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行橋名物「かしわめし」の老舗閉店

2009年10月17日

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歴史を感じさせる小松商店。シャッターには「貸店舗」の張り紙が=行橋市中央3丁目

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小松商店の「かしわめし」の掛け紙

■小松商店、のれん下ろす
 売り上げ激減、後継者なく

 100年以上前から行橋名物の駅弁「かしわめし」を製造、販売してきた行橋市中央3丁目の小松商店が8月いっぱいで閉店した。昨年11月、4代目社長の小松国子さんが86歳で急逝し、養女で5代目社長の小松とし子さん(67)が切り盛りしてきたが、後継者がいないのと、時代の波に抗しきれなくなり、やむなく店を畳むことになったという。(安楽秀忠)

 小松商店は、行橋駅ができた1895(明治28)年に創業。当初は小松滋養亭の屋号で駅弁を売っていた。一つ30銭だったという。

 行橋では、同年4月に九州鉄道(現JR)の小倉―行事(行橋市)間が、同8月には豊州鉄道田川線(現平成筑豊鉄道)の行橋―伊田(田川市)間も開通し、両鉄道の共同停車場として行橋駅ができた。

 豊州鉄道は田川からの石炭輸送を目的に造られ、1897年には行橋―柳ケ浦(大分県)間が開通したのに伴い、行橋駅は九州鉄道との分岐点として大きな役割を担った。人の往来が盛んで、駅弁も飛ぶように売れた時代だったという。

 1966年に小倉―新田原(しんでんばる)(行橋市)間が電化され、列車が蒸気機関車から電車に代わり始めた頃から、停車時間が短くなり乗客も先を急ぐようになった。時代とともに寝台列車が姿を消し始め、駅弁の売り上げも下降線をたどるようになったという。

 それでも、90年の福岡国体に合わせ、行橋名産のシャコを使った「しゃこ寿司(ず・し)」を売り出し、駅弁ファンをうならせた。小倉駅の新幹線コンコースでも営業し、「かしわめし」とともに人気商品だったという。

 また、地元での会合や催しなどの際の折り詰めは、小松商店の仕出し弁当が定番になっていたといい、「周防灘のかほり」や「四季の味」なども手作りの本格的な弁当として行橋市だけでなく京築地区の人々に親しまれていた。

 小松さんは小松商店に入って48年になる。従業員は65年ごろに約40人いたが、75年ごろには25人、駅構内の売店を撤退した3年前には12人に減った。小倉駅構内の撤退とともに売り上げが激減し、弁当だけではやっていけなくなったという。

 同じ行橋駅の構内業者仲間として祖父母の代から付き合いがあるという太陽交通社長の堀貫治さん(60)は「後継者がいないし、社長も体調がすぐれないとのことで仕方ない。老舗(しにせ)中の老舗だけに、伝統の味が消えてしまうのは残念でならない」と話す。

 インターネットのサイト「駅弁の小窓」の管理人でもある静岡県三島市の高校教諭上杉剛嗣(つよ・し)さん(49)は「小松商店さんのかしわめしは、味のついたご飯がおいしくて、スライスしたかしわ肉の歯ごたえといい、量も多いのに安い、と駅弁愛好家には大好評だった。時代の流れだろうがとても寂しい」と感想を語った。

 小松さんは「調理室はそのままで、使えないこともない。後を引き継いでくれる人がいれば、協力は惜しまない」と話している。

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