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【芸能・社会】

のりピー 離婚したい 涙の決意

2009年10月27日 紙面から

初公判で懲役1年6月を求刑された酒井法子被告=東京都千代田区

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 夫とともに覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で起訴された女優の酒井法子(本名高相法子)被告(38)の初公判が26日、東京地裁で開かれた。酒井被告は、「夫から勧められ、わたしの意思で使用した。大変軽率な行為でした」とはっきりとした口調で起訴内容を認めたが、自身の将来や更生に話が及ぶと、涙声に変わり、「離婚をし…」と、夫・高相祐一被告(41)と離婚する話が飛び出した。検察側は懲役1年6月を求刑。判決は11月9日午前11時から言い渡される。

 午後1時30分、東京地裁425法廷に姿を見せた酒井被告は、黒のスーツに黒のタイツ、黒いパンプスと“喪服”を思わせるような地味ないでたちだった。やや茶色がかった短めの髪を後ろで軽く束ね、保釈時より目はうつろで、やや疲れた表情。左足首や左薬指に彫られていたタトゥーも見えなかった。

 村山浩昭裁判官から職業を問われ「無職です」と小さな声で答えた。“のりピー”として一世を風靡(ふうび)したトップアイドルの面影はなかった。

 酒井被告が夫の高相祐一被告に勧められて最初に覚せい剤に手を染めたのは約4年前。当時、酒井被告はNHK朝の連続ドラマ「ファイト」に、主人公の母親役で出演するなど順調な女優活動を続けていた。被告人質問では「自分が未熟でした」と反省もみせたが「変な味がしたがスッキリした」と生々しい感想も淡々と証言した。

 その後、一度はやめた覚せい剤を去年の夏ごろから再開。「当時は生活リズムが崩れて、肉体的にも精神的にも疲れていました。私は人に期待されると頑張りすぎるので。私自身の好奇心もありました」と理由を説明。そしてその後は「多いときは月に数回使用した」と常習へとのめり込んでいった経緯も明らかにされた。

 8月3日に夫が逮捕されてからの逃亡劇についても、酒井被告は「7月30日に奄美大島で使った覚せい剤を抜こうと思った。尿から覚せい剤が出ることを知っていたので出ないようにしたかった」と供述していた。7日にテレビで逮捕状が出たことを知って警察に出頭する決心をしたことも証言した。

 覚せい剤の入手ルートはすべて夫の高相被告と証言した酒井被告。弁護人から今後の生活について問われると涙声で「夫と話し合い…私としては…離婚をし…更生するには必要」などと、途切れがちながら離婚の可能性に言及。ただ「悪いのは私です。(夫から)覚せい剤を引き離さなかった」と高相被告をかばう姿勢もみせた。

 検察官から再度離婚について問われると「そのことは主人と話すことができていません。主人と話して決めることですが、お互いに更生していかなければならないと思います」と話した。

 病気のため出廷できない継母に代わり、酒井被告の元所属事務所「サンミュージック」の相澤正久副社長が情状証人として出廷。「四半世紀、父親代わりのようなものだった。契約解除しても情の部分を断ち切るのは簡単ではない」と語る相澤副社長。それまで背筋を伸ばし、唇をかみしめるようにしてうつむいていた酒井被告の目から涙があふれ、白のハンカチで何度も涙をぬぐった。

 酒井被告は、今後は芸能界復帰ではなく、介護や福祉の仕事を目指す意向を表明した。「今後は決して覚せい剤を使用することなく、信頼を取り戻すべく一生懸命頑張ります」と述べ、裁判官、検察、傍聴席に向かって深々と頭を下げ、法廷を後にした。

 

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