ふと思い出した。
就職活動をしながら、アルバイトをしていた頃のこと。
最初は教育を志していた。
一緒になって笑って怒って、教えていた。生徒が可愛くて仕方なかった。
次は人材業界を志した。
講師(先生)には、社会へ出る子どもたちのために、
社会を広く知っておく必要があると思ったから。
人材は、沢山の人とかかわることができる業界。
そして、卒業後した後、就職に迷った生徒にアドバイスできるようになると思ったから。
結果的に「自分」に現実的な利益や信頼が訪れるとしても、、
飽くまでも意識は、ただ、「生徒」に沢山の幸せが訪れるようにと。
人材業界に入り、その後部署を変わってからは、外部の人との関わりが減ってきた。
やりとりは、営業から回ってきたユーザーとの電話が主になる。
私はだから、言葉遣いやトーン、表現に気をつけるようになった。
どうしたら、目の前のこの人が、安心できるのか。信頼を得られるのか。
そうやって、だんだん、目の前しか見えなくなっていたような気がする。
ほんの少し前、世界はもっと奥行きがあったのに。
昔の生徒から、「合格した」とメールが来た。
「先生は今でも、自分の憧れです」「先生のいる、大阪の大学にしました」
「先生が塾をひらくときは、私が看板描きますね」
自分の中に、感傷が湧いた。
今は、「自分のためだけに」働いている。
バイト料は出ないのに、時間を削って、生徒の家に毎日通ったあの頃、
自分の中に、キラキラした何かがいっぱい満ちていた。
今でも、「誰かのために」働きたいと思う。
「先生、将来が不安だよー」と授業中、小学生にほんの冗談で言ったことがある。
生徒は「先生なら、先生がしたいことをしたら何でも大丈夫」と言った。
思い出したら涙が出た。
最近、体が治っても、特技を活かした仕事に就こうと思っていた。
想像する。黙々と、毎日、自分のために、働く。それは多分向いているし、楽しいだろう。
でも、体が治ったらもう一度、
誰かと向き合って、あの頃みたいに、自分に他人の責任を一緒に負いながら、
まっすぐに働いてみたい。
色々思っていたら、今の気持ちを残しておきたくなって、日記を書いた。
おしまい。