ニート・非正規・周辺的正社員 - 若者が生きられない日本社会、生産性低下の悪循環へ
テーマ:ワーキングプア・貧困問題先日のエントリー「日本で激しい公務員バッシングが生まれる理由」 は、字数が多くて堅い内容でしたが、驚くべきことに、アップした日のアクセス数は1万3,368、翌日は7,795と、2日間で2万1千人を超える方にアクセスいただきました。みなさん、どうもありがとうございます。引き続き都留文科大学・後藤道夫教授による講演要旨の続きをエントリーさせていただきます。(※また私の身勝手な要約ですのでご了承ください。byノックオン)
従来の日本型雇用における若者は、3月に学校を卒業し、4月に企業に入社する定期一括採用方式で、労働者としてのスタートを切っていました。多くの若者は正社員として採用され、初任給は低くても、やがて少しずつ賃金がアップする年功賃金と長期の雇用保障のもとで、将来の生活設計も描くことができたのです。また、技能養成についても、日本は企業内で技能を養成することが基本であったので、企業外での社会的な技能訓練システムが無くても、多くの若者は技能を身につけることができました。
日本の社会保障は、この「日本型雇用」と「年功賃金」と「企業内技能養成」を前提として作られています。小零細企業において、労働者の初任給が最低賃金の水準であっても、それはやがて年功賃金によって水準を上回っていくということを前提としていたのです。
▼非正規・無業、非在学人口の割合の推移(15~24歳)
上のグラフは、上の線が女性で下の線が男性ですが、これは15歳から24歳で学校を終えた若者の中で、非正規と無業の人が何%いるかというのを示したものです。女性が50%台前半、男性が40%台前半というのが、ここ数年の状態です。昔は、女性で20数%、男性で10数%しかいなかったのです。
ここで重大な問題は、非正規・無業の若者たちには、きちんとした企業内技能養成、職業訓練を受けるチャンスにほとんど恵まれないということです。総務省の「就業構造基本調査」(2007年)によれば、学校を終えた15~24歳の非正規労働者のうち、1年間で企業による職業訓練を受けた比率は22%です。正規労働者は47%で、この差に加えて職業訓練時間にも差がありますから実はもっと格差が大きいのです。この状態を放置すると、若者の半分は、ほとんど何の職業訓練も受けないで、不熟練労働者のままどんどん歳を取っていく危険性が非常に高いわけです。
このままで推移すると、日本の労働者の熟練度はどんどん下がっていきます。しかも仕事の上での熟練度の問題ではすまないと思います。職場というのは、今までの日本社会の中で重要な位置を占めていて、とくに若者は、職場においていいにつけ悪いにつけ社会性なども身につけてきたわけです。
となると、労働者の熟練度の問題だけではなくて、若者の生活水準の向上は見込めない上に、社会全体としても労働者の職業能力の蓄積と向上に停滞をもたらし、悪循環的に生産性の低下をまねくことになります。引いては、国民全体の文化レベル、生活レベル、いわば日本の「国力」が大きく低下してしまう危険性をはらんでいると思うのです。
そこで重要となるのが、公的な職業訓練制度ですが、これも従来の日本型雇用を前提としていて、受講料や生活費などへの公的援助は、そのほとんどが雇用保険の受給資格者もしくは被保険者期間3年以上の者などが対象なので、非正規・無業の若者には手が届きません。「再チャレンジ」政策にしても、非正規・無業の若者の数にくらべて事業規模が非常に小さいことや、企業の自発的事業参加に依存していたり、その施策内容が若者の意識啓発に傾斜しているなど、現在の深刻な現状を打開できる質と量を備えていないのです。
それから、日本の場合、「職種別・熟練度別労働力市場」「企業横断型労働市場」が極端に未整備のままであるという問題があります。「職種」とそれぞれの職種に即した「熟練度」が、個々の企業を超えて共通に分類され、賃金額もその分類ごとに最低賃金が共通に決められている--そうした労働力市場を「職種別・熟練度別労働力市場」と呼びます。この職種別と熟練度別による賃金の共通ルールは、ヨーロッパで多くみられるように、産業別労働組合と経営団体の交渉の積み重ねによって歴史的につくられます。
日本では、こうした共通ルールがありません。日本型雇用が崩壊しながら、同時に共通ルールの不在が続くと、賃金と労働条件についての労働者側の団結単位が掘り崩され、昔の野蛮な労働力市場が再現する可能性が高くなります。これを避けるためには、産業別・職種別の労働者の団結、産業別労働組合による社会的規制力の発揮、企業を超えた交渉体制など、共通ルール形成に向けた総合的な努力が必要になります。
