第142号 2004(平成16)年4月20日

大 学
退職者のことば

 「卒業」ということ
大学教授 野  清
 子どもの出した問い、「歴史は何の役にたつの」(マルク―ブロック)に自問自答を重ねながら、歴史を講じて30年あまり学院での大学生活を送ってきました。いま研究室整理、卒業式の参列を経て、わたくしも、学生諸姉とともに卒業なのでしょうか。でも、広く視野を広げながら、仕事を継続していきたいと念じています。
  思い出は、春の桜、さつき、あやめ、夏の夾竹桃、秋の銀杏などの「牛田山の自然」。キャンパスの中の小川のせせらぎは、登下校のおり、しばしば歴史や人生にもなぞらえてみました。大雨のあとは一転して急流となりました。その下流近く、長年、夢とも思われた新図書館が現実に形をあらわしました。輝かしい大学の未来を示してくれるでしょう。「内側はまだ」(ゲーンス先生)という言葉も浮かんできます。広島女学院の一層の発展を祈念します。



 思い浮かぶこと
大学教授 大里  巖  
 広島女学院大学には19年間お世話になった。振り返ってみれば、たくさんの思い出が浮かび上がってくる。  月日が経つにしたがって、私が広島女学院に愛情のようなものを感じ、それがだんだんと大きくなっていった。どうしてなのかと考えてみると、このキャンパスが長い歴史の中で築いてきたスクールカラーのようなものに行き当たる。人に対する優しさや温かさを自分自身感じてきたし、教員や職員の学生に対する態度にも感じてきた。それは一人一人の人間を大切に思い、大事にする心配りといってもよい。その背後に何があるのかといえば、やはり広島女学院を育て上げてきたゲーンス先生や宣教師の方々の人間性があり、根底にはキリスト教の霊性が体現されていたのだと思う。
 こうした校風が肌にあってか、私には広島女学院はまことに相性のいい勤め先であった。
 楽しく過ごさせていただき、いま感謝の気持ちでいっぱいである。


 ごきげんよう
大学教授 坂本 公延  
 教員生活も本年で終わりです。大阪工業大学で6年半、広島大学で29年半、そして本学の9年間です。晩年の研究が充実できたのも広島女学院大学の図書館と研究費と牛田山の四季の美しさのお陰だと感謝しています。
 人にはご恩を受けた人が必ずいるのですが、私の場合も、両親を別にして、10人を越える方々です。特に、生涯に17冊の著書を出版された矢本貞幹先生の学恩が、今しみじみと思い出されます。学んだのは、人生と学問における「一途さ」です。「尊敬できない人の下では働けないのです」と阪大を辞職されたのもこの「一途さ」からの判断だったと思います。
退職後は何をやるのか、とよく尋ねられるのですが「天の声を聞く」と答えています。さて、どのような声が聞こえてくるのでしょうか。未知の世界です。


 広島女学院に感謝
大学主任実験実習助手 山手万知子
 ついにこの時がきました。中高生として勉学に励んだ六年間を、社会人として大学に勤務させていただいた37年間を、お世話になりました広島女学院を去る時がきました。長い間本当に有難うございました。
 大学での仕事は化学関係が主で、化学科出身の私には大学時代の延長といっても過言ではなく、ピペット、ビューレット等ガラス器具、ガスクロマト、液体クロマト等の機器を取扱う実験の日々は違和感のない楽しいものでした。
 そして、在職中に創立100周年を迎えた事は幸運でした。『牛田山の自然』を調査し、その結果を本にまとめるプロジェクトが組まれました。私も一員に加えられ、きのこのフロラ調査に当たりました。以後、きのこ学が私のライフワークとなってしまいました。
 この様な人生に導いてくださいました広島女学院に心より感謝します。併せて、広島女学院の益々の発展をお祈りします。



