このブログを書いている人間のプロ野球チームのひいき順位。
あくまで個人的主観なので気にしちゃダメです。
虎>>>>>>>>>>(他10球団)>>>兎
他10球団は微妙に順位が入れ替わったりするぐらい気まぐれ。
二軍はファイターズですね。スタッフの方とC☆Bが何より。
もちろん嫌いな球団にもひいき選手がいる。
野球観戦に行くときは
お互いの利害関係のない球団の観戦にいくようにしています。
で、あまり関係ないかもしれないけれど
職場も配属先によって、僕はそれと関係ないところに位置しているけど、
そのひいきチームに連動するかのような仕入れをしてしまったり、
逆にそういう売り場の展開をした結果で
ひいきチームにしてしまっている人もいる。
ファイターズの話が多いけれど、
それはファームの話であって1軍となると
意外に気まぐれで、
今回のパ・リーグクライマックスシリーズは
野村監督がおそらく最後のシーズンであることと
創設して一番若いチームが栄冠を目の前にする機会を手にしたこともあって
楽天ゴールデンイーグルスに進出して欲しいと思っていたりする。
ファイターズはここ最近、何回か優勝している、という発想。
それに市内に優勝したときだけ
「感動をありがとう!!」とかうたい文句にする
商業施設とかがあったりするので、
そういうものを見る事になるのかと思うと
結構不愉快なので、意外に淡白。
これが某在阪球団が絡むと絶対にそれすら許さない不条理な人だ。
今日はファイターズタウン史上初のナイターで
パブリックビューイングを開催するというので出かけた。
ファイターズスタジアムはナイター設備がないので
どのような形式でこれを行うのか、というのに
純粋に興味があった。
ここ数ヶ月試合開催日にファイターズタウンに行っていなかった中で
久しぶりにスタッフの方々をお見かけして安堵感を覚えた。
ただでさえ影が薄いからあまり行かないと忘れ去られちゃう。
自称準々々々々々々々レギュラー観客なのだから。
球場玄関前の広場にシートとパイプ椅子、そしてテーブル席。
大型照明を勇翔寮側に、売店をその反対に設け、
玄関に大型スクリーンを配置するという形式。
そしてパイプ椅子とテーブル席の間には火鉢を設置。
わざわざ火鉢なんて設置することないのに、と
当初は思っていたけれど、意外なくらいに冷えてきて
重宝させて頂いた。
その会場設営の大変さというのは
色々なイベントの準備を見ているだけに
今回も例外ではなかったようだ。
それを色々とやってのけてしまうところがすごいところでもある。
ハロウィン色が濃い演出がされる中で
試合開始時間までのパフォーマンスが行われ、
同時にモニターでも今回のパブリックビューイングにあわせて
C☆Bが売店メニューのCMをつくっていたので
上映もされていたりした。
ゲーム企画はどうかな?と思った。
注文されたお化けのパフォーマンスをやって!というのは
ちょっと小父さん困ってしまいますよ。
でもC☆Bと2人のお姉さんの衣装は似合っているかと。
「おかしなお姉さん」という形容はあんまりだ、と思うのと
“ガオー”っていうパフォーマンスしながら
そのおかしなお姉さんに「お菓子」を求めて、というのも
15年と4ヶ月若かったらやるかもしれなけど、
この歳でやらせるのは勘弁してください。
そうしてくれなきゃ努力報われない、というのなら
もっと違う努力で何とかリピートできるものを……。
いつもお世話になっている方なのでなおさら。
普段のスタジアムの座席配置と状況が違うことは
今回の「イベント演出」を左右させたのかもしれない。
普段は1,3塁側とスタジアムの観客席が分かれている中で
どちらかというと3塁側を意識して演出をしていた一方で、
適度な距離をとりながらビジターである1塁側に
色々と配慮をしていたところが
さりげなくすごいところだと思うのだけれど、
今日は全部ファイターズ色に染めてしまうかのような演出が
かえってそうでない人に辛く映ったのではないのかな、と思った。
パブリックビューイングをやるにあたって
参加するのはファイターズファンで
なければいけないってことはないわけで
僕はまだ中途半端な立場だからいいとしても、
みんな入り混じっているからイーグルスファンの人にも
どうしても外見だけでは判断材料にならないのもあると思うけれど、
ファイターズが勝たなければいけない、というような答えを
導き出すようなインタビューをしてしまったり、
