もう12時か、
2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 [PR]FLASHゲームコミュニティー「モゲラ」[PR]  

ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 7

1 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 13:34:51 ID:bO/ddsYi0
民主党鳩山由紀夫党首の妻、幸夫人に注目するスレです。
次スレは950で立ててもらえると友愛でなんたらかんたら。

過去スレ
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 6
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255045597/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 5
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1254385095/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 4
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255045597/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 3
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1253026097/l50


9 :週間文春 9月24日号 @:2009/10/14(水) 13:42:36 ID:bO/ddsYi0
鳩山幸 元夫・田浦新一朗氏が実名告白 私を裏切った由紀夫くんと幸へ
週刊文春2009年9月24日号

小誌は9年前、鳩山幸夫人の前夫の義兄、ジェームス坂田氏の手記を掲載した。
そこには、義弟の妻を奪い、その家庭を壊した、およそ「友愛」とは程遠い由紀夫氏の行状が綴られていた。
そして今回、前夫の田浦新一朗氏本人が、ついに重い口を開いたのである――。

▲「お金がある人じゃないとダメなの」が口癖
▲昔から有名人好き
▲謝罪は母・安子さん任せ 

「九州にいる親戚から昨日電話がかかってきました。幸がファーストレディになるからテレビに
出まくっているけど、相変わらずチャラチャラしてるよ、やだねぇ≠ニ……」
こう話すのは田浦新一朗氏(72)。
サンフランシスコ郊外に在住する田浦氏は、鳩山由紀夫首相婦人・幸さん(66)の前夫だ。

彼女の略歴を『朝ズバッ!』(TBS系、9月7日放送)ではこう伝えている。

●1961年 宝塚歌劇団入団
●1967年 宝塚を退団。ダンスの勉強をするためアメリカへ留学
●1975年 アメリカ留学中の鳩山由紀夫氏と出会い結婚
運命的に出会い、熱愛のすえ結ばれたように見えるが、この結婚はそんなに美しい物語では決してなかった。
なぜなら二人の結婚は不道徳な略奪婚だったからである・・・・・・。


10 :週間文春 9月24日号 A:2009/10/14(水) 13:43:45 ID:bO/ddsYi0
実は小誌は9年前にも田浦氏に面会している。

田浦氏の義兄のジェームス坂田氏が
「総理を狙う男を告発!義弟の妻を奪った輩を許さない 初めて明かす鳩山由紀夫の不道徳な略奪婚=v
(2000年10月12日号)に手記を寄せた。

そのとき田浦氏は、
「今は幸も私もそれぞれ家庭がありますから、昔のことはお話しするつもりはありません。それに男と女のことですから」
と言っていた。

そしてこう続けた。
「義兄と姉は、由紀夫君が30年以上前サンフランシスコでしたこと≠現在も許せずにいます。
由紀夫君が市井(しせい)の人ならば、昔のことを公にする必要はありませんが、現在、由紀夫君は総理を
狙う政治家というではありませんか。ならば、過去のことを日本の方々に話したいという義兄の気持ちに、
反対する理由はありません」

当時、由紀夫氏は民主党代表。
森喜郎政権の支持率が低迷していたこともあり、次期総理の有力候補として名前が挙がっていた。
あれから9年の月日が流れ、いよいよ鳩山政権が誕生した。


11 :週間文春 9月24日号 B:2009/10/14(水) 13:47:40 ID:bO/ddsYi0
◆間男に総理は務まらない◆

9年前の取材の折に、坂田氏は憤りを露わにし、「間男をするような男、泥棒に総理大臣は務まらないでしょう」
と吐き捨てていた。

その坂田氏も5年前に他界した。
「義兄があのとき発言したことを鳩山夫婦が真摯に受け止めてくれることを願っていたのですが、最近の様子を
聞くと、どうやらそういうこともないようですね」(田浦氏)

坂田氏の手記を簡単に振り返ろう。
70年、東京大学卒業後、スタンフォード大学に留学することになった鳩山氏。
知人の紹介で、日系2世の坂田氏一家が、鳩山氏の慣れない外国暮らしのアテンドをすることになった。

