湯浅誠の中間層論 - 中間層の反動化と戦後社会科学の中間層論
少し前の記事で紹介した『経済成長って何で必要なんだろう』の本の中で、湯浅誠が興味深い中間層論を示している。この議論がずっと気になっていた。対談での発言を拾うと、次のように言っている。「いま正社員も含めた中間層が、物理的に落ちてきています。年収４００万から８００万の世帯がどんどん減ってきている。そのことと、自己責任論が力を持つことが、ちょうどセットになって起こっている。この、体は落ちているけれど、頭は上をめざすという分離、ねじれを包みこんでいかないといけない。結局、中間層を敵に回したら、社会的な影響力を持ちようがないですから、それを解きほぐす理屈なり言い方なり呼びかけなりというものができないものかと、ずっと思っているんですけどね」（P.178）。「そこは戦略的に運んでいます。累進の話をあまり言うと、中間層を敵に回しますからね。それは結局、先ほど言った中間層の分離に関わってきます。自分自身の生活がきつくなっていけばいくほど、彼は成功者に憧れ、下には厳しくなる。『成功せねばならない。自分に投資して何とか生き残らなきゃならない』というふううに。そうやって頭と体が分かれていくので、累進課税の復帰とかを言うと、一番過剰に反応するのは中間層になってしまう。もちろん私も、累進課税強化がいいと思います。だけど、いまその話をすると、『おまえは共産党か』とレッテルを貼られる。そこには国会の勢力図だけじゃなくて、それを支持する中間層の動きがある。だから、私がいの一番に累進課税を言えないのは、戦略的な問題です」（P.191-192）。
この中間層論には考え込まされる。まず、湯浅誠の中間層論の特徴として感じるところは、中間層と自分たち(貧困層)との間に深い断絶が意識されている点である。両者を分け隔ている線が曖昧でなく、階層として独立で隔絶されたものとして捉えられている。そこには対峙と緊張がある。敢えて言えば、中間層は湯浅誠にとって対立的な存在だ。逆に言うと、湯浅誠には自己を中間層とは異なる貧困層に所属するものとしてのアイデンティティがあり、だから、なるほど、官邸を訪れたり、記者クラブで会見するときも、ネクタイを締めず、黒のＴシャツやジャンパーの格好で、彼にはそれがフォーマルなスタイルとしての自覚があるのかと頷ける感覚にもなる。年齢のせいもあるだろうが、私には同じ真似はできない。６月のＰＡＲＣ自由学校の講演でもネクタイの姿で人前に出た。どれほど現実は違っていても、態度や意識は中間層のものが続いている。つまり、「頭」は中間層なのである。その事実と大いに関連するが、私を含めてわれわれの世代は湯浅誠とは異なる中間層観を持っていて、中間層は積極的で肯定的な存在であり、自らが所属する（すべき）立場であり空間なのである。中間層は故郷の共同体だ。だから、湯浅誠のように隔絶的で対立的な視角で定義づけたり、ネガティブな概念で論じることができない。最初に着想を言うと、私の中間層観は、戦後社会科学の中間層論、大塚久雄とウェーバーの中間層論で定義され説明されるものであり、湯浅誠はそこから離れている。「一億総中流」の戦後日本を否定する脱構築主義の影響があるのではないかと疑われた。
大塚久雄とウェーバーの中間層論は積極的なものである。禁欲倫理の方法的生活態度で勤労に励み、経営を合理化し、周囲に信用を築き、利潤を浪費せず計画的に次の投資に回し、相互の超過生産分を交換し、社会的分業で局地的市場圏を作り、豊かな国民経済の構造と循環を作り上げてゆく。モデリッシュな経済社会を作るモデリッシュな人間像、ホモエコノミクスの人間類型、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』の世界。それが大塚久雄とウェーバーの中間層論である。中間層は大塚史学において中産的生産者層であり、それは英国史のヨーマンリー（独立自営農民）であり、封建制の農村社会を内側から掘り崩して近代を胚胎させ、自己の経営と成長を圧迫阻害する封建権力と対決して市民革命をもたらしていく革新的な主体性だった。