁判員制度には、いまだ割り切れないものがあるが、今回の奇数年判決には「改革」という、重いものが込められていると見た。