当時坂田氏はサンフランシスコで日本料理店「蝶々」を経営。
そこで手伝っていたのが、田浦氏と嫁の幸さんだった。
翌年、由紀夫氏と幸さんの密会が目撃されるようになる。

◆食事代もチップも払わない◆

坂田氏の夫人・ノリコさんが証言する。
「主人のもとに、弟の家の近所に住む日本の会社の駐在員の奥さんから、弟の留守中に不審な男が
出入りしているという内容の手紙が送られてきたのです。
散々考えた挙げ句、主人が元CIC(米軍諜報部隊)の情報局にいたシュワルツさんにお願いし、2人を尾行してもらいました。
1週間後に届けられた報告書には、幸と由紀夫君が、彼のムスタングでホテルに行ったなど詳細が報告されていました」

その後、幸さんは計画的に田浦氏の家を出て、鳩山氏と同棲。
以来、今日に至るまで、詫びはおろか連絡も一切ない。


12 :週間文春 9月24日号 C:2009/10/14(水) 13:48:52 ID:bO/ddsYi0
坂田氏の手記より。
<昔から「添え膳食わぬは男の恥」という言い方もありますが、一宿一飯の世話になった男の嫁に関しては、
話は別というのが常識でしょう。(中略)由紀夫氏には、そういったモラルが完全に欠如している>

ノリコさんが続ける。
「当時お店の休みは日曜日だけでしたが、私たち夫婦は留学してきた由紀夫君のために車で一時間ほどかけて
スタンフォードのあるパロアルトまで行き、お弁当を届けていました。
ときどきは店にもみえてましたが、食事の代金もチップも一度も払うことはなかったです。
お金持ちのお坊ちゃまはそういうものなんでしょうか。
これでは庶民の気持ちなんてわからないでしょうね」

幸さんについては、
「店の従業員の女の子と、とにかくうまくいきませんでした。
いただいたチップの取り分が原因で揉めたことも一度や二度ではありません。
恐らく、いつでも自分が一番目立ちたいという性格が災いしたんでしょう。
店には有名人のお客様も多く、訪米時には空港まで迎えに行っていましたが、そういうときはいつも張り切っていましたね。
森繁久彌さんがいらしたときに、私の着物を貸しましたが、いまだに返してもらってません。
私お金がある人じゃないとダメなの≠ニ口癖のように言っていました」


13 :週間文春 9月24日号 D:2009/10/14(水) 13:49:53 ID:bO/ddsYi0
ノリコさんも最近、テレビの国際放送などで、幸さんを目にすることが増えた。

「相変わらずのようですね。
幸は人生には無駄がありません。前夫の家が料理屋で、そこでお料理を学んだおかげで、今お料理の本を出したりできた
と言ってましたが、彼女が厨房に入って料理をしたことは一度もありません。
彼女の仕事はいらしたお客様をテーブルまで案内するのがほとんどでした。
もともと幸は知人と一緒に突然シスコにやってきて、3日目から弟の部屋に入り浸ってしまったんです。
困った弟は別の部屋で寝ていました」

翌年、田浦氏は幸さんに押し切られる形で結婚する。
しかし、前述のように従業員とのいざこざが絶えず、坂田氏は幸さんに店を辞めさせた。

当時のことを幸さんはこう振り返っている。
「私は家を出ます、って言ったの。
(中略)贅沢な話だと言われるんですが、それまでの結婚は自由でしたが生活感がないというのか。
お金を手にしないでもサインとカードで暮らせるアメリカ生活に物足りなさを感じていたんです。
自分で給料をもらって、その中でやりくりをするようなことがしたかった」
(『週刊朝日』95年12月15日号)


14 :週間文春 9月24日号 E:2009/10/14(水) 13:50:42 ID:bO/ddsYi0
◆葬儀に花を贈った弟・邦夫氏◆

ノリコさんが続ける。
「当時のアメリカはまだカード社会ではありませんでした。
幸は昔から、自分をよく見せるために、ストーリーを作ることが多かったですね」

由紀夫氏との出会いについて、幸さんが語っていることにも、事実とは異なる点があるという。

幸さんの説明。
「今度この人がアメリカに行くからよろしくね、という感じで里帰りで初めて会ったのね。
あたし別に興味なかったんだけど。
世の中偶然がないからね、これが必然で赤い糸だったって思うのが、同じ飛行機で(シスコに)行ったのね。
1年くらいしてからダウンタウンを車で走っていたら彼を見かけて、これが2度目の出会いね。
それから毎週シスコに出てくるようになって、私が食事を作ってあげて・・・・・・」
(テレビ東京『美女放談』での発言より)

