歌舞伎きっての人気演目であることから、興行の特効薬の意味で「独参湯(どくじんとう)」と称される「仮名手本忠臣蔵」。10月は名古屋・御園座(25日まで)、11月は東京・歌舞伎座(1~25日)、来年正月には大阪松竹座(2~26日)で、配役を違えて通し上演される。人気の秘密はどこにあるのか。【小玉祥子】
元禄15年12月14日(1703年1月30日)。赤穂浪士による吉良上野介(きらこうずけのすけ)へのあだ討ちが行われた。藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)が江戸城で高家(こうけ)の吉良に切りかかり、内匠頭は切腹となり浅野家は断絶。翌年に家老の大石内蔵(くら)助(のすけ)ら旧藩士が敵を取った。
事件はすぐに劇化された。決定版が1748年初演の二世竹田出雲、三好松洛(しょうらく)、並木千柳の合作「仮名手本忠臣蔵」。名前は浅野が塩冶(えんや)判官、吉良が高師直(こうのもろのお)、大石が大星由良之助(ゆらのすけ)に置き換えられている。
歌舞伎座では昼の部で「大序」「三段目」「四段目」「道行(みちゆき)旅路の花聟(はなむこ)」、夜の部で「五段目」「六段目」「七段目」「十一段目」が上演される。「大序」から「三段目」は、判官が刃傷に至るまで。切腹する判官から由良之助が後事を託されるのが「四段目」だ。
「旅路の花聟」から、話は庶民階級へと移る。塩冶家家臣の勘平は腰元のお軽と密会していて、判官の大事に居合わせなかった。勘平とお軽は、お軽の実家へ向けて落ちていく。
「五、六段目」はお軽一家の悲劇。お軽は祇園に身を売り、勘平は義父殺しの疑いを受けて切腹。「七段目」は祇園を舞台にした由良之助とお軽、その兄の平(へい)右衛(え)門(もん)の物語。「十一段目」はあだ討ちの次第が描かれる。敵討ちを中心に据えながら、架空の人物を縦横に活躍させているのが作品の魅力ともなっている。
歌舞伎座の由良之助は昼の部が松本幸四郎さん、夜の部が片岡仁左衛門さん。御園座で勘平を演じ、2カ月続けての「忠臣蔵」出演となる仁左衛門さんは「流れがよくできている。四段目までは神聖な話ですが、重い一方ではない。気持ちよく役に浸れます。本懐を遂げ、舞台には登場しませんが浪士たちは切腹して死ぬ。日本人はそういうストーリーが好きなんじゃないですか」と魅力を分析する。
勘平は尾上菊五郎さん。「演じていてこんなつらいものが、何で人気があるのか」と苦笑しつつも、「大序から四段目まで、楽屋もしんとしているんですよ」と話す。セリフのほとんどない俳優に至るまで、緊張感が走るという。感情移入を許す完成度の高さ。人気の理由はそこにもあるだろう。
判官は中村勘三郎さん、お軽は「道行」と「六段目」が中村時蔵さん、「七段目」は中村福助さん。平右衛門は幸四郎さん、師直は中村富十郎さん。
正月の大阪松竹座公演は、坂田藤十郎さんが由良之助、師直、勘平などをひとりで演じ分けるのが話題だ。
毎日新聞 2009年10月24日 東京朝刊