10月27日、火曜日ーサラ緊急入院

サラの日記を読んでくださっている皆様へ

10月27日午後より、度重なる発作が続いており、ニトログリセリンで対応しておりましたが、夕方再び大きな発作が起き、救急車にて緊急の入院となりました。

加療安静のため、しばらく本人は書くことができません。

その間のコメント、メールの管理につきましては、代理人が務めます。

サラ本人の命に関わることですので、回復を見守って頂くと、ありがたいです。

(代理人)

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10月27日、火曜日ー告訴取り下げ、 石垣市民の皆様へ

10月27日、13時50分、管轄の八重山署に電話をかけ、告訴を取り下げました。

(八重山署曰く、”受理”にもなっていなかったとのことで、実際には取り下げとはならない)

電話からは安堵の様子が伺える。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「サラの日記」 を読んで下さっている皆様、

いつも温かい支援の声をありがとうございます。

応援もありますが、誹謗中傷も多く、全てに返信できずに失礼しております。申し訳ありません。

ブログを始めてすぐに全国から多くの方がアクセスして下さいました。

本日は、もう一度、私人ブログ開設の意味を説明させていただきます。

石垣市民の皆様へ

サラは、思想団体、宗教団体、政治団体に属したことはありません。

また公開することで、損失を受けるのは、市長も当然でしょうが、私、家族も受けます。

市長は公人で、罪を犯したわけですから、仕方ないことです。

ですが、私ども家族にとっては、事件によって失業し、病気もし、今更、また二次被害、三次被害を受ける必要はありません。

どなたかの選挙応援か、という誹謗もあります。

右翼か、という罵倒もあります。

証拠は全部ありますので、「サラの日記」 で、また心ある知識者の方々のブログで、当事件及び沖縄の膠着した、物言えない状況を記事として今後もアップし続けていきます。

私は、きちんと責任として告訴しました。

心臓疾患を抱え、経済的にもゆとりのない中で、就学期の子どもを抱えながら、石垣市民の皆様、あなたなら同じことができますか。

証拠は十分過ぎるくらい揃っています。私は顔も堂々と出して証言もしました。

真摯に取り上げて下さったのは、「チャンネル桜」 さんだけでした。

石垣、沖縄、ひいては日本、報道の良心は、「チャンネル桜」 さんだけに存在したと、一市民の声として申し上げておきます。

国民が理不尽な目に遭った時、昔の日本の報道各社は、そのまま伝えてくれたはずです。

今はしてくれません。

思想はまったく持っていません。正直、石垣市役所にいた公務員として、当時の仕事仲間に伝えたかった。当時説明できず、不愉快な思いをさせてしまったこと。

面と向かってぶつかってこられた正義感のある方々も一部、おられた。でもぼそっと一人に恐怖を伝えたら、その方は仕事を辞めてしまった。

言えないと思いました。住んだことのある人にしかわからない。

仕事がなくなる。子どもが孤立する。仲間がいなくなる。

全体が敵の空気になる。

公務員としての義務を果たしました。あとは、皆さんの島です。どうか皆さんのそれぞれ自己責任で島の今後をお願い致します。

育ててもらった故郷を、私はこれで今度こそ悔いなく去ることが出来ます。

家族の守り方、地方自治体の守り方、国の守り方、一人一人の認識が大きく問われる新しい時代です。

私は、家族のために、自分の心臓を守ります。これが自分で責任を取る行為だと思っています。

これ以上の誹謗中傷は受け付けません。責任は果たしました。

※27日に連絡があり、必ず記事にしますと約束して頂いたのに、対応できなかった「夕刊フジ」の報道部さん、申し訳ございません。

  

追記

本日もサラは心臓発作を起こしました。これ以上の取材や警察による聴取は不可能と判断いたしました。当初の目的は達成されたものと思っております。

また、このことによって石垣市長の罪が消えるわけではありませんし、市長が「チャンネル桜」さんの取材から逃げた事実は変わりません。

今後もブログはアップしていきます。

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田母神氏論文(2009年10月26日)

何故、訴えるか。

日本が危ない! 

