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 リーディングス現代社会(6)

「リーディングス現代社会」は、経済学部教員がそれぞれの専門分野に関連する現代社会のトピックを分かり易く解説していくシリーズです。経済・社会の動きを理解する道標として、また経済学部教員の研究を知る端緒としてお読み下さい。

選挙と民主主義

齋藤 弘樹

2008年11月4日、一連の大統領選の末、アメリカ民主党のバラク・オバマ氏がアメリカ合衆国第44代大統領に当選しました。アメリカ史上初の黒人大統領であることに加え、人々を惹きつける特徴的な演説など話題性も十分で、印象に残っている方も多いことでしょう。一方、日本でも、2009年は衆議院議員総選挙が実施される年であり、テレビ・新聞等の各メディアは連日に渡って次期衆院選関連のニュースを取り上げ、現時点でもっとも注目度の高い話題の一つになっています。

このように、近年は特に選挙の話題が多い年になっていますが、これらの大規模な選挙に限らず、私たちを取り巻く社会では頻繁に選挙が行われています。一口に選挙といってもその方法は多様で、選挙期間・規模・集計方法などの違いにより、さまざまな選挙方式(注1) が存在します。しかしながら、方式の違いはあれど、多くの選挙方式の根底には「多数派の意見を反映させる」という共通の思想があります。すなわち、「多数決」です。

私たちが集団で物事を決めるときには、多数決がしばしば用いられます。例えば、「クラスの学級委員を誰にするか」、「友達同士で何をして遊ぶか」、「旅行の行き先をどこにするか」などのような問題を多数決で決めた経験がある方は多いと思います。では、そのような状況下でなぜ多数決が用いられるのでしょうか。この問いに対しては、おそらく多くの人が「民主的であるから」と回答することが予想されます。では、そもそも「民主的」とは何でしょうか。『広辞苑第六版』(岩波書店)によると、民主的とは、「民主主義にかなっているさま。民主主義に基づいていること」、民主主義とは、「権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態。(中略)多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される」とあります。確かにこの意味で多数決による決め方は民主的そのものであるとみなすことができます。それでは、多数決は何の欠点も無い理想的な決め方なのでしょうか。実は、多数決には深刻な欠点があることが、18世紀後半にフランスの哲学者、数学者であるコンドルセによって示されています。それが以下で述べる「投票のパラドックス」と呼ばれているものです。

注1.日本の選挙制度については、総務省ホームページを参照してください。

投票のパラドックス

友達(Aさん、Bさん、Cさん)同士でヨーロッパ旅行の計画を立てていて、イタリア、ドイツ、フランスの中から行き先を多数決で決めるという状況を考えてみましょう。彼らは、三ヶ国に対して表1のような好みを持っていたとします。

Aさんの好み Bさんの好み Cさんの好み
イタリア
ドイツ
フランス
ドイツ
フランス
イタリア
フランス
イタリア
ドイツ

表1 投票のパラドックスの例

表1は、例えばAさんの場合、一番行きたい国がイタリア、二番目がドイツ、三番目がフランスというように読みます。この例では三人の一番行きたい国がバラバラなので、すぐに決着がつきません。そこで、二ヶ国ずつ比較して、過半数が支持している国を上位にするというやり方を考えます。まず、イタリアとドイツを比べると、過半数(AさんとCさん)がイタリアを支持しているので、

ドイツ < イタリア・・・(1)

という順位になります。(1)は、「ドイツよりイタリアの方が上位」ということを表しています。次に、イタリアとフランスを比べると、過半数(BさんとCさん)がフランスを支持しているので、

イタリア < フランス・・・(2)

という順位になります。(1)と(2)から、一見するとフランスが一位となるように見えますが、ここでフランスとドイツを比べると、過半数(AさんとBさん)がドイツを支持しており、

フランス < ドイツ・・・(3)

という順位になってしまいます。すなわち、(1)~(3)から、ドイツ<イタリア<フランス<ドイツ<イタリア<フランス<ドイツ<・・・のように延々と循環してしまい、一位を決めることができません。これこそが「投票のパラドックス」と呼ばれる逆理で、多数決が根本的にうまく機能しないことを示しています。

アローの定理

それでは、投票のパラドックスのような問題が起こらずにうまく機能する決め方はあるのでしょうか。残念ながら、多くの場合答えは「No」です。この問題に取り組んだのが、アメリカの経済学者で1972年のノーベル経済学賞受賞者であるケネス・アローです。彼は、まっとうな決め方ならば当然備わっているべき性質をいくつか提示しました。例えば、すべての人々が共通の意見を持っていたら、その意見が採用されるという「全会一致性」や、特定の個人の意見が独裁的に採用されることがないという「非独裁性」など(注2)です。言うまでも無く、これらは民主主義社会では尊重されて当たり前の大原則です。ところがアローは、前述の旅行の例のように3つ以上の選択肢を順位付けする決め方を考えるとき、それらの当たり前の性質をすべて備えている決め方が「存在しない」ということを数学的に証明してしまったのです。すなわち、私たちがどのような決め方を開発したとしても、それは何らかの欠陥を持った決め方になってしまい、真に民主的と呼べるような理想的な決め方は、未来永劫見つけ出すことはできません。この事実は、「アローの(不可能性)定理」として広く知られています。ここで注意しなければならないのは、この定理は、真に民主主義に根ざしたシステムを構築することが困難であることを主張しているだけで、民主主義の意義そのものを否定しているわけではないということです。

アローの定理は確かに悲劇的ですが、これであきらめて終了ということではなく、この定理を出発点としてさまざまなアプローチから選挙(投票)についての研究が行われており、アローの結果とは別の意味で肯定的な結果が得られる場合もあります。選挙に限らず、さまざまな状況における物事の決め方について研究する学問分野は「社会選択理論」と呼ばれ、現在も多くの学者によって広く研究され続けています。

注2.これらの性質の厳密な定義や、ここで紹介していないその他の性質・仮定については、多くのミクロ経済学の文献に記載されていますので、興味のある方は適宜参照してください。

齋藤 弘樹(経済学部講師)


>>>リーディングス現代社会(1)
>>>リーディングス現代社会(2)
>>>リーディングス現代社会(3)
>>>リーディングス現代社会(4)
>>>リーディングス現代社会(5)