刀 信濃国真雄 元治二年八月日 特別保存刀剣鑑定書付 寒山押形、左行秀と固山宗次その一類、日本刀随感所載品
長さ 77.8cm 反り 1.8cm 元巾 3.43cm 元重ね 0.82cm 先巾 2.45cm 先重ね 0.62cm
作風
時代 新々刀 上々作 信濃
姿 鎬造庵棟、身幅広く重ね厚く、反り頃合いにつき、中切先。
肌 小板目肌詰んで地沸厚くつく。
刃文 互の目乱れ、尖り刃交じり、小沸よくついて足入って砂流しかかる。
帽子 乱れ込んで先尖って返り寄る。
彫物 なし。
茎 うぶ、鑢目筋違、栗尻。
説明
真雄は、文化元年に信濃国小県郡赤岩村の名主山浦昌友の長男として生まれました。弟に不世出の天才刀工清麿がいます。文政十一年に水心子秀世に入門して山浦正則と銘しました、文政十二年に上田藩の河村寿隆に入門。弟の清麿はこのとき十七歳で兄に作刀を学びました。その後、真雄はお抱えの藩工として活躍しました。小諸藩工、上田藩工であったともいわれています。安政五年には松代藩工となります。 明治四年に息子の兼虎に家督をゆずり、明治七年に赤岩で七十一歳で没しました。真雄の作刀は実用面からみても刃味が抜群であり、史上最高の業物ではないかとも言われています。嘉永六年に松代城下で行われた刃味試しにおける真雄の作刀の強靭さは今に至るまで語りつがれています。 また少年期に水心子正秀に作刀を依頼し、気に入らないという理由で作り直しを要求したという逸話もあります。