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2002年05月06日(月)

報道

東京新聞 2002年5月6日
なぜ政治家になったのか

政治を志した初心や情熱をテーマにした自民、民主両党の対決も最終戦です。自 民党の大将は、当選二回で郵政相に抜てきされ、党総裁候補としても名が浮上した野 田聖子氏。民主党は、切れ味鋭い政策通でポスト鳩・菅の一番手に挙げられる政調会 長の岡田克也氏。日本のトップになる可能性がある両氏です。さて、五回にわたった 対決、皆さんはどの「原点」に共感したでしょうか?。

民主・岡田克也氏  おかだ・かつや 1953年、三重県四日市市生まれ。48歳。東大法学部卒。 通産省在職中、米ハーバード大に留学。90年の衆院選で自民党から出馬し初当選。 93年に離党。党政調会長。衆院三重3区、当選4回。子どもは高1の長女、中2の 長男、小2の二男。座右の銘は「大器晩成」。

民主・岡田克也氏 嫌いだから自分が変える

「政治家は嫌いだった。二十代のころ、政治家になろうという気はなかった。イ メージが良くない。国の役に立っていないという認識だった。公のために働きたいと いう気持ちは昔からあったから、通産省(現経済産業省)に入ったが、やはり大臣は 実質的な政策決定にかかわっていなかった。まして(旧)政務次官は何をやっている のか分からない。日本の政治は機能していなかった」
「政治家が選択肢になったのは、通産省時代に米国に留学してから。レーガン政 権時代で、米国民の政治に対する関心は高く、大統領も指導者として敬愛されてい た。米国民の考える政治家は、日本国民とはちょっと違うな、という印象。政治に求 められる役割は想像以上に大きかった。政治家が中心になって国家を運営する姿を目 の当 たりにして、何とか日本の政治を変えてみたいという気持ちが出てきた」

「通産省に勤務していたら通産省が管轄することしかできず、自分の関心が飛び 出てしまう。そんな状況になって、帰国して二年で辞めた。リスク(危険)のほとん どない(官僚の)世界から、リスクに満ちあふれた(政治家の)世界に。人生設計と しては全然違うが『自分が求められている』という運命を感じた。幻想もあって自民 党に入ったが、政権与党のよどみと組織としてこの党は駄目だと実感した。そう考え たのが、自民党を飛び出した理由だ」   

民主・岡田克也氏 次の総選挙で政権交代あるのみ

「日本はこの十年から十五年ぐらい、非常に地盤沈下し、国民生活にひずみが出 てきた。将来性からみても、各国に比べ競争力、生産性が低下している。だから、経 済の立て直しと、生活のひずみ解消のために、社会的公正が貫かれた社会を目指した い。といっても、野党なので、いろいろ準備しても限界がある。問題は政権を取らな い と完結しない。今はその途上にある」

「まずは、政権交代可能な政治にすること。その意味で、民主党が政権を取っ て、最終的に二大政党制に持っていくことだ。政権交代はそんな先の話ではない。こ の次の総選挙はチャンスで、十分可能だ。政権交代がないと、日本の政治は変わらな い」

(1)お薦めの一冊(2)尊敬する人物(3)普段の財布の中身(4)カラオケ の十八番(5)休日の過ごし方

民主・岡田克也氏  
(1)「ルネッサンス?再生への挑戦」(カルロス・ゴーン)
(2)織田信長
(3)4、5万円
(4)まったく歌わない
(5)子どもと遊ぶか、ぼんやりしている