この英国史をモデルとして使った中間層の理論こそ、実に戦後社会科学の基礎であり、中核的な理念として学問と政策に影響を与えたものである。われわれの時代の社会科学や社会政策は、この中間層論（大塚久雄＝ウェーバー）を前提に組み立てられていた。少なくとも主流（岩波・東大）はそうだったと言える。中間層の言葉には、新しい価値観の担い手という意味があり、積極的な存在として捉えられていた。７０年代までに教育を受けた世代は、ほぼ共通してこうした中間層観を持っているのではないかと思われる。一方、同じ戦後社会科学の世界で、湯浅誠の言うイメージに近いネガティブな中間層論もあった。思い出すのは、丸山真男の有名な「擬似的インテリゲンチャ」論である。この議論は、1947年の『日本ファシズムの思想と運動』の中で登場する。
「わが国の場合ファシズムの社会的基盤となっているのはまさに前者であります。第二のグループを本来のインテリゲンチャというならば、第一のグループは疑似インテリゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャとでも呼ばれるべきもので、いわゆる国民の声を作るのは、この亜インテリ階級です。（中略）第一の範疇は実質的に国民の中堅層を形成し、はるかに実践的行動的であります。しかも彼らはそれぞれ自分の属する仕事場、或は商店、或は役場、農業会、学校等、地方的な小集団において指導的地位を占めている。日本の社会の家父長的な構成によって、こういう人達こそは、そのグループのメンバー − 店員、番頭、労働者、職人、土方、傭人、小作人等一般の下僚に対して家長的な権威をもって臨み、彼ら本来の「大衆」の思想と人格とを統制している。こういう人達は全体の日本の政治・社会機構からいえば明らかに被支配層に属している。生活程度もそんなに高くなく生活様式においては自分の「配下」と殆ど違わない。（中略）従って一切の進歩的動向に対する − 大衆が社会的政治的に発言権を持ち、そのために自らを組織化する方向に対する、最も頑強な抵抗者は、こういう層に見出されるわけであります。（中略）こうして彼らは日華事変や太平洋戦争の最も熱烈な支持者になったのであります」（丸山真男集 第３巻 P.297-304）。戦前の日本と現在の日本の社会の構造の相違がこれを読むとよく分かるし、中間層と言っても二つは相当に中身が異なるが、丸山真男は戦前の中間層を反動的な政治的性格を持った存在として扱っている。議論はあるだろうが、この整理で概ね正確だろうし、講座派の自作農論（似非ボナパルティズム論）も同じ視角のものである。
大塚久雄と丸山真男の認識や方法が異なるわけではなくて、二人とも同じであり、講座派から大きく影響を受けている。二人の中間層論が異なるのは、簡単に言えば、一方が戦後日本の中間層を念頭に置いていて、他方が戦前日本の中間層を見ているという違いになる。ポジティブな中間層とネガティブな中間層の二つがある。宗教改革から市民革命の主体となった近代的な中間層と、ファシズムと侵略戦争の先兵となった中間層の二つがある。戦後社会科学は中間層をこのように捉え描き、この認識や観念はわれわれの世代の常識となっている。そこから、湯浅誠の中間層論を見たとき、何が感じられるのかという問題だ。湯浅誠の認識が正確であり、日本の現在の中間層においてはネガティブな性格が一般的であるとするなら、日本の社会は戦後型から戦前型にすでに変わっていて、つまりは相当な格差社会になっていることを意味する。われわれの一般的イメージの中間層とは、普通のサラリーマンである。平社員から主任になり、単身赴任を経て課長になり、部長になれずに窓際で定年を迎えるか、子会社に出向させられるサラリーマンである。そういう一般像である。だが、その一般像が今は一般像ではない。この一般像は、嘗ての終身雇用と年功序列の安定的な世界におけるサラリーマン像であり、現在の（湯浅誠の）言葉で言えば、正規労働者である。しかも、中堅企業か大企業の。状況はすっかり変わっている。そして、貧富の格差が拡大して、いわゆる中間層は物理的に人口が減少している。そして、どうやらその中間層の性格が変わり、政治的意識が以前とは変わっている。積極的な性格から反動的な性格に変わり、自らの下に大きな塊となった貧困層を敵視し抑圧する存在になっている。
