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社説

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所信表明―理念は現実に刻んでこそ

 自分の言葉で、分かりやすく。鳩山由紀夫首相の初の所信表明演説から、そんな思いが伝わってきた。

 具体的な政策のあれこれを説明するよりも、自らの政権が目指す社会の姿を、政治の理念を国民に語りかけたいということだったのだろう。

 従業員の7割が障害者という工場の逸話を紹介した。働く側も受け入れる側も苦労は小さくない。それでも「人間は人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じる」という。

 だれもが居場所と出番を見つけることのできる社会。弱い立場、少数の人々の視点が尊重される政治。これが持論の友愛政治の原点なのだと訴えた。

 具体性がなく、ふわふわと耳に心地よい言葉が並ぶ選挙演説のようだと感じた人もいたかもしれない。だが、さまざまな格差や痛み、制度のほころびが深刻になる日本社会にあって、正面から「社会の作り直し」を呼びかけた率直さが、新鮮に響いたのは確かだ。

 首相は演説の中で、障害者を「チャレンジド」と呼んだ。試練に挑戦する使命を与えられた人という意味で、欧米で使われている。先住民族のアイヌをはじめ、新しく日本社会に加わったブラジル人にも触れ、多文化が共生する社会づくりを求めた。

 経済の厳しい状況やグローバル化の進展は、人々の心を閉ざす方向に働きかねない。そこにあえて、寛容さと開かれた社会を目指すとした時代認識に共感する。

 そんな首相に国民が次に望むのは、そうした社会をどのように実現するのか、「ハウ」を語ることだ。

 基本的な方向性は示されている。官僚依存から政治主導への転換、税金の無駄遣いの排除、「コンクリートから人へ」の予算配分の見直し、「地域主権」の確立……。

 首相は、12月末に向けて編成作業が進む来年度予算案の中身や、それを審議する年明けの通常国会で具体的な肉付けを語る心づもりのようだ。政権発足からまだ40日。しっかり準備してからという気持ちは分からなくはない。

 静岡、神奈川両県での参院補欠選挙で、ともに民主党候補が当選したことも、政権の滑り出しに対する首相の自信を深めたに違いない。

 ただ、政権を取り巻く現状は甘くはない。沖縄・普天間飛行場の移設問題をどう決着させるか。経営危機に陥った日本航空の救済はどうするか。切迫した政治課題が目白押しだ。かじ取り次第で、国民の視線が批判に転じかねないことを覚悟すべきだろう。

 郵政民営化の見直しにしても、あるいは首相自身の虚偽献金疑惑にしても、政権を率いる首相の明確な説明が待たれている。

 明日から始まる国会論戦は、理念や志だけでは乗り切れない。

教員養成6年制―まず教職大学院の拡充を

 先生の力量をどう向上させるか。これからの学校に求められる先生像とは何か。鳩山政権の教育施策の柱の一つ「教員改革」議論が動き出した。

 文部科学省は、小中高などの教員養成期間を6年に延ばし、大学院で修士課程をおさめることを条件とする制度の検討を始めた。教育実習にも1年をかけるという。自公政権下で今春から導入されたものの、効果が疑問視されていた教員免許更新制は、来年度限りで廃止する方針だ。

 先生に降りかかる問題は複雑化し、必要な知識や技量は高度になっている。専門性と実践力を兼ね備えた修士の先生を増やすことには賛成したい。ただ一足飛びに教員免許の要件とするには課題が多すぎないか。

 免許取得に6年もかかると、教員志望者が減る恐れがある。大学院まで出ても採用されるかどうかわからないからだ。学費も重荷になるだろう。

 6年間続けて理論を深めるだけでは、すぐに現場で役立つとは限らない。実践力をつけるために実習に1年もかけられれば理想的だが、受け入れる現場の負担は並大抵ではない。

 まずは大卒で免許を取って現場へ出て、何年か経験を積んだのち、また大学院で学ばせるような制度の方が現実的であり、効果的かも知れない。

 昨年から、授業づくりや学校運営のリーダーを育てる場として「教職大学院」が始まった。大学新卒者が進んだり、希望する現職教員が休職して通ったりしている。全国に24校、院生はまだ1300人足らずだ。

 この教職大学院の拡充から始めてみてはどうか。修了者の採用や待遇、現職教員の入学については各教育委員会が配慮する。奨学金を用意する、といった支援策も必要になろう。

 学校現場では「やる気の20代、行動力の30代、企画力の40代、まとめ役の50代」という。経験年数に応じて課題も変わる。教員養成は採用や研修のあり方とも一体で考えたい。社会人経験者をはじめ多彩な先生を学校に引き寄せる工夫もしてほしい。

 同時に、教える環境の充実も議論するべきだろう。

 現役の先生たちからは、日々雑務に追われる嘆きが聞こえる。そのゆとりのなさが指導力低下につながっている面もある。大学院に入ることを含め、先生たちが勉強する余裕を持つためにも教員の数を増やす必要がある。

 不適格教師排除の議論から始まった免許更新制のように、先生の尻をたたくだけでは教育の質は高まらない。せっかく指導力をつけても、現場に余裕や裁量の余地がなければ生かせない。

 情熱を持った優秀な若者が先生をめざして競う。子どもとともに先生も、のびのびと学び、教えられる。そんな改革を目指したい。

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