一同起立でファイターズの応援を宣誓する、というのは
辛いものがあったんじゃないかな、と思った。
C☆Bにマイクを向けられて
彼の気持ちを察しても「イーグルスに勝って欲しい」とは言えない。
C☆Bはファイターズのマスコットであるのと同時に
スタジアムのマスコットなので、
どちらの立場にも配慮を求められる微妙な位置にいるのだと思う。
普段は意識しなくっても観客席の配置で
何となくこなせるのだけれど。
イーグルスのユニフォームを着ている方もいらっしゃった。
そういう方が入り混じった中で演出、というのは
色々と難しいものかもしれない。
自ずと質問もそういうのを踏まえたものになるのだと思うし、
それが演出側とされる側の
気の遣い方を試すものになるのかもしれないけど。
うまい回答をされる方もいらしたし、ズバッと言ってしまう方もいた。
色々と試行錯誤をされている方々に求めるのも酷だと思いつつも
エゴとしてそういうものを思ってしまう。
夜間は夜間で色々と大変なものがあるようで、
防寒にも気を遣いながら演出をされている方々は
本当にすごいと思う。
開始前の準備もあれば、
試合終了後も当然、普段と違うことをしているのだから、
また違う片付けなどもあるのかもしれないし、
サイクルも違えばなおさら大変なものだとも感じた。
試合の中身については語ることもないので省略。
ストーリー仕立てのCMの感想を
C☆Bに尋ねられて非常に戸惑った自分でした。
初めてマイクで喋ってムチャクチャ緊張したのと同時に
C☆Bがこの回答に至るまでの
僕の挙動に気を遣ってくれているのだというのを肌身で感じた。
この辺も真似できるものじゃない。
大概試合に行くと僕の近くに座っている男性も
インタビューに答えていたけれど、うまいなぁ、と思った。
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2009年10月23日
2009年10月22日
工面
今日、明日と会社でインフルエンザの予防接種がある。
お店を営業しながら、全ての人が交代で限られた時間に
その接種する会場に向かい、
それぞれのお店に戻って仕事をするということを
時間配分を設定される方は簡単に組み立ててくれるけれど、
実際はそうもいかないのが現実。
午前中は午前中で頻繁にお客さんが来るので忙しい一方で
夕方手前はお客さんが少ない分、人員が削られているので
そこに充てられる人は思っているよりも慌しかったりもする。
お昼を食べたり、発注や商品の補充などが
ほぼ限られている中でこの時間を割いていく、というのが容易ではなく、
結局、今日の僕は職場での留守番役だったのだけれど、
お昼休憩をほとんどとることもできず、
さらにレジは人がいつもの半分以下、という状況下に置かれてしまい
来るお客さんよりも遥かにしんどい事態に。
インフルエンザの予防接種もしかるべきコストが要する上、
もっと余裕のあるような日程をとるのにもコストがいる。
これはおカネ、人員あらゆるもので当然の話で、
工面するのにはうちの会社の場合はモノを売って得る事になるから、
しかるべき利益算出をしなければ到底できるはずもなく、
実際はこんな状況下。
仕事に支障出るから、として公休日に充てて
予防接種だけ行く人もいるくらい。
予防接種の費用は実費だけど、給与がどこから出てくるのかを考えると
自ずと従業員だけでなく会社にも負担がかかることを意味する。
かといって予防接種をしなければ、
なお一層経営に支障が出てくるわけだから、
どこかでその「余計な出費」を工面しなければいけない。
売上げは競合店が増えている中で人口は微増・減少というところだから
工面できるところとできないところが生じてしまうのも必然。
できないところは淘汰されてしかりとも思うけれど、
今の社会状況を鑑みるとその弾きだされた人の受け皿が
満足に機能しないのだから、
そういう事態は極力避けなければいけない。
できなければ援助をしなければならない。
援助ができないのなら、そういう状況下に追い込まない次元での
競争を色々な角度から働きかけをしていく必要があると思う。
そういう中でさらに価格競争を重ねていれば
こんなコストの工面なんて簡単にできるわけないと
つくづく思うのだけれど、
この社会情勢下でそれでもなお質の高いサービスを
より一層の低価格で求めていくことが
果たして妥当な判断なのだろうか?
