◇…スポーツ報知の購読申し込みは、フリーダイヤル 0120-16-4341(イロ ヨミヨイ) まで…◇
◇…過去の記事は、ご使用のプロバイダのデータベース・サービスをご利用ください。…◇
人気落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため東京・中野区の長男の自宅で死去した。76歳だった。「星の王子様」の愛称や日本テレビ系「笑点」などで、落語の枠を超えた幅広い人気を獲得。05年に脳梗塞(こうそく)で倒れて以降は厳しい闘病生活を送っていた。葬儀は11月4、5日に近親者だけで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻・和子(かずこ)さん。
円楽さんが静かに人生の幕を下ろした。「星の王子様」が天国の星になった。
相次ぐ病魔と闘いながら07年に引退を表明した円楽さんは、昨年4月に肺がんの切除手術を受けたが、今年5月に肺がんが再発。さらに9月に脳こうそくが再発し、右手右足が不自由になっていた。最近は入退院を繰り返しながら、肺の治療や人工透析を受けていたが、入院中の今月23日に「家に帰りたい」と訴え、同じ中野区内にある長男で所属事務所社長の寛家(ひろいえ)さん(44)の家に戻っていた。
25日には2人の孫と一緒にNHK大河ドラマ「天地人」を楽しむなど元気な様子だったが、26日朝から体調が悪くなり、人工透析から帰宅した後は食事や会話もままならないほどに衰弱。29日朝、妻・和子さん、寛家さんの妻と娘2人、医師、ヘルパーにみとられ静かに息を引き取った。
寛家さんによると、26日に体調不良で透析を早めに切り上げた円楽さんを病院に迎えに行った際、「遅い」と一言ぼやいたのが最後の言葉になった。「落語には厳しかったが、家に帰ると180度変わって家族思いだった」と寛家さん。大好きな米大リーグのヤンキースのワールドシリーズをテレビ観戦するのを楽しみにしていたが、孫からディズニーシーに行く約束を迫られた時には「病状が分かっていたのか、決してうなずかなかった」という。
55年に6代目三遊亭円生さんに入門し、62年に真打ちに昇進した円楽さんは、寄席にとどまらず、落語を国民的な娯楽に押し上げた。66年に「笑点」で落語家がテレビに進出する先べんをつけた。周囲のやゆにも「今の大衆娯楽はテレビ。落語を好事家だけのものにしてはならない」と反論。83年から06年まで司会を務め、引退後は孫と一緒に同番組を見るのを楽しみにしていた。
一方で芸に対しては確固たる信念を持ち続けた。77年には落語一筋に打ち込みたいと「笑点」を一時降板。78年には真打ち制度のあり方を巡って、円生さんと共に落語協会を脱退した。師匠の死後は7億円を投じて自前の寄席「若竹」を設立したが、客足が伸びず約5年で閉館の憂き目にあった。病と闘いながら07年2月には最後の高座に上がり、大作「芝浜」を熱演。周囲からは惜しむ声も上がったが、「ろれつが回らない」「また恥をかきたくない」と潔く引退を表明した。
「円楽」の名跡は来年、楽太郎が受け継ぐ。「名前を譲ることが決まった後は肩の荷が下りたのか落語の話はほとんどしなかった」と寛家さん。落語にすべてをささげた円楽さんは「お後がよろしいようで」と76年の人生を締めくくった。
◆三遊亭 円楽(さんゆうてい・えんらく)本名・吉河寛海。1933年1月3日、東京・台東区生まれ。埼玉・杉戸農学校卒業後、落語に出会い、55年6代目円生に入門。58年二つ目、62年5代目円楽を襲名し、真打ちに。66年「笑点」第1回から出演。77年番組卒業するも83年4代目司会として復帰。芸術祭優秀賞(77年)、放送大賞(80年)、旭日小綬章叙勲(07年)など受賞多数。趣味は読書、マージャン、囲碁。和子夫人との間に1男1女。身長177センチ、体重80キロ。血液型AB。
(2009年10月31日06時03分 スポーツ報知)
国内最大規模の携帯ニュースサイト。スポーツニュース速報のほか、旬の社会、芸能ニュースも満載。月額84円(税込)
巨人軍公式サイト。待ち受け画像や注目の選手情報など、シーズンオフも必見。「NEWS読売・報知」の全コンテンツも利用できて月額210円(税込)!
翌日朝掲載の釣果情報を当日夜に配信。厳選した指定船宿と協力店からの正確な情報や、船宿の自慢料理・仕掛けなど、実用的なメニューもご用意。月額210円(税込)
携帯初の競輪予想情報。グランプリやダービーはもちろん、関東・南関東を中心に各レースを徹底予測。月額210円(税込)