過激な言葉だが、この言葉以外、見つからない。

目からウロコが落ち、沖縄全体に覆う闇から私は、今、脱カルトを果たした心境だ。それが、

2002年9月15,16日という7年前の事件を、私的解決ではなく、公的な解決へと視点を変えさせた。

現職の石垣市長に性的暴行を受けた。事件直後、本人から示談の申し出があった。本人提示額、2000万円。私の年収を体調回復年数にかけた額。

2004年、7月に50万円の振込みがあった。

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加害者に全て決めさせるのも不本意だったが、公開は困るという本人の意向に7年の歳月が経った。当然、忘れていたわけではない。詳細は、別で書いているので、ここでは割愛する。

2009年、8月。

日付は覚えていない。友人へ送るポストカードを買うために本屋へ夫婦で出かけた。

市長にとっては不幸、私にとっては、天命を聞いたとも思える日。

事件後、夫がニュース断食として、私からTV、新聞、雑誌等を遠ざけていた。

本屋の中央に平積みのコーナーがあり、山積みの間が一部窪んでいる。

「WiLL」

自衛官の制服姿の男性がまっすぐこちらを見ている表紙だった。売れているのだろう。残り3冊。他は山積みだ。

まっすぐな目を見るのは、とても久しぶりな気がした。温かく懐かしい感じがした。

手を伸ばして読んでみた。久しぶりに活字に触れた。

「田母神論文」

さっと読んだ。コミンテルン、ふと何かがわかった。

夫を探した。活字は断食中だ。だが見当たらない。本を置いて夫を探す。

途中、ふと妙な視線を感じて一冊の写真集に目がいく。沖縄コーナーだ。

避けたい場所。だが女性の目が重なるように表紙になった写真集に手が伸びた。

気味悪かったが、著者を知っていた。めくって、著者のYさん一家が家族で芸術を語り、反戦を語っているのを読んだ。

続いて、亀甲墓を背景に、女性のヌーディな足が大胆なV字で逆さに撮られている。

あまりにも気分が悪くなり、写真集を置いた。

まだ反戦を武器に商売する輩が存在していたのか。卑怯だなと不快感が増す。

沖縄で反戦を語れば金になる。日本が危機にあるというのに、どこからまだ金をむしり取ろうとするのか、いつまで自虐ネタで、新聞社とつるんで商売する気か。

いっきにそんな思いが涌いた。自分でも驚いた。

私も新聞社から文学賞をもらったことがある。その時の審査員の先生に呼ばれた。

私が特別押した。あなたはここでは芽が出ない。中央に来なさい。

当時は意味がわからない。1990年のこと。

そのあと、私は軍用地主の資産家の息子と結婚した。反戦運動に関する県民大会へは必ず参加すること。そして山積みのお金の配分。軍用地代金が山分けされた。運動は、この金とセットだと気づいた。すぐにその家を追い出された。

反戦運動をすれば金や地位が手に入る仕組み。私には肌に合わないことだった。反戦小説も肌に合わなかったのだろう。一度も書いていない。

私は、自己憐憫が好きではない。

自分で撒いた種は自分で刈る、自己責任。生き方だけははっきりしている。

たぶん生理的に「沖縄カルト」 に嫌われ、追い出され続けてきたのだと、だんだん思い当たる。

田母神元空幕長の写真にまた足が止まった。

軍人は人を殺す、それが沖縄の教えだ。

写真集のYさんご一家は温厚ないい人たちで通っている。

戦争など見たこともないはずの娘さんが、反戦を武器にした写真集。写真家は変われど、何度か目にしてきた写真集のパターン。

二つの対比で、夢から覚めた。完全に「沖縄カルト」 から醒めた。

誠実と温かさを田母神氏から、偽善と残忍さをY家から、感覚がそう捉えた。

「反戦商人」 日本人を潰すのは、「沖縄カルト」 彼らのほうだ。

全身総毛立つ経験だ。逆転した。

「買っていい?」

夫が、いいよと答えたので、7年ぶりに雑誌を買った。

いっきに読んだ。目からウロコが落ちたので、はっきり読める。何度も読んだ。

その夜は、夫も息子も読んだ。一週間、奪い合うように3人で読んだ。

私達は完全に目が醒めた。

仕事をまっすぐ誠実に続けて極めていくと、どんな分野でも人は大切な何かを知る。私欲を超えた公的な貢献、仕事の匠は、それを捉える。

戦争は嫌です。ですが実践のスピリッツを問われて、ある、ときっぱり答える。田母神氏は仕事人だ。どんな仕事に就いておられても一流になられる方、それが伺える。

誰が読んでいるか、聞いているかもわからない、「時の人」 の発言。それも元幕僚長。

あの答え方の聡明さは類をみない。微妙な質問だった。

そのあと、私は、石垣市長が犯した事件と、私の兄が新聞社に叩かれ続けた事件の繋がりに気づく。そして、沖縄の政治家の実態、弁護士の関わり、左翼運動家の存在、蔓延する全体主義を知った。