 大学の皆さんと 自然に感謝
大学教授 重信 陽二  
牛田山のほぼ中央の山麓に小川を挟んで位置する広島女学院大学キャンパス。その北と西側を国有林に囲まれ、大学の建造物や道のほとり、草地、林縁や林内に、四季折々の自然種や栽培種が花を咲かせ、私たちの心を和ませてくれる。都市の中にあって、これほど自然種が現存するのは珍しい。スミレ、アキチョウジ、ヤマシロギク、コナスビ、オカトラノオ、及びアカマツの自然種や栽培種のシマフムラサキツユクサを卒論研究材料に供することができた。研究成果の一部は国際学会誌に発表できた。
 これら実験材料の栽培管理のために、赴任当初、ミニ植物温室や簡易花壇を造ってくださった大学事務局の方々に心からお礼を申し上げたい。
  在任10年の大学を離れるにあたり、今後、広島女学院大学の益々の発展を祈念すると共に、大学の皆様と自然への感謝の気持ちでいっぱいである。



 ありがとう
幼稚園教諭 藤井 直子
 長いようで短かった10年間。ゲーンス幼稚園で過ごした時間は私の人生の中の宝物のひとつとなりました。多くの子どもたちとの出会いの中でたくさんの優しさと強さをもらい、私自身が成長できたことを心から感謝します。そして保育者として、一人の人間として子どもたちに育ててもらった10年間を忘れません。子どもたちと生活する中で、共に笑い・支え合い・時にはぶつかり合いながらもお互いに信頼関係を持ち、心を通わせることの喜びは何ものにも代えられない財産です。
 穏やかな空気と幸せな時間が流れているゲーンス幼稚園、たくさんの愛に包まれて育つ子どもたち…、こんなに素敵な幼稚園で過ごせたことは幸せなことでした。  ゲーンス幼稚園に溢れている幸せが 世界中に広がりますように!!
 ありがとうございました。



 感 謝
幼稚園教諭 福田 容子
 四季の自然を体全体で感じることのできる素晴しい環境の中、笑顔の素敵な子どもたちに囲まれ、7年間広島女学院ゲーンス幼稚園でお世話になりました。日々、子どもたちの観察力、発見力、創造力、表現力には驚かされてばかりでしたが、本当に楽しい毎日を過ごさせていただきました。共に喜び、驚き、悲しみ、感動しながら私自身も大きく成長することのできた7年間でもありました。また、温かい保護者の方々、教職員に励まされ支えれたからこそ今日の私があるのだと思います。長い間お世話になり、本当にありがとうございました。子どもたちからもらったたくさんのエネルギー、パワーを胸に、今ある自分をしっかりと見つめながら4月からの新しい生活をスタートさせたいと思っております。
 最後になりましたが、広島女学院の益々の発展と皆様のご多幸をお祈り申し上げます。



 退職するに あたって思うこと
大学実験実習助手 三谷 紗苗
 8年前の4月、希望と少しの不安を胸に広島女学院大学に入学しました。そして、6年後今度は職員として、広島女学院にお世話になることとなり、再入学をするかのような気持ちで正門をくぐった時のことを今でも覚えています。
 合計6年間通わせていただいた間、春の桜をはじめ校内の自然は美しいままで変わらず嬉しく、一方、旧幼稚園がとり壊され、快適な駐輪場になったり、学生の頃はまだ使用されていた若葉寮が消え、新しい図書館が建設中であったりと、より豊かな学生生活が送れるよう、時代と共に変化している様子も感じとれました。
 母校で働けることは幸せなことであり、そういう機会を与えてくださったことに感謝しています。広島女学院大学の益々の発展をお祈りします。



 私の卒業
中高教諭 三浦 須満子
 今年の3月1日・卒業の日に遠方から花が届けられた。昔の卒業生から私への「卒業祝い」だった。昨年末彼女から「先生も間もなく御卒業ですね」とさり気なく労いの手紙が届いたばかりだったが、思いがけない贈り物に心がはずんだ。数日して、昨年の卒業生がひょっこり花を持って現れた。あれやこれやで日頃は殺風景な私の部屋に、今は花があふれている。
 思えば、こういう生徒たちに私が育てられて過ごした広島女学院の38年だった。初めて広島女学院に足を踏み入れた時、公立で育った私は強い違和感を感じた。私立の女子校というのは別世界だったし、間もなく学園紛争の洗礼も受けた。病気や挫折感を超えて長いマラソンを完走できたのは、ひとえに生徒の皆さんや先生方の支えあればこそと深く感謝しています。長い間、ほんとうにありがとうございました。



