トップ > 中日スポーツ > プロ野球 > 紙面から一覧 > 記事
【プロ野球】ノムさん 終戦 涙の胴上げ CSパ 第2ステージ突破ならず2009年10月25日 紙面から
ノムさん、感激の舞いでさよなら−。パ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)第2ステージ第4戦が24日、札幌ドームで行われ、日本ハムが9−4で楽天を撃破。アドバンテージを含めて4勝とし、2年ぶり5度目の日本シリーズ進出を決めた(前身の東映を含む)。この試合限りでユニホームを脱ぐことになった楽天・野村克也監督(74)は無念の表情。それでも試合後、両チームのナインから胴上げされて「感無量です」と言葉を詰まらせた。 老将を取り囲むように輪ができた。楽天ナインに日本ハムの選手も加わる。野村監督が敵味方の手で、札幌ドームの宙を5度舞った。岩隈が、池山打撃コーチが、泣いている。敵も味方もない。球場全体から巻き起こった「ノムラ」コールに、指揮官は深々と頭を下げてベンチ裏へと消えた。 「稲葉とか坪井とか、一緒にやった連中がお別れしてくれた。感無量。『野球屋』冥利(みょうり)に尽きる。ありがたい」。北の大地で1勝3敗。敗れはした。悔しさはあっても、札幌ドームに用意された「引退の花道」に胸が詰まった。 4戦目は執念の采配(さいはい)を見せた。2点リードされた8回。2日前に完投したばかりの岩隈をマウンドに送り出した。起用は裏目に出る。スレッジの3ランが右翼席に飛び込んだ。知将はベンチで苦笑した。「慣れないことをするから力んだんだろう。すべては私の責任」。エースをかばう一方で、リーグ王者との差を延々と嘆いた。「日本ハムは相手のスキを突くことができる。オレの大好きな『無形の力』。楽天ではなんぼ言っても理解できなかった」。監督通算3244試合目。ユニホームを脱ぐ日まで、代名詞の「ぼやき」は健在だった。 「野球を辞めたらいっぺんに死んじゃう。球場にいるから、かろうじて生きられているんだ」。野球こそ人生のすべて。1954年、南海を解雇されかけた19歳の野村少年は、「南海電車に飛び込んで自殺します」と言い張ってチームに残った。あれから半世紀の時がたつ。「わがままを言わせてもらえば、もう1年やりたかった。石の上にも三年、風雪五年と言うから」。情熱は衰えていない。自らの手で優勝を目指したかった。 仙台で暮らした4年の日々に終わりが来る。休日の気晴らしは、1人でデパートの紳士服売り場に出かけることだった。仕立てたスーツは、ホテルのクロゼットと監督室のロッカーにあふれ返っている。月日の長さを思う。部屋のあるじは、もうじき変わる。 会見場では悲壮感を押し隠した。「就職をお願いします。あすから浪人ですから。これからネット裏から見ていきますよ。楽天の変ぼうぶりを」。野村克也はグラウンドを去る。だが、ファンは待っている。いつの日か再び、球音が聞こえる場所へ舞い戻ってくることを。 (永山陽平)
|