本屋からわずか2週間。

「沖縄カルト」 の中で、あわや私は現職の石垣市長の性的暴行事件をなしにする、という愚かな事をしてしまうところだった。

そのまま体験したことを忠実に書く。届ける。これが私の受けた天命。

戦う前に、武士の習いとして、一度は示談を受けたので、再度確認を取った。

日付を決めた。そのあと全てを公開しますという条件をつけた。

市長は、私がまだ、「沖縄カルト」 の信者で、脅せば黙ると思ったようで、市長本人しかかけられない、いわば、ホットラインから脅迫の電話をかけてきた。

2004年3月31日まで私は公務員であった。

当時市民に報告する義務があったにも関わらず、私の弱さゆえに7年が過ぎた。

石垣市民に深くお詫び致します。私も本来、まっすぐに仕事を愛する家族を愛する者です。

そこに立ち返り、自分のすべきことを果たす、日本に住む社会人として忠実な者でありたいと思います。

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10月24日、土曜日ー取材を受ける

10月24日、取材を受けた。午後4時30分から7時まで。

TVに顔が出ます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

事件がなければ、サラは公務員で年収、他の講師料も足して700万円。

当時、母子家庭でしたが、十分な収入でした。

またコメント、メール等での、愛人でその痴話げんかの成れの果てという、許せない書き込みもありましたが、

愛人なら、愛人の家くらい普通は知っているでしょう。どこかでこっそり会うんじゃないですか。

わざわざ部課長を巻き込んで、飲み会をセットしたり、課に直接、探しに来たり、ストーカーまがいの行動をしないでしょう。

そして、サラが愛人なら、そのようなことを平然とできる人間なら、当時、そのコネクションを使い、今頃、男女雇用均等法などの講師をしたり、高いスーツに身を包み、ステータスもどんどん手に入れていたでしょう。つんつんして歩いていたでしょうね。

偉いさんには、ぺこぺこして。

事件当時は、ある程度、経済的余力もあり、メンテナンスもしていたので、TVに出ても一般人としては、普通に出れたでしょう。

でも、今は、正直、長い戦いの果て、疲れ果てた一瞬、目を逸らしてしまいたい程のおばちゃんです。自分で言うのもなんですが、TVに出るのは、かなり痛い人生に落ちた厳しい顔です。

皆さん、見て、驚かれるかと思います。支援、引き下がらないで下さい。60%くらいは、立ち直りつつある顔ですから。

そして、これが被害者のその後の実像というのもわかって欲しいと思います。きれい事などありません。

ハンディキャップのある子も抱え、失業する。島の親分の言うことを聞けなかったがゆえに島を出た。

ゼロからのスタートをするには、心はボロボロで体重は37キロまで落ち、まともに職に就けず、就いても続かない。

息子が、今年ようやく予備校のお金が貯まり、来年受験をすることになった。辛くて息子の年齢は書けない。息子は家計を助けてきた。

一般の生活者は市長のような華やかな生活はしていない。少しは、想像してほしい。

あの日の首長の横暴が、一つの家族の生活を根本から崩してしまった。

生活者は7年を、生き抜いてきた、これが真実の姿です。きれいごとではない。

髪も自分で切るし、生活はぎりぎり、でも家族は転落した生活に誰も文句を言わない。

コツコツと自分の力量の中で、それぞれが支え合って生き抜いてきた。

久しぶりの受験勉強、だが一年、予備校に行けるだけでも有難いと、息子の受験生活は気迫に満ちている。来年、国立を一度で受かる。ゆとりなどない。

この件で、息子に、改名をするかと聞いた。

今までも同じ、これからも同じ。いい人に出会える確立も高くなる。何故、名前を恥じないといけないか。

逃げる意味がない。おばあちゃんが元気な間、この名前は、まだ残るんだと、おばあちゃんに希望を持たせたいんだと、きっぱり改名しないと言われた。

私達、家族は逃げない。珍しい姓を公開している。顔も出した。

だが市長は、ホテルに逃げ隠れたという知らせが入った。

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事件発生(2002年9月16日)

