わたしは、彼を起こして、別室で話をした。
「あのさぁ、どこをどれだけ殴ったか、正直ぜんぜん憶えてないんだよ。頭、ぶった?」
「ぶったかな……でも、グーではぶってないよ」
「子どもの頭は柔らかいからね……突き飛ばしたときに、どっかの角に当たったりしなかった?」
「しなかった、と思うけど……」
「でも、あれ、ヤバイよ。打ち所が悪くて脳を損傷しちゃったか、怒り過ぎて精神を破壊しちゃったか……湘南鎌倉総合病院に行って、頭部のMRIを撮ってもらおう。叩いたって言うと厄介だから、ホテルのベッドの角に打ちつけたとか言ってさ」
寝室に戻ると、息子は寝足りたような顔でわたしを見あげ、「起きる?」と訊いてきた。
しばらく様子を見ていたが、奇妙なことを口走る気配はなく、目の焦点もわたしの顔にぴったり合っている。
額に手を当てると、少し熱い気がしたので体温を測ってみた。
三十七度五分。
朝これだけあるということは、昨夜は三十八度台だったのかもしれない。
二日つづけて雪のディズニーランドを歩かせたから、きっと風邪をひいたのだ。
でも、もし、脳の損傷だったら──、という可能性を考えると、病院で検査を受けさせるのが最善だろう。
MRIの結果は、異常なし──。
会計窓口前の長椅子に座って息子の名前が呼ばれるのを待っていたとき、
「あ!」と思いついた。
爪切りだ!
昨日の朝、息子をホテルのベッドに座らせて手と足の爪を切ってやった。
わたしの父から譲り受けたゾーリンゲンの爪切り──、父は自分が身に付けたり、自分が使用する道具は、すべて渡来製の高級品を揃えていた。
爪切りはゾーリンゲン、ヘアブラシはメイソンピアソン、香水はディオール、万年筆はモンブラン、ライターはダンヒルという具合に──。
わたしは、東の爪も、息子の爪も、父からもらったゾーリンゲンの爪切りで切ってやった。
パチン、パチン、と爪を切りながら、息子が赤ちゃんだったころから同じ言葉をくりかえしている、子守唄のように──。