紋別 1 

 『あ、あった!』石に刻まれた曾祖父の名前、『上野孝次郎』。

 二十年ぶりの北海道旅行第一の目的地は小樽文学館。第二の目的地が北見の紋別。紋別は父の故郷であるが、生前の父の昔語りに出てくるだけで、今では父が暮らした何の痕跡も無い。今、父の故郷で曾祖父の名前を見つけた。

 小樽の一夜の翌日、札幌のビール園での昼食後一足先に帰宅する夫と別れて、その夜は女一人札幌泊。翌日、睡眠不足の目をパチクリさせながら、朝一番の札幌発紋別行き高速バスに乗車五時間。何の当てもなく、身よりもいない紋別に辿り着いた。手初めに向かった先は、紋別市役所。一年前取り寄せた除籍証明書を携え、戸籍に記された住所地の確認である。記述の現在地がわかっただけで、それ以上の収穫はなかった。
 
 ホテルチェックインの時間に余裕があったので、少々観光気分を味わうために、市内巡航バスで氷海展望塔オホーツク・タワーに行った。

だあ〜れもいない。
「もう終わりですか?」受付の人に尋ねた。
「いえ、いいですよ。タワーまで電気自動車で送迎します」
運転手と乗客一人。気恥ずかしいが、ワクワクもする。

 海上30メートルにあるタワーの3階展望ラウンジ行くと、小雨パラつき加減の薄曇りながら、結構見晴らし良好。オホーツクの海が三六〇度広がっていた。夏期釣り船に変身した流氷探検船ガリンコ号が、明るいブルーグレーの海原に赤い豆粒となって浮かんでいた。
 
 地下の海底階海中自然観察室で流氷の妖精クリオネに対面。体長1〜3p、半透明の身体に2本の触角のある頭部と中心部に深紅の命を宿して、海中で優雅に両羽(翼足)を動かし、ゆったりスローに身をくねらせている姿からは、頭部の先端がパックリ開き、親類すじの巻貝リマキナ・ヘルシナを食する時の激しい獰猛な動きは想像できない。これも食物連鎖の厳しい現実。

 
 何にも拘束されないゆとりタイムを満喫しようと、ラウンジで大海原を前にコーヒーをのんびり頂き過ぎて、市内行きのバスに乗り遅れてしまった。徒歩でホテルに向かうしかない。普段の運動不足をここで解消することになるとは思わなかったが、歩く速度で見えるものもある。
 30分から1時間は徒歩可能範囲と覚悟を決めて歩き出した。歩いてしばらくは名も知らぬ野草に目をやる余裕。心拍数がかなり上がった頃には、不案内な道に迷いながら海沿いの道をトボトボの有り様。ヒッチハイクするわけにもいかず、幾度か通りかかるタクシーを期待してしまったが、こんな時に限って見あたらない。埃まみれ汗だくでやっとの思いでホテル着。


 こうして紋別第1日目は終わった。
ホテルの食事は満足のいくものだった。


 20年前の家族旅行より前、今から30年前、結婚を控えた私と両親との北海道旅行の途中に紋別に立ち寄ったのが、私にとって初めての父の故郷訪問だった。若い私は両親との旅にさほど感傷もなく、寂れた小さな港町と言うくらいで紋別の町にも強い印象は無かった。

今にして思えば、父はどんなに懐かしんでいたことだろう。
「ここに家があったんだ、、、」
町並みがすっかり変わっているのに、父の脳裏にはきっと子供時代を過ごしたここの当時が浮かんでいたのだろう。
 私も故郷を懐かしむ年齢になればこそ、今だから理解できる。今しかできないこともある。今だから出来ることもある。今では遅いこともある。そう、後悔先に立たず。その時もっと真剣に聞いておけば良かった。それも今だから
思うこと。

              紋別2へ続く
 
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