引出困難 (復元記事)
テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)なぜ引き出しが困難になるのか。私を例に考えてみる。
「元ある所に、戻しなさい」そう言われても、一度引き出しから、抜き出した後で、戻そうとしても、どこに入っていたかが、分からなくなる。だから、戻せない。
しかし、考えて欲しい。私は、異様に昔の事を記憶している人間。ところが、こんな、たった今の事を忘れている。・・・ここでの記号も「アンバランス」
「引き出しは閉めなさい」どこから出したか分かる様に、自衛のため、引き出しを開けておく。ところが、邪魔だし、開けておいた引き出しは、閉められて、結局分からなくなる。この自衛手段は、一人住まいのみ有効で、だったら、引き出しなんかに収めずに、出しっぱなしの方が早い。
「どんな分類?」ハサミを使ったとする。ハサミを戻す。さて、ドコの引き出しに戻すのか。「工具」か?「家庭用道具」か、「普段使うモノ」か。結局、以前に、自分がどんな分類をしたのか忘れて、結局、その辺の引き出しにいれ、分類自体がめちゃくちゃになる。
これこそが、「中枢性の統合の欠陥」である。
ハサミが、一体何に含まれるのか。自分で分類。概念化したのに、そのモノ同士の結びつき、「概念化」の「概念」が弱い、或いは無いから、元の「概念」(元の分類)に立ち戻れないのだ。
まさしく、自閉症は「概念化」の力が乏しい。「中枢性の統合に欠陥がある」なのである。
概念化出来ない事と、「SAM」の欠陥が合わさり、「自分が悲しいのか、楽しいのか、可笑しいのか、泣きたいのかよく分からない」と言いながら、涙を流しながら、半分笑うという妙な事になるのである。
故に、「ニキ・リンコ」十八番の、「私は、「普通」になりたい」「自閉者の「つらさ」「悲しさ」を知って下さい」。
こういう事を言っているという事を知った時点で、「コイツは怪しい」。どうやって、カナー型の様相を呈していながら、「普通」という概念や、「つらい」「悲しい」などと言う、最も高等な概念を、簡単に理解できるんだ?
と、疑問にも感じない研究者は、明らかな「勉強不足」「知識不足」なのである。
ここで、原作者の為に、「グニラ・ガーランド」は、書籍内で一度も「普通になりたい」などとは、言っていない。
そして、グニラ・ガーランドの記述は、忠実に、自閉症を再現している。本を持っている人は、よく読み込んで欲しい。本の内容に、罪は無い。
2007/9/6(木)のブログ 復元記事