モノを売るためのコストと色々と上がっているように思う。
トレーザビリティーとかを導入しても
モノの値段が同じで済むというのは
どういうことなのかを考えればわかるかと思う。
それでも価格が下がっているのは
色々な「努力」によって実現されているところが多いのかもしれない。
その努力というのもどこまで求められるのかを考えると
自ずと限界があるような気がする。
続きを読む
お店を営業しながら、全ての人が交代で限られた時間に
その接種する会場に向かい、
それぞれのお店に戻って仕事をするということを
時間配分を設定される方は簡単に組み立ててくれるけれど、
実際はそうもいかないのが現実。
午前中は午前中で頻繁にお客さんが来るので忙しい一方で
夕方手前はお客さんが少ない分、人員が削られているので
そこに充てられる人は思っているよりも慌しかったりもする。
お昼を食べたり、発注や商品の補充などが
ほぼ限られている中でこの時間を割いていく、というのが容易ではなく、
結局、今日の僕は職場での留守番役だったのだけれど、
お昼休憩をほとんどとることもできず、
さらにレジは人がいつもの半分以下、という状況下に置かれてしまい
来るお客さんよりも遥かにしんどい事態に。
インフルエンザの予防接種もしかるべきコストが要する上、
もっと余裕のあるような日程をとるのにもコストがいる。
これはおカネ、人員あらゆるもので当然の話で、
工面するのにはうちの会社の場合はモノを売って得る事になるから、
しかるべき利益算出をしなければ到底できるはずもなく、
実際はこんな状況下。
仕事に支障出るから、として公休日に充てて
予防接種だけ行く人もいるくらい。
予防接種の費用は実費だけど、給与がどこから出てくるのかを考えると
自ずと従業員だけでなく会社にも負担がかかることを意味する。
かといって予防接種をしなければ、
なお一層経営に支障が出てくるわけだから、
どこかでその「余計な出費」を工面しなければいけない。
売上げは競合店が増えている中で人口は微増・減少というところだから
工面できるところとできないところが生じてしまうのも必然。
できないところは淘汰されてしかりとも思うけれど、
今の社会状況を鑑みるとその弾きだされた人の受け皿が
満足に機能しないのだから、
そういう事態は極力避けなければいけない。
できなければ援助をしなければならない。
援助ができないのなら、そういう状況下に追い込まない次元での
競争を色々な角度から働きかけをしていく必要があると思う。
そういう中でさらに価格競争を重ねていれば
こんなコストの工面なんて簡単にできるわけないと
つくづく思うのだけれど、
この社会情勢下でそれでもなお質の高いサービスを
より一層の低価格で求めていくことが
果たして妥当な判断なのだろうか?
モノを売るためのコストと色々と上がっているように思う。
トレーザビリティーとかを導入しても
モノの値段が同じで済むというのは
どういうことなのかを考えればわかるかと思う。
それでも価格が下がっているのは
色々な「努力」によって実現されているところが多いのかもしれない。
その努力というのもどこまで求められるのかを考えると
自ずと限界があるような気がする。
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2009年10月21日
支持
その1
お客様にご案内いたします。
ただいま警察が路上駐車の取締りを行っております。
お車の御移動を願います。
そんな店内放送が流れた今日の職場。
案内をしているのは店長。
本当にこういうのはお客さんのことを思っても
すべきではないと疑問に思うのだけれど
そう思う人間はお客様本意ではないのだろうか?
取締りをしていなければ路上駐車禁止の道路に
自動車を止めてもいいのか、という問題点もあるし、
そこまでさせて買い物をして頂く必要があるのか、というのを思ってしまう自分には
そんな店内放送が異様に思えたりする。
だって路上駐車しているから優先的にレジを打ってほしいとか
平気でいうお客さんもいるわけで、
そういうのを許したりしたら、誰だって路上駐車して
我、先に会計をしてもらいたくなるじゃないですか!?
真面目に並んでいる人がバカらしくなると思うけど、
そういうのをやはり考えてはくれないのだろうなぁ。
路上駐車の店内放送はしなければしないで、
なぜ教えてくれなかったのか問い詰める人もいるんだとか。
見苦しい。
その2
絶対価格競争の余波があるから
いくら集客しても喜んでいられる事態じゃないんだと思うんだけど……。
他の部署なのだけれど、
今日は本部の人のお手伝いに社長も動員、
そして本来休みに充てられていた部署の社員の人も
朝だけやってきてとにかくすごい売り場を作り上げた。
色々と詰め放題を企画。
安い!!という魅力で人が集まる一方で
購買量というのは自ずと制約されてくるので
労働量に見合う売上げというものが実感よりも乏しいという結果になった。
それでもお客さんに喜んでもらえれば
人がつくから大丈夫、という評価がついてしまうというのは
どういうことなのかな、と思う。
だから本来いない人である本部の人と社長に休みの社員の人を動員して
この人たちに派生するであろうコストを抑制して
安く売ってなおかつたくさん売るのには
色々と仕事をこなさなければいけないので
相対的に悪循環を繰り返しているので
これをお客さんが支持しているのであれば、
自ずとそういう体制を継続していかなければならないとなると
行き詰るのが見えているような気がするんだけどなぁ。
毎週、その社員の人は休めなくなっちゃうんだから。
とにかく社長がこの担当の人をサポートする姿勢はすごいと思った。
でもそれを何度も続けてもらうのも辛い。
そういうコストを踏まえなければ
しかるべき利益額が算出されるんだけど。
その3
せわしない開店準備の中にいきなり社長に呼び止められて
病気になっていた僕がお世話になった方がなくなった事を告げられた。
この方の代役として今の職場に配属されていたので
復帰を待ちわびていたものの、
それも叶うこともなくなってしまった。
代役といっても自分はそういう人に及ばないまま
苦境に立たされながらの日々が一方で続く。
物故について従業員を集めて報告する、ということもないままに
日常という販売業務が行われていくというものを皮肉に思ったし、
それをどこまで受け止めながら仕事をしていくのかを踏まえると
そういう決断も一方では妥当なのではないか、という話を部署でした。
お客様にご案内いたします。
ただいま警察が路上駐車の取締りを行っております。
お車の御移動を願います。
そんな店内放送が流れた今日の職場。
案内をしているのは店長。
本当にこういうのはお客さんのことを思っても
すべきではないと疑問に思うのだけれど
そう思う人間はお客様本意ではないのだろうか?
