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【コラム】

筆洗

2009年10月24日

 詩文の添削を乞(こ)うことを<玉斧(ぎょくふ)を乞う>という。斧(おの)は、何かを付け加えるものではない。文章の手直しとは、「添」よりも「削」が本意ということだろう▼わが業界にも、記者の原稿をみるデスクという職分がある。縦横に斧を振るって、なお、書いた者を納得させるのが、デスクワークの妙だろうが、これがなかなか簡単な仕事ではない▼小欄読者には深く頷(うなず)かれそうな気がするが、大体、自分の書いたものを自ら削り、簡潔に仕上げるということでも難しい。どこもかしこも大事に思え、逆に、えいやと斧を振るった結果、肝心な部分を削ってしまう、なんてことも起きる▼古代ローマの大詩人ホラティウスでさえ、「簡潔に書くことを心掛けているが、度が過ぎて意味が通らないものになってしまう」と悩んだくらい。まこと、「削る」は「増やす」の何倍も難しい▼同じような感慨を、鳩山内閣の面々も抱いていよう。与党が公約した事業を詰め込んだら、来年度予算一般会計の概算要求額は増えに増え、過去最高の九十五兆円に。お金がないのだから当然だが、政府はそれを削るのに躍起になっている▼本年度は八十八兆円だから、少なくとも三〜五兆円は削りたいところ。もっとも、それも度が過ぎれば、新政権の色は薄れてしまう…。さて、「なるほど、玉斧だ」と国民をうならせるデスクワークを見せられるか。

 

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