もともと、職種別の労働力市場であれば、20代後半あるいは30歳ぐらいまでかかって、下積みの仕事もしながら労働技能を身につけ、資格やキャリアを獲得して、それなりに安定して「食っていける」仕事に入り込む、こうした道を想定することが自然です。
しかし、日本では、職種別の労働力市場がたいへん低く位置づけられ、そこでは非正規あるいは不安定・低処遇の非正規雇用が普通という状態が続いてきました。日本型雇用の解体は、職種別労働力市場に標準が移ることを意味しますが、こうした事情のため、それは非正規、不安定・低処遇の大幅な拡大となってあらわれます。一人前の技能をもった労働者の場合でさえ、非正規、不安定・低処遇になりやすい上に、不熟練の若者が、いきなりそうした条件の労働力市場に投げ出されるわけですから、これまでの日本型雇用への若者の入り方とくらべると、二重に処遇が下がります。つまり、1つは非正規、不安定・低処遇の職種別労働力市場への格下げで、もう1つは、その中でいっそう低く不安定な不熟練労働者の扱いを受ける、ということです。日本型雇用に対応していた企業別労働組合は、「職種別・熟練度別労働力市場」に重要な役割を発揮するために、産業別労働組合にならなければなりません。
日本では、社会的に十分に通用する技能資格の整備は非常に遅れています。様々な専門学校や通信教育の学校が各種の資格取得について宣伝をしていますが、そうした資格が実際に社会に通用する保証はありません。きちんと社会的に通用する資格が整備されるには、関連する職種の人々が、資格の作り方とその取得方法について、企業を超えて、時間をかけた議論を積み重ねていかなければなりません。ヨーロッパでは、労働資格とその取得方法の設定について、労働組合が強力に関与するのが普通です。しかし、日本型雇用のもとでは、技能訓練が長い間、個別企業に抱え込まれていたために、そうした職種ごとの横のコミュニケーションはたいへん弱いものでしかありません。また、日本では企業別労働組合になっているため、こうした力を発揮することもできないのが現状です。
ここ何年か、若者の自発的離職率の高さがよく問題とされます。また、必死になって働き口を探そうとしない若者も問題にされています。「現代の若者は甘えている」などの論評もあります。しかし、今の若者たちが様々な形で自分を防衛せざるをえないような労働環境の激変が彼らを襲っているわけです。自発的離職などの問題はそのあらわれという側面が大きいのではないでしょうか。「我慢が足りない」と見える場合でも、彼らは自分が傷つかないように、消極的な形でガードを固めているのだと思います。
しっかりと学校の勉強をしてきたタイプの若者は、「約束が違う」と感じています。勉強さえしていれば、後は企業が採用してくれて、それから職業訓練が始まるはずだったのに、準備もなく、いきなり職業能力について自己責任を取らされる世界に直面するわけです。就職そのものに後ろ向きになる、あるいは初めから一時的腰掛けのつもりで就職することも不思議ではありません。
また、周辺的な業務を担わされ、低処遇のままの正社員が増加しています。昇進や昇給が制限され、しかも重い責任を負わされ過酷な労働を強いられているのです。総務省の「就業構造基本調査」によると30~34歳の男性正規雇用で年収300万円未満という低処遇労働者は、1997年の11.3%から2007年の20.3%へと上昇しています。そして、若者たちが働いている多くの職場で、残業代の未払いや、年次有給休暇の取得の抑制、社会保険の未加入などの法違反と、セクハラ・パワハラなどの無法が横行しているのです。近年、うつ病などメンタルヘルス疾患、そして、自殺が若年層の間に急増しているのは偶然ではありません。
就職する前でも、彼らはそうした状態をある程度知っていますから、就職から逃げようとするのは不思議なことではなく、就職したとしても、こんな場所にずっといたら使いつぶされ、心も体も壊されてしまうと思うのは当然ではないでしょうか。
若者に対する不当な扱いにいっしょになって抗議してくれる労働組合の力はまだまだ小さいと言わざるをえません。ですから、「ニート」「フリーター」など若者全体として「内向き」の自己防衛が多くなるのは不思議なことではありません。そして企業による支えも、家族による支えも、国家による支えもない多くの若者に、閉塞感がおおうのは当然ではないでしょうか。
