五年前から、ネットを通して知り合った十五歳下の男性と同居している。
この五年間は、十代のころから患っている鬱が再燃し、眠れない、起き上がれない、書けないの三重苦で、生活も困窮を極めていたのだが、気がつけば、母のように、大変な無理をして、息子を進学塾に通わせている。
わたしは算数が苦手だった。
塾の模試では、算数の偏差値だけ目立って低かった。
母はキャバレーに出勤する前に、算数の問題を解くわたしのとなりに座り、間違った答えを書くたびに、はたき(わたしたちは「ムチ」と呼んで怖れていた)の柄で、鉛筆を持つわたしの右腕を打った。
打ち過ぎて、竹が割れて線状になり、腕は血が滲んでミミズ腫れになったが、母は、わたしが正解を出すまで許してくれなかった。
二〇〇八年六月に起きた秋葉原通り魔事件の犯人の母親は、作文を書く小学生の息子のとなりに座って、一文字でも間違えたり、汚い文字を書いたりすると原稿用紙をゴミ箱に捨てて書き直しを命じ、「この熟語を使った意図は?」などと訊ねて「十、九、八、七……」とカウントダウンをはじめ、〇になるとビンタをした、ということが犯人の弟の手記によって明らかになったし、二〇〇六年に、自宅に放火して継母と弟妹三人を殺害した十六歳の少年の父親(医師)は、勉強部屋を「ICU(集中治療室)」と呼び、小学校のころから付き切りで勉強を教えて、体罰などで少年を追い詰めていたことが報道された。
一九九七年に神戸連続児童殺傷事件を起こした当時十四歳だった少年は、小学三年のときに母親のことを作文に書いている。
「お母さんは、やさしいときはあまりないけど、しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、あたまから二本のつのがはえてきて、ふとんたたきをもって、目をひからせて、空がくらくなって、かみなりがびびーっとおちる。そしてひっさつわざの『百たたき』がでます。お母さんは、えんま大王でも手がだせない。まかいの大ま王です」
殺人事件に発展した例を挙げずとも、「教える」という一方的な行為(押し付け)によって、自分と子どもとの距離を見誤り、芽生えたばかりの子どもの自我を踏み潰してしまう親はたくさんいる。
わたしは学歴信仰を持っているわけでもないし、「うちの子はのびのびと育てている。将来は、自分を活かせる仕事に就いてほしい」と言いながら、実際は学校(社会)の秩序と一体化して我が子を鋳型に嵌め込む親たちを軽蔑してきた。
しかし、いざ自分の息子を前にすると、どうしても適切な距離を保つことができないのである。