 すべてに感謝
中高教諭 瀬田 哲朗
 東京での4年間の大学生活を経て、故郷広島の地で、1966年に広島女学院に就職し38年が経過しました。この間、良い職場・仲間・生徒・保護者に恵まれ楽しく仕事をすることができました。本当にありがとうございました。
 長いようで短い38年間でした。この間に学校の様子環境もずいぶん変わりましたし、生徒・保護者の考え方も変わっていったと思います。もちろん私自身も年齢とともに考え方・行動の仕方など変わっていきました。しかし、その時々において多くの人に迷惑をかけ、また支えられて今日を迎えることができたと思っております。
 今後も広島女学院のことを考え何か役に立つことがあれば、お手伝いをさせていただきたいと思っております。



 退職にあたって
中高教諭 渡部 洋夫
 広島女学院に勤めて38年、アッという間に過ぎた感じがします。
 38年前には2階物理地学室の窓から特別な思いで見下ろしていた泰山木は、戦後の荒地に植えられたにもかかわらず、成長を続けて、毎年梅雨時に大きな花をつけ心を和ませてくれました。その木も3階音楽室を越える高さにまで成長しています。
 38年の間には幾度か危機もありましたが、諸先輩や同僚の温かい見守りと助けに支えられて、なんとか無事に(?)定年まで勤めさせていただきました。深く感謝いたします。
 また、高校時代の友人たちから「渡部さんはいつまでも若いですね」とよく言われます。中学生や高校生に接しているからだと思い、少し得をした気分になります。広島女学院で教員生活を全うできたことは幸せでした。
  広島女学院の益々の発展をお祈り申し上げます。最後にもう一度、長い間お世話になりましたことを心より感謝いたします。



 感謝をこめて
中高教諭 正木 昭子
 38年と中高6年間を加えて44年間も、広島女学院でお世話になったことになります。その間、多くの教職員・生徒・保護者の方々に支えていただきましたことを深く感謝いたします。
 「昔の広島女学院はどうでしたか」とよくきかれます。たしかに40数年の間にはさまざまな喜ばしいこと、残念なことがありました。学校体制、カリキュラムはもちろん、学校の雰囲気や生徒の気風も時代とともに変わってきました。一面、あまり変わってないことも多くあります。聖書・礼拝を大切にするのは当然ですが、すてきな女性に育ってほしいという願いも変わっていないことの一つだと思います。明るさ、人のよさ、しなやかな感性などこれからも大切にしてほしいと思います。
 言い尽くせない感謝とともに、広島女学院の益々の発展と、広島女学院に連らなるすべての人々の御多幸をお祈りします。



 退職にあたって
中高教諭 造賀 寿則
 この度、35年の長きにわたり勤めさせていただいた広島女学院中高を定年退職することになりました。35年前といえば大学紛争が最も激しい頃でしたが、運良く2単位地学が必修になるということで採用されました。それ以後35年間、地学教育一筋でやってきましたが、理科離れといわれる昨今、全国的に地学選択者が少なくなっていることに一抹の不安を覚えています。
 退職後は、田舎で田畑を耕し、山の手入れをしながら暮らしたいと思っています。
 長きにわたり勤めることができましたのも、教職員の皆様や多くの卒業生の皆様のおかげと深く感謝しております。誠に有難うございました。
 最後に、広島女学院の発展と皆様の健康を心よりお祈り申し上げます。



 別れも大切に
中高教諭 オーヤンヘ
 出会いがあれば、別れも必ずあります。私たちは、この世との別れのその時まで一日一瞬を大切に生きていく為に、神さまから人としての生命をいただきましたが、それと同じく、広島女学院を退職する時までしっかり働きたいと、今あらためて思います。
 ゲーンス先生には、子どもはいませんでしたが、志を継ぐ生徒がいました。今では「愛の技に努め励んで」いる卒業生たちが世界各地にいます。私も4月から、「教師の卒業生」として仲間に加わっていきたいと思います。広島女学院で学んだことが卒業後に花開いていくと信じているからです。どんな形でどこに居ても、私たちは広島女学院の一員です。
 楽しい日々をありがとうございました。



