楽しい。
命が躍動している。
それだけに何やら切ない。文化が深くて、強い。
こちらも、無害に生きているが、この踊り手の人達も、この瞬間は誰も無害で善を おこなっている。
「おわら風の盆」は、参加したいような感覚があるが、阿波おどりは見ているのが、こちらの分だ。
命の盛りの夏に、命燃やして、その文化の中で無になる。
切ない。
人は哀しい生き物でもあるが、命の愛しさが美しく、そして意義も意味もある。
己れの存在に意義はあるのか。
生命体としての意味はあるだろうが、他者に対して無害で生きている事以外、社会的意義があるのかどうか、些かの疑問もある。
無害である事それ自身が、社会共同体に対して、消極の貢献であるのは事実。 生きる。
慈しむ。
食う。
集う。
そしてボチボチ眠く、今日の意識時間は終わる。