取締りをしていなければ路上駐車禁止の道路に
自動車を止めてもいいのか、という問題点もあるし、
そこまでさせて買い物をして頂く必要があるのか、というのを思ってしまう自分には
そんな店内放送が異様に思えたりする。
だって路上駐車しているから優先的にレジを打ってほしいとか
平気でいうお客さんもいるわけで、
そういうのを許したりしたら、誰だって路上駐車して
我、先に会計をしてもらいたくなるじゃないですか!?
真面目に並んでいる人がバカらしくなると思うけど、
そういうのをやはり考えてはくれないのだろうなぁ。
路上駐車の店内放送はしなければしないで、
なぜ教えてくれなかったのか問い詰める人もいるんだとか。
見苦しい。
その2
絶対価格競争の余波があるから
いくら集客しても喜んでいられる事態じゃないんだと思うんだけど……。
他の部署なのだけれど、
今日は本部の人のお手伝いに社長も動員、
そして本来休みに充てられていた部署の社員の人も
朝だけやってきてとにかくすごい売り場を作り上げた。
色々と詰め放題を企画。
安い!!という魅力で人が集まる一方で
購買量というのは自ずと制約されてくるので
労働量に見合う売上げというものが実感よりも乏しいという結果になった。
それでもお客さんに喜んでもらえれば
人がつくから大丈夫、という評価がついてしまうというのは
どういうことなのかな、と思う。
だから本来いない人である本部の人と社長に休みの社員の人を動員して
この人たちに派生するであろうコストを抑制して
安く売ってなおかつたくさん売るのには
色々と仕事をこなさなければいけないので
相対的に悪循環を繰り返しているので
これをお客さんが支持しているのであれば、
自ずとそういう体制を継続していかなければならないとなると
行き詰るのが見えているような気がするんだけどなぁ。
毎週、その社員の人は休めなくなっちゃうんだから。
とにかく社長がこの担当の人をサポートする姿勢はすごいと思った。
でもそれを何度も続けてもらうのも辛い。
そういうコストを踏まえなければ
しかるべき利益額が算出されるんだけど。
その3
せわしない開店準備の中にいきなり社長に呼び止められて
病気になっていた僕がお世話になった方がなくなった事を告げられた。
この方の代役として今の職場に配属されていたので
復帰を待ちわびていたものの、
それも叶うこともなくなってしまった。
代役といっても自分はそういう人に及ばないまま
苦境に立たされながらの日々が一方で続く。
物故について従業員を集めて報告する、ということもないままに
日常という販売業務が行われていくというものを皮肉に思ったし、
それをどこまで受け止めながら仕事をしていくのかを踏まえると
そういう決断も一方では妥当なのではないか、という話を部署でした。
2009年10月20日
人の心は移り気で
今日が地元の後期基本計画案のパブリックコメントの締切日。
必着ということになっている。
そんな中で前話で市民ポストじゃなくって、
郵便を使わうようにしなきゃダメだ!!とかいいながら
結局は市役所に持ち込む羽目になってしまった。
先週の金曜日の夜の段階で提出書類は完成していたのだけれど、
郵便局へ行き、投函する余力がなかった。
パブリックコメント書く!!と公言していてこの体たらく。
職場の休憩時間に抜け出して郵便局へ、というのは
もう今の職場では余力がない。身体もたない。
言い訳はいくらでもできるのだけれど
そういう手間をしっかりとかけるような段取りを組まなければ
確実に雇用の受け皿が減ってくる。
意識すればするほど難しい話。
責任を負うというのは辛い。しかも容易な話ではないのだから。
そして地元の話が続く。
所詮幻想に過ぎないのだけれど、
本当につくづく人間は愛せない時代になっていくんだなぁ、と。
北初富駅近くのKマートがリニューアルして
オリンピック鎌ヶ谷店として復活した。
久しぶりに「OSC」の看板がこの街に戻った。
開店日が設定されている中で工事にとりかかっていた方々の
苦労というのは想像するに難くない話だけれど、
それがどの程度なのかというのは
僕には理解できるとは思えないのを踏まえつつ話を進めていくよ。
食料品を取りやめ、
自転車売場やホームセンター的な色彩を強めた売場として甦ったオリンピック。
おおぞら幼稚園近くの駐車場を縮小しつつも従業員用として確保したり
店舗前のタイムズ24として有効活用を図って、
