プロレス界のカリスマは悩んでいた。
「いやあ、僕、いま、ぶっちゃけてやばいんですよ。メチャメチャやばいんですよ」
声のトーンが2オクターブほど上がる。これはただごとではなさそうだ。いったい…?
【家庭で冷戦中】
「僕、3人娘がいるんですけどね。母親と娘の世界に入っていけないんです。もう、完全に孤立してるんですよね」
はぁ? そんなこと? と思わず返しそうになったが、父親にとってはたしかに「メチャメチャやばい」問題かも。3人とも中学からイギリスの寄宿学校に留学していたが、1年前に大学を卒業した長女が帰国。以来、“冷戦”が続いているという。
「ダメですね。早くから(外国に)行かせると。自己主張っていうか、こんなに変わるのか、と思うほど。会話ができなくなるというか。周りの人は『そんなもんだよ』って言うんだけど。意思の疎通をはかるのがすごい至難の業で」
「昔はめちゃめちゃパパっ娘だったんですよ。それが…、こんなになっちゃうのかなあ」
「革命戦士」と呼ばれたカリスマレスラーは一気に語ると、深いため息をついた。当たり前のことだが、リングで築き上げてきたストロングスタイルは「まったく通用しない」のだという。
【ドラマで父親役「なんか自分じゃないような…」】
そんなお父さんが、今月5日にauが携帯電話向けに配信を始めたLISMOチャンネル向けドラマ「いずみと僕と彼と俺」では、ヒロイン・優木まおみの父親役として迫真の演技を見せている。ドラマ出演は1986年の「痛快OL通り」以来23年ぶりだ。
「いやあ、なんか自分じゃないような…。視聴者の方が見たら『何なんだ、こいつは』と思うんじゃないですか。完全に浮いてますよ」と言うが、奔放な娘が自宅に連れ込んだ男を撃退するシーンは圧巻。なかなかのエンターテイナーだ。
そういえば、不遇な扱いへの反発からアントニオ猪木に発した「俺は咬ませ犬じゃない」や、UWF(当時)との対抗戦での「キレちゃいないですよ」発言など、“名言”を連発するレスラーとしてもおなじみ。ところが、「いちいち、考えちゃいない」んだとか。「そういう性分なんですよ。わけのわからない感情が、いろんな言葉になって出てくるんです」。
でも、その熱さがファンを魅了するのだ。
【若手の育成、プロレス人気の再興…】
「俺は俺」とのポリシーで、レスラー人生も波瀾に満ちているが、その原点は偶然からだった。
「だまされたようなもんですよ。早稲田大のOB主催の食事会に呼ばれていったら、猪木さんが来た。『こういう(プロレスの)世界もあるが、どうだ』と言われて、そう深刻に考えずに『アマレスの延長だな』と思って入ってしまった」
もうすぐ60歳。そろそろレスラー人生の幕引きを考え始める年齢だが、「過去を何ひとつ整理できていない。みんな、ひとつひとつのことを解決しながら前に歩んできてるのかなあ…。それとも僕はどこか欠落してるのかなぁ」と語る。まだ引退は考えていないようだ。
ただ、苦境が続くプロレス界では、世代交代が喫緊のテーマ。若手選手に対しては「感性を動かして、自分で努力していくしかない」と語るが、ひとつだけ「『体だけは気をつけろ』とは言っている」という。プロレスがキケンと隣り合わせであることを身をもって知っているからだ。
「三沢(光晴)選手の事故は残念でしたね。まさか、という感じでした。僕自身もヒヤッとしたことは数え切れないぐらいあります。だから、準備はしすぎるぐらいしている。やるべきことやっても、とんでもない事故は起きるし…」
若手の育成、プロレス人気の再興−など、リングを取りまく課題は山積。同時に、父親としての悩みも深い。「まだ、リングの上のほうがうまくいきますがね」
戦士の休息は、まだ先の話のようだ。
ペン・安里洋輔
カメラ・古厩正樹
プロフィール 長州力(ちょうしゅう・りき) 1951年12月3日生まれ、57歳。山口県徳山市(現・周南市)出身。72年、専修大在学中に韓国代表としてミュンヘン五輪に出場。翌年、新日本プロレスに入門し、74年8月8日のエル・グレコ戦でデビュー。リキラリアットやサソリ固めの必殺技で数々の名勝負を繰り広げ、反骨心あふれるファイトスタイルから「革命戦士」のニックネームを得た。83年にWWFインター・ヘビー級王座を獲得。84年、ジャパンプロレスを旗揚げし、全日本プロレスに参戦。新日復帰後の89年にはヘビー級、タッグでIWGP2冠を制覇した。98年1月に現役引退したが、2000年に復帰。同年7月30日に行った大仁田厚との因縁マッチは大きな話題を集めた。お笑いタレント、長州小力の物真似はよく知られているが、これは本人も公認。ただ、「物まねされるほどの特徴はないと思っていた」とか。