私は、現在でも中間層を再建せよという立場であり、そうした方向に日本の経済社会を持って行くべく、一億層中流のモデルの制度はなお存続させ、その制度が有効に機能する中身に現実を回帰させるべきだと考えている。おそらく、私と同じ考え方なのは亀井静香だ。国民新党の経済政策の思想が、大塚久雄＝ウェーバー的なスタンスに立っている。だが、湯浅誠は、また新自由主義者の藤井裕久は、そして多くの脱構築主義者たちは、もはや日本には一億総中流の現実などないのだから、そんな制度の存続は無意味であり、格差社会の現実に即したシステムに変えて行けという発言をしている。ヨーロッパ型のシステムにせよと左側は言っている。私と湯浅誠はそこが違う。その政策路線の違いと中間層論の違いはリンケージしている。私は中間層再建の立場であり、湯浅誠は貧困層の現実を前提に考える立場である。最近、あまり中間層再建論を聞かない。昨年から一昨年、米国で長い大統領選の季節が続いたとき、わずかにヒラリー・クリントンがその主張をしていた。日本では、自民党も民主党も中間層再建論を言わなかった。政策思想の根底に新自由主義と脱構築主義があるからだろう。ただ、それと同時に、中間層そのものの変質の問題も見逃せない。例えば、朝日新聞がある。朝日新聞が、どうしてこれほど経団連にスリ寄る反動的な論調の新聞になるのか、私はいつも首を捻っていた。朝日新聞の読者は中間層だ。中間層の性質の変化と関係があるのではないか。報道ステーションの現在の解説者は一色清である。この男の反動ぶりは凄まじく、この男が朝日の記者だとはどうしても思えないところがある。その前は加藤千洋だった。加藤千洋の知性のレベルとか政治的なバランス感覚が朝日新聞の記者の一般像だろう。
一色清のコメントは強烈で、経団連のスタッフが発言しているとしか思えないことを常に言う。今週の母子加算復活の政治では、終始、藤井裕久と財務省の側に立ち、財政状況が厳しいので母子加算復活は先送りでも仕方がないという口調だった。官製ワーキングプアの特集では、財政難の地方自治体では人件費削減のために非正規を多くするのは当然で、もし非正規を減らしたり、待遇改善をして人件費が膨らめば、納税者である地域の住民はそれを許さないだろうと平然と言いのけた。つまり、各自治体は、今後とも人件費削減を進めるべく、職員の賃金を切り下げ、正規を減らして非正規職員を多くするべきだと朝日の記者が言うのである。小泉政権の三位一体改革で自治体への地方交付金が減らされ、それが地方自治体の財政難の一因になっている点は全く触れなかった。一色清の論理が、すなわち、湯浅誠から見た現在の中間層の政治的性格なのだろう。反動的であり、貧困層に対して敵対的で、口を開けば新自由主義を肯定し迎合する主張をするのである。結論を言えば、おそらく、中間層が没落するとき、中間層は反動的な意識を持ち、反動の方向に動くのだ。中間層が増大するとき、中間層は前向きな社会建設に動くのだ。戦前と現在は、中間層が破壊され没落させられている時代である。没落するとき、自己を保守するため、中間層は弱者に襲いかかる。弱者から奪い取ろうとする。弱者に敵対する。上昇するとき、中間層は保守や旧弊を打破し一掃する改革者になり、中間層が全体となる黄金社会を築こうとする。中間層の意識が反動化している。政権が変わっても、政府の政策が何も変わらず、竹中平蔵がテレビに出続け、報道キャスターが「構造改革」を正統視する発言ばかりするのは、人口の最も多い中間層の政治意識が、大塚久雄やウェーバーの概念とは違って反動化しているからだとは言えないか。とすれば、それではどうすればよいのか。湯浅誠的な、格差是認の方向で政策プログラムを考える現実主義に立つべきなのか。非正規労働を認めてよいのか。
