WW1全般
アメリカが第一次世界大戦に参戦したのはルシタニア号事件が原因と学校では習ったのですが、本当にこれが原因なのでしょうか?(482:352)
ツィンメルマン電報事件なんてのもある。
近々、ちくま学術文庫から、「決定的瞬間 暗号が世界を変えた」(バーバラ・タックマン著)という本が再刊されるので、
一読をお勧めします。
アメリカが参戦を決めたのはドイツの無制限潜水艦作戦の「再開」と、
メキシコに同盟側への参戦を呼びかけた電報がアメリカに漏れた「チンメルマンノート事件」が要因。
戦争したり国境紛争が絶えなかった反メキシコ感情の強いアメリカにとって、後者の影響は特に大きかった。
何せ、チンメルマンノートの全文はアメリカの歴史教科書に出るくらいの代物。
これにより、連合側への参戦の世論が一気に高まった。
因みにメキシコの回答はもちろん、否。回答する前にアメリカは参戦決めちゃったしね。
なお、この電報の内容は暗号解読でイギリスが情報を手にしたものを、暗号解読の手法を知らせない為に
ワシントンD.C.のドイツ大使館から電報のコピーをパクって、アメリカに知らせると言うかなり遠回りなルートで送られている。
参戦に至る流れの中の重要な出来事だけど
それだけが原因ではない、ってところで
イタリアは第一次世界大戦でもヘタリアだったのでしょうか? (482:546)
その通りだった。
トリエステと南チロルに釣られて連合側に参戦したのはいいが、
装備は旧式、定員も将校も定員割れしていたイタリアは、
大戦を通じて勝利と言うものに全くと言っていいほど縁が無かった。
相手が殆どオーストリアのみだったにもかかわらずだ。
特に1917年10月に行われたカポレットー突破戦では60万人以上の大損害を受けて、
英仏の援助なしでは戦線を維持できないほどにまで戦力が落ち込んでる。
「敵よりも恐ろしい味方」、と言うのは当時も健在だったようだ。
因みに、唯一の勝利といえるのが休戦条約が発効した後に攻勢に出てオーストリア軍から30万人ほどの捕虜を得た時。
第一次世界大戦サイトの別宮氏はこの勝利を
「ただ捕虜の収容経費のみ負担したようなものだが、イタリー人は何か勝利が欲しかったのだろう。」
と、評してる(w
WW1陸戦関係
第一次大戦で地雷の話をあまり聞かないのですがなぜでしょうか?(484:550)
防御側超有利な塹壕戦なら有効な手段だと思うのですが。
対戦車地雷は、WW1での発明品。
ロシアは第一次世界大戦で西部戦線に兵を送ったそうですけど何で?東部戦線があるのに。
人的資源だけは有り余っていたので、フランスから
「人口が3倍もあるのに動員数がウチと同じくらいなのはおかしい。
兵站は面倒見てやるからこっちにも兵を送ってくれ」と要求されたので。
東部戦線もギリギリだったけど、フランスに見捨てられたら完全に破滅だったので仕方なく。
四個旅団、約4万人ほどが派遣されました。
バルト海と黒海の制海権は握られていたのでシベリア鉄道を使って大連から3万kmもの
長い道のり経てフランスへと向かいました。
ニベル攻勢による損害、二度に渡る革命等、時代の荒波に左右されつつも彼らは勇敢に戦い、
その戦いぶりはフランスからも賞賛されました。
最終的にはロシア革命の干渉軍に組み込まれたりして、1000人程度にまで減少し
彼らの多くはフランスへの帰化の道を選びました。
WW1海戦関係
WW1空戦関係
第一次大戦で飛行船が空襲に使われたそうですが、飛行船なんて戦闘機にとってはでかい標的に過ぎないような気がするんですが。機銃で撃たれてもヒンデンブルク号みたいに爆発しなかったんですか?
飛行機に機銃が積まれたのは、大戦が始まってある程度経過してから。
最初はパイロット同士が拳銃で撃ち合いしてたくらい。
こいつで飛行船を落とすのは難しかろう。
対抗手段が無い頃の飛行船は脅威であった。
もっとも、その疑問は的を射ており、戦闘機の攻撃力が増すと飛行船は単なる的に過ぎなくなった。
なお、ヒンデンブルク号の爆発の原因は塗料だ。
初期の戦闘機は、飛行船の巡航する高度まで上れなかったので、
問題ありませんでした。
そのうち、戦闘機の性能が向上するにしたがって、カモになって飛行船での
爆撃はすたれてます。