徐々に規模を狭めながらこれまで店舗維持をしてきた。
そういう中で本日の開店初日は
僕が中学生の頃にできたオリンピック鎌ヶ谷店の盛況ぶりを
髣髴させるくらいの人出があったようだ。
店舗前の駐車場で事足りるくらいだった自動車の出入りに
久しぶりに「満車」の表示が出て、
縮小したりしていた従業員用駐車場も開放し
この狭い国道464号のあおぞら幼稚園や“やまや”がある歩道にも
無謀にも自動車へと買い物をした
カートを運ぶ人の姿を見受けられるほどだった。
(反対車線はガードレールで歩道が確保されている)
そういう光景が甦れば甦るほど
僕はつくづく人間というものの抱く思いというものは
短絡的で盛況ぶりが凄ければ凄いほど、そういうものが長く続かないものだというのを
予感させられるものだったりする。
ここまで呼び寄せられる人は
普段どこで購買・消費行動をしているのかを鑑みれば
こういう光景が続けば続くほど、
相対的に疲弊していく商業施設が出てくるのは明らかであるし
この需要も「ムリのない次元」で続けるというのは
容易ではないのは誰にだって想像がつく話ではないかと思う。
僕の理論は既存の商業施設維持が
世間一般でいう賃金体系、もしくはマニフェストにあった
最低賃金時給1000円を確保することが全て前提なので
近隣の競合する商業施設は少なからず打撃を被る事になるし、
「子育てにやさしい社会」を望むのであれば
そういう人たちに収入を保障するような購買を意図しなければいけないわけで、
維持するべきハードルが高くなればなるほど
僕らはそれに見合う消費行動をすることができなくなってくる。
できなければ支援をしなければいけないけれど、
その支援をするだけの収入がどこにあるのかを考えれば
そういう方策へとたどり着くのは
決して望むべきではないだろう。
既に日本の国家予算も収入の倍近くの国債によって
「支援」を成り立たせている以上、
これ以上支援依存度を高くする競争を煽動することは
賢いものだとは思えない。
となれば自ずと自分たちがこなせる消費行動の次元の中で
多少の流動性を派生することは否めないけれど、商業施設を維持し、
それぞれがムリなく生活を営める次元を作り出すように意図するしかない。
特需が特需であればそれが覚めた時のギャップを埋める手立てというのは
手配するのが容易ではなくなってくる中で
どれだけ冷静な購買行為に及ぶことができるのだろうか?
まさか「子育てにやさしい社会」を望む人が
低賃金労働や過酷な労働条件で他人を働かせて
自分のもとにサービスの受給を目論んだりはしないとは思うけれどね。
求めれば求めるほど「自分の子育て」にやさしい社会であって
「他人の子育て」にやさしい社会というものを
構築できなくなることも十二分に踏まえなければいけないんだ。
意識するのは容易な話ではないし、
今まで浸っていた(その恩恵による)物質的な豊かさをどれだけ放棄できるのか
常に悩むものになるのだと思うと、
何も躊躇しないままに集客がなされてしまう商業施設の
盛況ぶりはつくづく怖いものだと思わされてしまう。
オリンピック鎌ヶ谷店は駐車場を
現在よりも遥かに有していた時期がある。
それだけの需要を見込んでいたし、
それだけの需要ができるだけの店舗として
存在することができた社会構造なのだったと思う。
現在以上に商業施設が多くなく、人口構造も若いこと、
所得が伸びていく見込みがあった時代だから
当時はそういう判断が決して間違いないものだった。
それが徐々に縮小をはじめ、おおぞら幼稚園ができたのもあって
お好み焼き「くにもと」の道路向かいの駐車場は
従業員用の駐車場となり、店舗前の駐車場も
タイムズ24として有効活用をはかろうとするぐらい
「努力」を強いる状況へと追い込まれるほど
我々は供給するだけの購買力を
この店舗に注ぎ込むことができなくなってしまった。
そして結果としてオリンピック鎌ヶ谷店が
ディスカウントストアKマートとなり、さらに食料品の撤退を招いた事態は
決して商業施設の「努力」が足りなかったというものではない。
僕らはそういうものの中で「定期的な需要」を導き出す「努力」をしたのか、
ムリなく意識ない次元でそれができるような街を作ってきたのかというのは
常に反省に反省を重ねなければいけないものだと思う。
長く街に住んでいる人間であればなおさら。
食料品は食料品で徐々に均一セールの価格が
競争原理によって下がっていることにお気付きですか!?
