2009年10月27日

鳩山友愛主義に服従しなくてはなりません

日本国憲法前文より

 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

<終了>

 

鳩山新政権が宣言した政治道徳とは、人類共通の普遍的な価値観である友愛精神です。鳩山首相は、昨日の所信表明演説でこのように宣言しました。

  

社会の中に自らのささやかな「居場所」すら見つけることができず、いのちを絶つ人が後を絶たない、しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている、そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です。


かつて、多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。<終了> 


「全く鈍感になっている」とは、「無関心」「無神経」と同義語であり、「思いやる」の反語です。つまり、これまでの社会は、個人の居場所やいのち「に無関心」であり、国民を「全く思いやって来なかった」と鳩山首相は言いたかったのです。 


友愛政治の原点は、弱い立場の(困っている)人々、少数(異端)の人々の視点の尊重であると宣言されています。つまり、鳩山政権の友愛政治道徳とは、「人間愛」「思いやり」「分かち合い」「感謝」の精神であると宣言しているのです。 


私たち国民は、選挙で正当に選ばれた国会議員が選出した、日本国の首長である内閣総理大臣が組織した内閣の決定事項に従わなくてはならないのです。政権の持つ権力とはそういうものなのです。 


権力 「他人を強制し服従させる力。特に国家や政府などがもつ、国民に対する強制力。(大辞泉)」 


つまり、日本国民は鳩山新政権が宣言した政治道徳に服従しなくてはならないのです。もちろん、意見や異見を述べる言論の自由は保障されていますが、国民が選択した友愛政治を妨害することは、まさに国賊(国家的利益を害する)的行為と言わざるを得ないのです。 


読売新聞社は、富士山の頂上を目指して歩き続ける国民の上昇気流となり得るのか、それとも守旧どころか、以前にも増して民主党に強烈なアゲインストの風をふかせるのか、小沢バッシングなどのこれまでの経緯から見て、日本国民が一番心配していることが、友愛主義の正反対の主義、思想である、読売欲動主義への「復古」なのです。 


私は、仕事には二種類あると考えています。一つ目は、人を幸福にする「幸福生産ビジネス」であり、ほとんどの仕事はこの分野に分けられます。 


もう一つは、「不幸生産ビジネス」です。人の不幸や失敗をビジネスのネタに利用するビジネスです。 


現在、酒井法子さんが「悪者商品」となり、マスコミの「不幸生産ビジネス」に利用されています。謝罪し、更生を約束しているのですから、マスコミはこれ以上の社会的制裁を加える権利などありません。 


友愛社会への第一歩は、罪を犯した者を赦すことです。過去は変えることはできません。過去の罪を一旦清算し、今の時点から前へ前へ、歩み続ける姿勢が大切なのです。マスコミはイブを惑わしたヘビのように、善良なる国民を惑わし、国民に邪悪への道に導いてはいけないのです。 


もう一度繰り返します。読売新聞は友愛政治に対し ← の姿勢ではいけません。もし、そうであれば、鳩山新政権は、「国賊新聞社」として、権力に服従するまで読売新聞を追い詰めることでしょう。 


最後に、昨日の鳩山総理の所信表明の結びの部分を記載しておきます。 


今なら間に合います。


 これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への道をたどるのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の道を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです。



 私は、日本が正しい道を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための新たな政策を推し進めてまいります。



 私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え、日本を飛躍へと導くために、全力を尽くしてまいります。



 国民の皆さま、議員の皆さま、私たちの変革の挑戦にお力をお貸しください。 


ぜひとも一緒に、新しい日本をつくっていこうではありませんか<終了>