 ありがとう広島女学院
中高常勤講師 大年 文子
 広島女学院での1年間は、振り返ってみるとあっという間に過ぎてしまったような気がします。でもとても充実した1年間でした。
 戸惑うことも多かったですが得たものもたくさんありました。中でも心に残っているのは、社会人1年生の私を暖かいまなざしで教え導いてくださった諸先生方と、明るくおおらかな広島女学院生との出会いや繋がりです。皆さんのおかげで、社会の荒波を乗り切っていく術を、カケラなりともつかむことができたと思います。手を合わさずにはいられないほど、私を励まし、未熟な私を成長させてくれためぐりあいでした。
 今後は広島女学院で学ばせていただいたことを糧に、自分を磨いていきたいものです。
 今まで本当にありがとうございました。
 最後になりましたが、広島女学院の益々の繁栄をお祈りいたします。



 ありがとうございました!
中高事務部 木下 美穂子
 桜の花がポップコーンのように真っ盛りの心弾む季節、期待と不安で胸をドキドキさせながら中高校の門をくぐったのは3年前でした。
 私はこのたび、妊娠、出産、育児のために退職いたします。大好きな皆様と離れるのはとても寂しいことです。けれども、皆様の温かいお言葉と笑顔が何よりの心の支えであったこの3年間の記憶は一生忘れることはできません。この素晴らしい職場で働ける機会に恵まれたことを本当に感謝しています。
 そして、元メジャーリーガー新庄選手の言葉を拝借すると、未熟な私が優秀な先輩方の中で`記録aをつくることは難しいことでしたが、私という者がいたという`記憶aが皆様の中に残っていたとしたら、最高に幸せです。
 私は、人と人との繋がりを勉強させてくれた広島女学院での3年間を、一生の宝物にしたいと思っています。


 余 報
 2003年度は、記載の16人の方々のほか、次の3人の方が退職されましたが、年度の途中であったりしましたので、ご挨拶に代えてお名前など記させていただきます。
中野陽子さん(生活科学部専任講師=徳島大学へ) 2003年9月30日付
礒合真弓さん(大学総合研究所特別専任研究員) 2003年11月30日付
柴崎芳子さん(法人・大学事務局経理課課長=定年=) 2004年3月31日付



 新 任 者 紹 介
 4月1日、広島女学院は、新たに20名の教職員の方々をお迎えした。各校部において今後大いにご活躍され、よき伝統を継承されることを期待する。新任式後の写真と共に簡単ではあるが、みなさんのご紹介をさせていただく。 (順不同、敬称略)

6列目左から川鍋、安宅、工藤、貝野
5列目左から島田、加藤、藤村、川上、円内 M井
4列目左から三好、柳谷、橋、中藪
3列目左から林、辰川、田頭
2列目左から内田、吉田、湯川、石井
1列目左から黒瀬理事長補佐、勝部校長、西垣理事長・院長・学長、鈴木園長







@氏  名 A所属・配属先 B職名(担当授業) C就任にあたっての抱負

@吉田 幸子 A大学文学部英米言語文化学科 B特任教授(英文学・米文学) C広い視野からイギリス文学、アメリカ文学を見ていき、文学の素晴らしさをみんなに伝えたい。

@内田 信正 A大学文学部人間・社会文化学科 B特任助教授(教職論・生徒指導等) Cその時、その場でできる事やらねばならぬことを、一所懸命やることをモットーにしています。教師を養成する仕事は、今まで私の過去携わってきた採用・研修を活かせることのできる場と心得ます。

@石井 三恵 A大学生活科学部生活デザイン・情報学科 B助教授(ビジネス論)C「共に学ぶ」という姿勢を保ち、楽しく対話していきたいと思います。

@湯川 和子 A大学生活科学部管理栄養学科 B特任助教授(臨床栄養学) C恵まれた環境、伝統ある大学に勤務させていただき感謝致しますが戸惑いもあります。永年の臨床現場で患者さまからの学びを学生に伝えるのが私の役目だと思います。

@田頭 紀和 A大学生活科学部生活デザイン・情報学科 B専任講師(自然環境学) C美しい牛田山の自然に囲まれたキャンパスで、みなさんと自然や植物について学び、考えていきたいと思います。