「はなき」 で、

部長、課長、課長補佐、男性職員、サラが市長と同席する。

軽いつまみ程度とお酒が出され、店が客に出すには、少な過ぎて変な感じがする。

五分ほどして、オーナー夫妻が前掛けを外して座につく。

みな、あれっという感じになる。

続いてオーナー夫妻の息子さんが紹介される。息子さんは名前を名乗り、頭を下げ退座する。

夫婦はしばらく座る。

一人、一人、トイレに行くふりをして席を立つ。

上司を追う。

「俺らは関係ない。おまえの問題だ」 と突き放される。

「私も知りません。私も帰して下さい」

かばんを取りに戻ると、シャッターが下ろされた。

何度か帰ろうとするが、「待て」 と市長が帰さないので、上司もイベントで早朝から立ちっぱなしでだいぶ疲れているが、根気強く残って相手をしている。

またトイレの横の勝手口しか出口はなく、オーナーが鍵を開けなければ帰れない。やりとりですぐ市長が、「帰るな」 と言うので、時間は午前4時ごろになる。

トイレに立つようにして鍵を何度かまわすが開けられない。また夫婦も見つからない。座敷にかばんを取るふりをしてオーナー夫婦を探す。

市長、男性職員一人が残っている。異動してきたばかりの職員で、女性職員を一人残しては帰れないと、何度も市長に、お送りいたしますと話しかけていた。

そしてサラに目で、「帰れ」 と合図を送る。

オーナー夫婦がいないんです、と答えると、自分が探す、トイレに立つふりして、すぐおまえも帰れと。

2分ほどたった。会話が聞こえる。

いたんだなとわかり、サラもすぐに立ち上がる。

市長が酔ってふらふらと立ち上がった。

しまった、トイレかなと思った。でもそのすきに帰れると、かばんに手を伸ばしたとたん、両肩をいきなり捕まえられる。

サラは体制を崩し、木材床に、頭をごんと打ち、倒される。スカートを取られた。

そこから格闘が始まった。30分から40分、声もあげた。市長に、「私はクリスチャンなので、許してください」 と転んでいる時に声をかけた。

だが髪の毛をひっぱられ、また格闘。ドアが観音開きで押せば出れる。

押したが開かない。

足が二人分見える。オーナー夫婦は、作務衣を二人とも着ていたが、その作務衣のズボンがはっきり見える。

「開けて」「助けて」

と叫ぶが、オーナー夫婦二人もサラが出れないように、必死でドアを押している。また市長と格闘する。膝で顔を押さえつけられる。髪を引っ張られる。ストッキングは破れた。

突き飛ばした。角でごろんと市長が静かになった。その勢いで扉を開けた。二人がいない。

トイレ近くでスカートを着、パンプスは手に持って駐車場まで行く。

膝がガクガク動いて、駐車場まで走れない。

車に乗った。鍵がうまくかけられない。膝はガクガク笑った感じで、なかなかアクセルが踏めない。

車のロックをかけて、なんとか家まで運転する。

高校三年生の長女を起こす。

泣き出す娘を連れて、県立八重山病院へ向かう。運転はサラがする。受診をした。

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現石垣市長の犯罪ー事件当日(2002年9月15日~16日)

2002年9月15日、石垣市主催の敬老の日の祝賀イベントが石垣市民会館ホールで行われた。

当時、サラは石垣市介護長寿課職員。

イベントが終了、近くの美崎町にある居酒屋で、介護長寿課の慰労会が午後6時頃から始まった。

会場片付け等で、サラが慰労会の場所に到着したのは、午後7時30分過ぎ。

慰労会場所に上司の間に市長が座っていた。

着席したサラに、上司より市長へ乾杯しに来いと声がかかる。

しばらく傍に座る形になり、食事が摂れない。見かねて女性職員が、声をかけにきた。

離れた所に皿に寿司などが取られて置かれており、そこに移るようにと、そして代わりにその職員が傍に座った。だが、すぐに上司から、「おまえじゃない、サラ、来い」 と声があがる。