「安い!!」
販売するお店はそれでも利益が出るのだとしたら、
その損失分はどこに余波が来るのかというのを考えなければいけない。
モノというのにはしかるべきコストというのが
どんなことをしてもかかるわけで、
それを削るというのがどういうものなのか深刻に考えれば
この事態が更なる悪夢に陥ることも想定することになるだろう。
人の心は移り気で
そういうのを色々と誤魔化せる局面ではもはやなくなった。
鎌ヶ谷ショッピングプラザに移転したサンドラッグの
旧店舗(もと紳士服はるやま=テルモの隣)にエンターキングが移転することになった。
色々と引越しの準備中。月末にこちらの店舗を開店とか。
これによって初富駅周辺の空店舗が一つ解消されることになった。
「まごめ」の跡にできたマンションにも介護サービスの事業所が入り、
少なくとも空き店舗問題に若干の光明。
と思ったら大間違い。
今度は店舗の維持に頭を悩まさなければいけない。
エンターキングが現在入っているテナントは
現在ディスクボーイとなっているレンタルビデオ店が以前入っていて、
相次いで移転しているということになる。
というわけで初富駅周辺の空き店舗が少し解消されるけど
そうでないところに一店舗「空き」が生じてしまう。
しかも初富駅と鎌ヶ谷大仏駅間の県道57号線は
市内の駅周辺に大型店舗ができている反動だけではないと思うのだけれど
右京塚交差点付近に東武鎌ヶ谷団地があることもあって
断続的に商店が駅間にも関わらず並んでいるという
特殊な光景を生み出していたところに
ここ数年来で徐々に分断傾向の色彩が濃くなっている印象が拭えない。
デニーズ、ケーヨーD2、すばる書店、藍屋など
大型店は余波ともいうべき交通量で需要が賄えている一方で
そうでない商店は宅地化されたり
空き店舗になっているところも多い。
そういう中でのエンターキングの移転。
これが致命的な話ではないのだけれど、
改めてそういうものを自分の中で浮き彫りにさせる契機となった。
店舗を持たなければ供給を意識しないでもいいのだけれど
既にそれが存在するから色々と困る話。
さらにそれよりも増えていくとなるとねぇ。
できちゃった!!じゃないってば。
そういえばリアルタイムがウリの某恋愛ゲームが
中古市場に出回りだしていた。
所詮リアルでないから、というものもあるだろうけれど
人の心は続かない、というのを
さりげなく仄めかしているように自分は思えてならない。
じゃあリアルならそれを負担と思うことなく、どこまで愛せます!?
人間だけでなくあらゆるものに対して、それが有限であることは必然的で
これをすでに意識する次元に陥っていること自体が病理だと思う。
そういうのを意識させないで消費させてきたのが経済であり
その恩恵を受けてよくも悪くも成長や発展を遂げてきたのが
現代の市場そのもの。
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必着ということになっている。
そんな中で前話で市民ポストじゃなくって、
郵便を使わうようにしなきゃダメだ!!とかいいながら
結局は市役所に持ち込む羽目になってしまった。
先週の金曜日の夜の段階で提出書類は完成していたのだけれど、
郵便局へ行き、投函する余力がなかった。
パブリックコメント書く!!と公言していてこの体たらく。
職場の休憩時間に抜け出して郵便局へ、というのは
もう今の職場では余力がない。身体もたない。
言い訳はいくらでもできるのだけれど
そういう手間をしっかりとかけるような段取りを組まなければ
確実に雇用の受け皿が減ってくる。
意識すればするほど難しい話。
責任を負うというのは辛い。しかも容易な話ではないのだから。
そして地元の話が続く。
所詮幻想に過ぎないのだけれど、
本当につくづく人間は愛せない時代になっていくんだなぁ、と。
北初富駅近くのKマートがリニューアルして
オリンピック鎌ヶ谷店として復活した。
久しぶりに「OSC」の看板がこの街に戻った。
開店日が設定されている中で工事にとりかかっていた方々の
苦労というのは想像するに難くない話だけれど、
それがどの程度なのかというのは
僕には理解できるとは思えないのを踏まえつつ話を進めていくよ。
食料品を取りやめ、
自転車売場やホームセンター的な色彩を強めた売場として甦ったオリンピック。
おおぞら幼稚園近くの駐車場を縮小しつつも従業員用として確保したり
店舗前のタイムズ24として有効活用を図って、
徐々に規模を狭めながらこれまで店舗維持をしてきた。
そういう中で本日の開店初日は
僕が中学生の頃にできたオリンピック鎌ヶ谷店の盛況ぶりを
髣髴させるくらいの人出があったようだ。
店舗前の駐車場で事足りるくらいだった自動車の出入りに
久しぶりに「満車」の表示が出て、
縮小したりしていた従業員用駐車場も開放し
この狭い国道464号のあおぞら幼稚園や“やまや”がある歩道にも
無謀にも自動車へと買い物をした
カートを運ぶ人の姿を見受けられるほどだった。
(反対車線はガードレールで歩道が確保されている)
そういう光景が甦れば甦るほど
僕はつくづく人間というものの抱く思いというものは
短絡的で盛況ぶりが凄ければ凄いほど、そういうものが長く続かないものだというのを
予感させられるものだったりする。
ここまで呼び寄せられる人は
普段どこで購買・消費行動をしているのかを鑑みれば
こういう光景が続けば続くほど、
相対的に疲弊していく商業施設が出てくるのは明らかであるし
この需要も「ムリのない次元」で続けるというのは
容易ではないのは誰にだって想像がつく話ではないかと思う。
僕の理論は既存の商業施設維持が
世間一般でいう賃金体系、もしくはマニフェストにあった
最低賃金時給1000円を確保することが全て前提なので
近隣の競合する商業施設は少なからず打撃を被る事になるし、
「子育てにやさしい社会」を望むのであれば
そういう人たちに収入を保障するような購買を意図しなければいけないわけで、
維持するべきハードルが高くなればなるほど
僕らはそれに見合う消費行動をすることができなくなってくる。
できなければ支援をしなければいけないけれど、
その支援をするだけの収入がどこにあるのかを考えれば
そういう方策へとたどり着くのは
決して望むべきではないだろう。
既に日本の国家予算も収入の倍近くの国債によって
「支援」を成り立たせている以上、
これ以上支援依存度を高くする競争を煽動することは
賢いものだとは思えない。
となれば自ずと自分たちがこなせる消費行動の次元の中で
多少の流動性を派生することは否めないけれど、商業施設を維持し、
それぞれがムリなく生活を営める次元を作り出すように意図するしかない。
特需が特需であればそれが覚めた時のギャップを埋める手立てというのは
手配するのが容易ではなくなってくる中で
どれだけ冷静な購買行為に及ぶことができるのだろうか?
