身長3センチ、体重1グラムほどの小人が自然や人間と共生する「コロボックル物語」(全6巻、講談社)の誕生から50年。日本のファンタジーの先駆けといわれる物語を書いた佐藤さとるさん(81)は「時代は変わっても人間の本質は変わらない。変わらぬことを書いたから、3世代にわたって読み継がれてきたのでは」と話す。【聞き手・木村葉子】
私の両親は、屯田兵が開拓した北海道の剣淵(けんぶち)という町の出身です。小さいころ、両親からアイヌに伝わるコロボックルという小人の話を聞いていました。また小学校の教師だった母が、80巻以上もある「小学生全集」(菊池寛編、文芸春秋社)を買ってくれていて、その中にコロボックルを題材にした「蕗(ふき)の下の神様」(宇野浩二著)があったんです。面白くて何度も読みました。これらが「コロボックル物語」の素地になりましたね。
2歳上の双子の姉から字を教わり、5歳くらいで初めて「イソップ童話集」を読みました。アンデルセンやグリムの童話にも夢中でした。お話を考えるのも大好きでしたが、書くのは下手。小学2年生の時、先生がクラス全員の前で、悪い見本として私の作文を読み上げたほどです。4年生のころ、アンデルセンの「人魚姫」の結末を幸せになるように書き換えました。人魚姫が泡になってしまうのが許せなかったんです。
旧制中学3年の時、海軍の職業軍人だった父がミッドウェー海戦(42年6月)で戦死しました。1週間ほど前の朝、通学の際に、戸塚駅まで父と一緒でした。先に私の電車が来たので、乗って父に敬礼したんです。いつもはうなずくだけの父が、ガラスの向こうでさっと靴をひきつけ、白い手袋で海軍式の敬礼を返したんです。ひらりと動く手袋の白さが目にしみましたね。珍しいこともあるものだと思いましたが、それが父を見た最後でした。
後で知りましたが、出撃する朝だったんです。軍国少年でしたから、父の死を悲しむより身が引き締まりました。自分も戦って死ぬつもりでしたし、死ぬのは何でもなかった。でも心の底で、海外童話の華やかな世界をうらやんでいました。日本にない妖精の話を書いてみたかったんです。
戦後は焼け野原で何もかもなくなり、価値観も覆されました。「コロボックル物語」は、私の人格の作り直しでもあったんです。コロボックルは小さいけれど、とても強い。人間なんか怖くないし、許せなければ自分で倒せる力を持っています。でも好戦的ではない。自分たちの国をちゃんとつくって、つぶされそうになると仲間になってくれる人間を探してうまく使うんです。異質なものとの共生でもあります。
人間の本質は、人を信じ、家族愛や人間愛を持つことです。私はどちらかというと「性悪説」の考え方ですが、それに反発し「人間は悪だが、それを乗り越えられる」と思っています。「コロボックル物語」の底流にこれらが流れているので、多くの読者が長く読み続けてくれたのでしょう。
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■人物略歴
1928年神奈川県横須賀市生まれ。関東学院工業専門学校(旧制)卒。横浜市職員、中学教員などを経て、実業之日本社勤務の傍ら、59年にコロボックル物語の最初となる「だれも知らない小さな国」を著し、毎日出版文化賞を受賞。67年「おばあさんのひこうき」で野間児童文芸賞、07年「本朝奇談(にほんふしぎばなし) 天狗童子」で赤い鳥文学賞。
毎日新聞 2009年10月28日 東京朝刊