あわせて、最後に湯浅誠さんと堤未香さんの共著『正社員が没落する - 「貧困スパイラル」を止めろ!』(角川書店)の中で、「労働市場でかみ合わない世代間の会話」と見出しが打たれているところを紹介します。
湯浅 今までは企業福祉、たとえば、年功型賃金にあるように、企業がかなり従業員の生活を家族ぐるみで抱える形でやってきました。その上で、家族がなんとか支え合うというか、抱え合ってきた。企業の正社員の賃金は、働いている人一人の賃金じゃなく、家族全体を支えるための賃金だったわけです。そういう意味で考えると、一家の生活が丸ごと依存していた。これで、メインストリームの人たちはある程度やってこれちゃったわけです。
このあいだびっくりしたのは、1965年から75年の10年間、高度経済成長期ですけど、名目賃金が500%上がっているんですよ。5倍ですよね。5万円だった人が25万円になった。そういう時代ですから、この会社についていけば大変かもしれないけど食っていける、という幻想ができたと思うんです。
もちろん、実際にはそこからはじかれた人は結構います。母子世帯の人たちとか、日雇いの人たちは昔から企業に食わしてもらっていない。ただ、企業の「溜め」で生活をしてきた、メインストリームの人たちが社会的にも発言力を持っていた。まさにこれが中流の核を作っていたんです。
頭では、ワーキングプアが増えていることはわかるんだけど、体には、65年から75年の10年間の、毎年賃金をもらうたびに上がっていく感覚がある。やっぱり20代のときにどういう精神形成をしたかは大きいと思う。体で理解できていない。
堤 皮膚感覚の反応にでるのは、体に刷り込まれたほうなんですよね。
湯浅 そうした人が、今、長く仕事を続けることができない若い人を見て、「じっと我慢してりゃ、そのうち良くなるものを。なんでそんな簡単に会社を辞めちゃうんだ」と。「だからお前は駄目なんだ」と非難してしまう。
だけど非難される側の20代の賃金上昇率は2000年以降、あろうことか、名目賃金でさえマイナスです。
そういう年代の人たちは、「そんな『じっと我慢してりゃそのうち良くなる』なんて、なんでそんなに楽観できるのかわからない」という話になるわけですね。日本の場合は正規、非正規の対立が世代間対立にも重なって、非常にややこしい。
堤 もう、全然かみ合ってない。その意識のままでは連帯もできないですね。
湯浅 かみ合ってない。上の世代から見ると、労働市場はみんなを食わしてくれるはずのものなので「食わしてもらえないんです」という人が出てくると、労働市場には問題があるはずがないから、それは食えないあなたに何か問題があるんだろうとなる。ワーキングプアの自己責任になっちゃうんですね。
堤 「辛抱が足らないから」みたいな人、ほんと多いですよね。その世代の親が自分の子どもに「頑張りなさい、頑張りなさい」と言う。今、湯浅さんの言う「すべり台」を猛スピードで落ちている子どもが何よりも必要としているのは「生き延びる知恵」なのに。親達にはそれが見えないんですね。
必死で手を伸ばす子どもに向かって「夢を持たなきゃ、やりたいことを見つけなきゃ」と言う親と、それを聞いて絶望し、落ちてゆく子ども。どっちもかわいそうです。何とかしたい。
湯浅 逆効果なんですよ。また悲劇が重なるんですけど、家族が支えないと、労働市場の外では誰も支えてくれない。そうすると、家を出ることのできないフリーターと正社員の父親が家の中でずっと険悪なまま共存しなくてはいけなくなる。フリーターは家を出たくても出られないんですね。そのため、目茶苦茶、フラストレーションがたまっていくわけですよ。
結構根が深い問題だと思っています。日本はやはり、完全就業神話、労働市場万能論がまだ壊れていない。しかし、歴史上、労働市場が全員を食わせたことは一度たりとてない。家族という私的なセーフティーネットに支えられていたからわからなかっただけ。65年から75年の10年間、毎年賃金がもらうたびに上がっていく感覚を持っている人々も、「もともと、労働市場は全員を食わせていけるものではない」というスタートラインに立って話さないといけないと思うんです。
1 ■韓国の労働組合を見習って欲し
もちろん主犯ではないのですが、今の企業別労働組合の罪も深いですね。18%しか組織率がない現状なのに、一体いつまでその古い体質にしがみついているつもりなのでしょうか?一部の企業の中でやってても、じり貧で衰退し絶滅し結果その一部の既得権益さえも守れないということに早く全体が気付いて、一刻も早く産業別労働組合に変わってもらいたいものです。韓国の労働組合を見習って欲しいです。