@島田 克央 A中学校・高等学校 B教諭(社会) Cこれまで非常勤講師として2年間お世話になりましたが、これからまた心新たに頑張りたいと思います。

@川上 久美 A中学校・高等学校 B教諭(理科) C中学・高校と多くのことを学んだ広島女学院での経験を礎に生徒とともに成長していける教師でありたいと思います。

@安宅 弘展 A中学校・高等学校 B常勤講師(社会) C教師の責任の重さとやり甲斐の大きさに胸が一杯です。微力ながら、誠意をもって広島女学院に資していきたいと思います。

@川鍋 元広 A中学校・高等学校 B常勤講師(国語) C教育を学んだ広島の地で教壇に立てることを嬉しく思います。生徒が主体的に考える授業を目指して頑張ります。 
@貝野 有佳 A中学校・高等学校 B常勤講師(理科) C教師になるという夢が叶い非常に嬉しく思っています。生徒、保護者、先生方に信頼されるような教師になれるよう精一杯頑張ります。

@工藤 恵子 Aゲーンス幼稚園 B教諭 C子どもたちと同じ目線で接し、共に喜べる毎日を過ごしていけたらと思います。よろしくお願いします。

@加藤 恵里 Aゲーンス幼稚園 B教諭(常勤嘱託) Cいつも笑顔で、子どもたちが安心できる環境を作っていけるように頑張っていきたいです。よろしくお願いします。

@藤村麻衣子 Aゲーンス幼稚園 B教諭(常勤嘱託) Cありのままの子どもたちを受けとめ、大切にし、そして子どもたちと一緒に成長していきたいです。よろしくお願いします。

@林  秀明 A法人・大学事務局経理課 B課長 C今度、伝統ある広島女学院の職員に仲間入りさせていただき大変光栄であると同時に責任の重さも痛感しております。一日も早く戦力となる様頑張りますのでよろしくお願いします。

@柳谷 沙織 A大学学生部学生課 B事務職員(常勤嘱託) C今年広島女学院大学を卒業したばかりですが、またお世話になる事になりました。至らない点も多いですが、学生の為にがんばりますので宜しくお願い致します。

@橋いずみ A大学学生部学生課 B事務職員(常勤嘱託)(カウンセラー) C皆様の心の健康について、微力ながらお手伝いさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。

@中藪 宏美 A大学生活科学部 B実験実習助手(常勤嘱託) C母校で働く事ができとても光栄です。社会で学んできた事を活かし一生懸命頑張ります。

@辰川 聡子 A大学生活科学部 B実験実習助手(常勤嘱託) C至らない点があるとは思いますが、実験・実習が円滑に進むように、精一杯頑張ります。宜しくお願い致します。

@三好 沙織 A中高事務部 B事務職員(常勤嘱託) C充実した4年間を送ることができた広島女学院に、4月からは中学・高校の事務職員として働くことになりました。積極的に何事にも頑張りたいと思います。

@
M井 正俊 A大学入試センター入試課 B事務職員(常勤嘱託) Cこれまでの経験を活かし、頑張っていきたいと思いますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。 (M井正俊氏は4月16日付着任のため円内写真となりました。)
 
大学新チャペル建築委員会報告
 大学新チャペル建築は、2006年に創立120周年を迎える本学院の記念事業である。現在の座席数42席のチャペルは40年ほど前に献堂された。当時は学生教職員約700名であった。大学はそれから3倍の規模になったのである。  委員会は2004年1月16日に第1回を開催、以後4月まで5回の審議を経て、現在「座席数」、内に含む「機能」、「附属設備」について検討している。平行して他大学チャペル、教会堂を調査し資料収集を鋭意実施している。
  新チャペル献堂を契機にして本学キリスト教教育活動がさらに大きな渦となり、学生の心を巻き込み、感動を与え続けていくことを願う。学生に愛され親しまれ、母校を訪れる折には必ずその扉を開く、そんな学生時代の思い出を刻むチャペルを夢見ている。
  委員は招集者として西垣学長、黒瀬理事長補佐、中山教授、原田教授、小野助教授、三好施設課長、石谷宗教部事務課長の7人である。
 (宗教部事務課長  石谷 忠之)