2009-10-26 13:00:40
gataro-cloneの投稿
<雇用破壊 現場から>面接何十回…冬怖い/26歳ホームレス苦闘の日々【しんぶん赤旗】
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鳩山新政権側も雇用状況の悪化に手を拱(こまね)いているわけにはいかんと、「反貧困ネット」の湯浅誠氏を国家戦略室の政策参与としてブレーンに起用し、お知恵を拝借しようとしているのだが…。 ⇒
国家戦略室:政策参与に「反貧困ネット」の湯浅氏起用内定(毎日新聞)
反貧困ネットワークの湯浅氏、国家戦略室の参与に起用へ(朝日新聞)
「派遣村」村長 湯浅氏、国家戦略室政策参与に(読売新聞)
いまのところ新政権はこれといった具体策を打ち出せてはいない。状況は日々これ悪化の一途をたどっているというのに。
シリーズ記事「雇用破壊 現場から」(4回)を「しんぶん赤旗記事情報/G-Search」から検索、貼り付ける。
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雇用破壊/現場から/面接何十回…冬怖い/26歳ホームレス苦闘の日々
2009.10.18 日刊紙 15頁 社会 (全1,276字)
今年4月に派遣切りされた上原弘和さん=仮名=(26)は路上生活から脱出しようと懸命に努力しています。両親、兄弟とは絶縁、頼れる親せきもいません。東京で暮らすホームレス青年の悪戦苦闘を追いました。 (豊田栄光)
「何度もハローワークに通い、何十回面接に行っても断られ続ける人間のつらさを、おまえは分かるのか」。区職員にぶつけられず、心で叫んだ言葉です。弘和さんは、自動車シート製造会社に解雇され、4月3日から路上生活者になりました。
鹿児島県生まれの弘和さんは、中学卒業と同時に地元の鉄筋会社に就職、7年間勤めましたが失業しました。大阪に出て派遣会社に登録、最初の派遣先は長崎でした。
その後、職場は神奈川(2カ所)→三重→神奈川→三重(2カ所)→東京と転々。「半年ほどで引っ越しを繰り返す生活。こんな働かされ方ってありますか。疲れました」。派遣先はトヨタ、日産、いすゞ、シャープなど日本を代表する大企業の関連工場です。
過酷な現実
「製造業はいやだ、飲食店で働きたい。いつかラーメンの屋台をだしたい」。ハローワークの紹介で面接に出向いた居酒屋。ここでの出来事は、弘和さんが直面している過酷な現実を示しています。
店長は、弘和さんがホームレスであることを知ると、5千円を渡し、下着を買ってくるように指示しました。「食べ物商売、不潔は許されない。店のシャワーを使っていいぞ」 温かい気配り、その日は店に泊めてくれました。翌日、弘和さんは、万引きの「前科」を正直に話しました。「仕事もお金もなく、空腹からスーパーの弁当を盗みました」 店長は弘和さんを雇いませんでした。「すまないが、身元保証人もなく、犯罪歴があるホームレスは無理」。身元保証人が立てられず、弘和さんは「何度も何度も悔しい思い」をしました。飲食店20軒、新聞販売店10軒…数え切れません。
「小学2年のときに両親から事実上、育児放棄されました。両親は別の家に住み、僕はお金だけもらって、カップラーメンや弁当を買っていました」 弘和さんが18歳のときに両親から「もう連絡してくるな」といわれました。それ以来、音信不通です。中学卒業後から「親をあてにせず生きていくと決意した」弘和さんは、鉄筋会社で働いた7年間で200万円ためました。しかし、不安定・低収入だった派遣社員時代に生活費に消え、いまは残高ゼロです。
高まる不安
路上生活に入ってからは、ボランティアの炊き出し、乾パン配布などで飢えをしのいできました。コーヒーやビールの試飲アンケートに答え、謝礼の図書券500円を470円で換金し、現金収入としてきました。「いまは顔を覚えられ、アンケートの声がかからない」と苦笑します。
就労意欲がありながら、身元保証人という壁にはね返され、ホームレスから脱出できない弘和さん。10月に入り、朝晩は冷え込む東京。弘和さんの不安は高まります。「冬の到来が怖い」
しんぶん赤旗