ノリコさんが言う。
「幸が初めて由紀夫君に会ったのは、私たちと一緒に由紀夫君を迎えに行った空港だったと思います」


15 :週間文春 9月24日号 F:2009/10/14(水) 13:51:44 ID:bO/ddsYi0
◆前夫から最後のメッセージ◆

田浦氏も、
「偶然っていうのはそんなに重なるものなんですかね(苦笑)。
私が最初に由紀夫君に会ったのは、たしかに知人の紹介で東京でしたが、その時は幸はいませんでした」

自身の都合のいいようにストーリーを展開するというのは幸さんのみならず、由紀夫氏も同様のようだ。
75年3月、鳩山夫妻は結婚。

当時のマスコミには鳩山家の御曹司がバツイチの女性と結婚するというので、随分書き立てられた。
不義理の末の駆け落ちと報じられたが、由紀夫氏は、
<それは間違いです。僕も彼女もなるべく円満に事を運ぶために、忍耐強く、時間をかけました>
(『週刊新潮』75年4月10日号)

しかし鳩山夫妻は、幸さんが田浦家を出てから一度も、田浦氏はもちろん坂田夫妻と話し合う機会も持とうとしなかった。

「由紀夫君のお母さまの安子さんが、二人の結婚式のときにお詫びにおいでになっただけです。
主人が亡くなったときに、弟の邦夫さんからはお花をいただきましたが、由紀夫さんからは連絡すらありませんでした」
(ノリコさん)

坂田氏は手記の最後に自身の思いをぶつけている。
<モラルのない人間が政治をやると、それはただの『政治屋』になってしまいます。
先の大戦で無辜の民を苦しめた日本の政治家は、依然として同じ体質なのでしょうか。
(中略)こんな男に国をまかせておいていいのか・・・・・・>

渡米して50余年が経つ田浦氏も、遠い異国で日本の行く末を憂えている。
困ったことが起きると雲隠れし、挙げ句母親に詫びを入れさせる。
そんな男が日本の首相の座につく。


16 :週間文春 9月24日号 G:2009/10/14(水) 13:53:22 ID:bO/ddsYi0
「最近読んだ『白州次郎 占領を背負った男』(講談社)という本に、こんな一節がありました。
主義主張を異にする自社両党が政権のために連立するのは政党政治の本領に反し、ひいては両党のためにもなるまい=B
昭和22年、吉田茂の自由党が片山哲率いる社会党に第一党の座を明け渡したとき、片山は単独で政権を担う自信が持てず、
自由党からも閣僚を送ってほしいと申し出たのですが、そのとき吉田茂は、こう言って申し出を断ったのです」

田浦氏は、男なら由紀夫氏も、このくらいの覚悟を持ってほしい、という。

一方、幸さんはアメリカの新聞「サンフランシスコクロニクル」に、<エキセントリック・ファーストレディー>
として取り上げられている。

田浦氏が言う。
「幸夫妻が以前、テレビ番組『料理の鉄人』に出ている姿がこちらの日本語放送でも流れましたが、ああいうことは
これからどうかと思います。
アメリカのファーストレディーはボランティア活動にも積極的に取り組んでおり、また夫の外遊にも同行ししっかりと
内助の功を果たしています。
きちんとしたファーストレディーになってください。それが今の私が唯一彼女に言いたいことですね」

民主党が第一党になった翌日、スポーツニッポンの手記に「家庭を守れない者に国は守れません」と、幸夫人は書いた。
かつて人を傷つけた自覚があれば、こんな言葉が軽々しくでてくるはずがない。

<終了>
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun090924.htm


277 KB [ 2ちゃんねる 3億PV/日をささえる レンタルサーバー \877/2TB/100Mbps]

取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :


read.cgi ver 05.0.7.3 2008/07/26
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)