一課の慰労会に市長が出席するのは異例のことであり、初めは緊張していた職員もイベント終了の開放感から、次第に酒席は声も大きくなっていった。

そこでもほとんど傍に座らされた。

二次会に移動するという上司命令。

女性職員や非常勤職員はトイレに行くようにして、それぞれ帰るが、サラは傍に置かれているので動けず、また係長以上は市長命令ということで連れていかれる。

ビヤガーデン、市長の呼び出した若手のミュージシャンやその友人等も同席。

そこで、サラの書いた本を読んだかと市長が一人、一人の職員へ詰問する。だいぶ酔っている。

市長の強い口調に一時、空気が不穏になり、サラに直接、「おまえは何様か」という酔った職員の怒声もあがる。一職員を、首長が話題にするのは当然だがタブー。

酒席は、他で飲んでいた人も交じり、初めの数より倍ほどに人数が増えている。そこで長々とサラの話を酔って話す市長の独壇場となる。

同時に、市長の傍に座れ、というヤジ声あがる。

女性係長がトイレに立つ。サラもついていこうとするが、「サラは帰すな。まだ話は終わっていない」 と市長の声に、帰れず。午前零時をまわる。下の子どもを寝かしつけている長女から何度も、電話が入る。お母さん探して落ち着かないから、タクシーで近くまで来ていいかという電話。もう帰るから大丈夫、なんとか逃げるからと電話を返す。

三次会があるという。失礼しますというと、おまえの人事の件だ。俺らは帰ってもおまえは残れと上司が言う。

午前一時過ぎ、日付は、10月16日。

場所は、割烹、「はなき」

Nさん夫婦が経営する。奥さんはサラの小中学校の同級生。介護長寿課でも何度か来店したことがある。いつもなら閉店している時間。

「はなき」 の近くに契約駐車場があり、サラはついていくふりをして踵を返して駐車場まで歩いたところで、上司が気づいてついてくる。

「市長がおまえを連れて来いと言っている。自分達も疲れて帰りたい、さっさと市長が言うことを聞けば帰れるよ、こっちこそ迷惑だ」 と。

すみませんと謝り、ついて行く。

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10月24日、土曜日ー証拠物提出

10月24日、午前11時、八重山署刑事2名による追加聴取がありました。

当時場に居合わせた人物等、昨日の詳細の確認をされました。

証拠物、一つを提出致しました。

本日、それを署に持ち帰り、検討に入り、追って連絡がくることになっています。

身辺の警護等に関しても助言を頂きました。

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御礼 (たたかいの経過10月15日~23日)

「サラの日記」 を読んでくださった皆様、多くのメール、コメント、電話による温かい励ましを心から感謝申し上げます。

記事がわかりづらいと多くの方から指摘があり、整理して、読みやすいようにアップ致します。また、支援くださる皆様へ、当件に関しての経過をこれからも報告致します。

全コメント、メールへご返信できなかったことをお詫びいたします。今後の励みと致します。

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◆10月15日 

 ブログに事件の内容を公表。

◆10月16日 

 17時46分 市長本人よりサラの携帯に電話がある。

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◆10月17日 

 16時56分と17時35分に石垣市長室より着信があるも、電話に出ることができず、不在着信となる。

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◆10月21日 

 10時41分、16日にサラの携帯に着信のあった番号へ、夫が抗議のために電話をかけるが不在。

 10時53分、石垣市役所市長室へ、夫が抗議のために電話をかけるが来客中とのことで名前と携帯番号を伝え、折り返しの電話を依頼する。

 10時57分、石垣市長本人より夫の携帯に着信がある。

 (この時の番号が17日に2回不在着信となった番号であった。またこの時の会話で、16日の着信番号が市の電話であることが本人自らの発言でわかる)

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※詳しくはこちら 

  狼魔人日記石垣市長暴行事件、県内紙が動く!【追記】あり

 13時、地元警察署に被害届けを提出。「相手に罰を与えたいですか」の問いに「はい」とこたえる。

 20時から22時過ぎまで新聞社の取材を受ける。

◆10月22日 

 14時38分と15時46分に八重山警察署より電話があり、翌日(23日)地元警察署まで出張して来ますとの連絡がある。

◆10月23日

 10時から13時、報道機関の取材に応じる。

 16時から18時、八重山警察署、刑事2名による聴取がある。

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