まさか「子育てにやさしい社会」を望む人が
低賃金労働や過酷な労働条件で他人を働かせて
自分のもとにサービスの受給を目論んだりはしないとは思うけれどね。
求めれば求めるほど「自分の子育て」にやさしい社会であって
「他人の子育て」にやさしい社会というものを
構築できなくなることも十二分に踏まえなければいけないんだ。
意識するのは容易な話ではないし、
今まで浸っていた(その恩恵による)物質的な豊かさをどれだけ放棄できるのか
常に悩むものになるのだと思うと、
何も躊躇しないままに集客がなされてしまう商業施設の
盛況ぶりはつくづく怖いものだと思わされてしまう。
オリンピック鎌ヶ谷店は駐車場を
現在よりも遥かに有していた時期がある。
それだけの需要を見込んでいたし、
それだけの需要ができるだけの店舗として
存在することができた社会構造なのだったと思う。
現在以上に商業施設が多くなく、人口構造も若いこと、
所得が伸びていく見込みがあった時代だから
当時はそういう判断が決して間違いないものだった。
それが徐々に縮小をはじめ、おおぞら幼稚園ができたのもあって
お好み焼き「くにもと」の道路向かいの駐車場は
従業員用の駐車場となり、店舗前の駐車場も
タイムズ24として有効活用をはかろうとするぐらい
「努力」を強いる状況へと追い込まれるほど
我々は供給するだけの購買力を
この店舗に注ぎ込むことができなくなってしまった。
そして結果としてオリンピック鎌ヶ谷店が
ディスカウントストアKマートとなり、さらに食料品の撤退を招いた事態は
決して商業施設の「努力」が足りなかったというものではない。
僕らはそういうものの中で「定期的な需要」を導き出す「努力」をしたのか、
ムリなく意識ない次元でそれができるような街を作ってきたのかというのは
常に反省に反省を重ねなければいけないものだと思う。
長く街に住んでいる人間であればなおさら。
食料品は食料品で徐々に均一セールの価格が
競争原理によって下がっていることにお気付きですか!?
「安い!!」
販売するお店はそれでも利益が出るのだとしたら、
その損失分はどこに余波が来るのかというのを考えなければいけない。
モノというのにはしかるべきコストというのが
どんなことをしてもかかるわけで、
それを削るというのがどういうものなのか深刻に考えれば
この事態が更なる悪夢に陥ることも想定することになるだろう。
人の心は移り気で
そういうのを色々と誤魔化せる局面ではもはやなくなった。
鎌ヶ谷ショッピングプラザに移転したサンドラッグの
旧店舗(もと紳士服はるやま=テルモの隣)にエンターキングが移転することになった。
色々と引越しの準備中。月末にこちらの店舗を開店とか。
これによって初富駅周辺の空店舗が一つ解消されることになった。
「まごめ」の跡にできたマンションにも介護サービスの事業所が入り、
少なくとも空き店舗問題に若干の光明。
と思ったら大間違い。
今度は店舗の維持に頭を悩まさなければいけない。
エンターキングが現在入っているテナントは
現在ディスクボーイとなっているレンタルビデオ店が以前入っていて、
相次いで移転しているということになる。
というわけで初富駅周辺の空き店舗が少し解消されるけど
そうでないところに一店舗「空き」が生じてしまう。
しかも初富駅と鎌ヶ谷大仏駅間の県道57号線は
市内の駅周辺に大型店舗ができている反動だけではないと思うのだけれど
右京塚交差点付近に東武鎌ヶ谷団地があることもあって
断続的に商店が駅間にも関わらず並んでいるという
特殊な光景を生み出していたところに
ここ数年来で徐々に分断傾向の色彩が濃くなっている印象が拭えない。
デニーズ、ケーヨーD2、すばる書店、藍屋など
大型店は余波ともいうべき交通量で需要が賄えている一方で
そうでない商店は宅地化されたり
空き店舗になっているところも多い。
そういう中でのエンターキングの移転。
これが致命的な話ではないのだけれど、
改めてそういうものを自分の中で浮き彫りにさせる契機となった。
店舗を持たなければ供給を意識しないでもいいのだけれど
既にそれが存在するから色々と困る話。
さらにそれよりも増えていくとなるとねぇ。
できちゃった!!じゃないってば。
そういえばリアルタイムがウリの某恋愛ゲームが
中古市場に出回りだしていた。
所詮リアルでないから、というものもあるだろうけれど
人の心は続かない、というのを
さりげなく仄めかしているように自分は思えてならない。
じゃあリアルならそれを負担と思うことなく、どこまで愛せます!?
人間だけでなくあらゆるものに対して、それが有限であることは必然的で
これをすでに意識する次元に陥っていること自体が病理だと思う。
そういうのを意識させないで消費させてきたのが経済であり
その恩恵を受けてよくも悪くも成長や発展を遂げてきたのが
現代の市場そのもの。
続きを読む
2009年10月19日
循環
節約になる、ということは裏を返せば経済の循環が滞ったり、
場合によっては途切れることになりかねないというのを
意識しないと非常に危ないものだと思う。
市民ポストが便利だ!!
市内にある公共施設に設置されている市民ポストを重宝させて頂いている。
市役所への提出する書類などは
ここに投函すると公共施設の業務の兼ね合いで届けてくれるという優れもの。
しかも無料。
まちづくり市民会議の提出課題を〆切のギリギリまでかけて仕上げることができたのは
この市民ポストがあったからこそ。
郵便ポストの投函だと間に合わないおそれがあるのを
これでカバーできてしまうのだから
作業の遅い自分にとっては救いの手だった。
でもこのポスト、一概に手放しで喜べる代物ではない。
本来は郵便局に流れる切手代が
郵便局に流れないのだからこれは大変なこと。
冷静に踏まえると
行政が個人に出す郵便物やその逆のケース個人が行政に出す郵便物は
企業が投函するダイレクトメールと並んで
この郵便事業を支えているものの一つであって、郵便事業の存在理由を示しているものだ。
そういうものに「微々」たるものであるとしても
「血液」として流れていく経済が細っていく要素となることは
十二分に考えられない話ではない。
確かに市民ポストはタイミングを合わせると格段に早い。
でもそれを享受するというのは
どういうことなのかも考えなければいけない。
初めて提出課題で市民ポストの恩恵を受けたあと、
まちづくり市民会議の提出書類の封筒に
切手が貼ってあるのを意識した。
市役所に直接持っていったり、市民ポストを使えば切手代くらい、と思う一方で
そういうものを積み重ねていくことで
人の活躍の場や存在理由を確保していくのも
行政として考えるべきものだというのを感じた。
一概にそれを素晴らしい、という気もない。
こういうのも一側面として存在している。
本当は課題を早めに提出して郵便ポストに投函で
切手代も活きるし、配達をされる方にとっては
一方で負担かもしれないけれど、
一方では活躍の場が与えられるということになるんだよねぇ。
切り捨てれば捨てるほど人の活躍の場は狭まっていく。
人口減社会であればなおさらに。
難しい話だ。
で、某市議会議員さんの「会報すえひろ」29号が出ていたけれど、
どうしてこうプラス思考になれるのか不思議。
僕の(父母の)老後はどうなってしまうんだろう?
あまりいいことないと思うけどさらに悪くなる気がする。
高齢者介護問題で
老人保健施設を平成23年度までに200床確保するというものを
一般質問で行政から引き出したことについて
介護困難家庭の預け先探しが楽になって、介護疲れ殺人が防げますって
簡単にそれで語られてしまっているのだけれど、
預け先探しが楽になっても、預けるおカネがなければ
介護疲れ殺人は防げないんだけど……、という
根本的な何かが僕とその市議会議員さんの間で違う。
(親を介護で疲れて殺すとかそういう話ではない)
要はそういうものを意識しないでいられる次元に
身を置いているのか、置いていないのかという差なのだろうけれど。
預け先が確保されてもおカネが工面できなければ、
その預け先確保という事業が機能しなくなる。
機能するために工面できない人に対してできるように支援を!!となるだろうけれど、
その支援をするだけの余力が行政にあるのだろうか?
毎回言っているけど、
支援はされる人よりもする人(もしくはおカネ)が多くなければ
必然的に成り立たない。
今の社会の構造を考えれば
どう見ても支援される人、支援必要なおカネの方が多くなるのは明らか。
そういう中で工面できないようなサービスを
利益算出を視野にいれるビジネスとして扱っていくというのが
いかに恐ろしいことなのか、というのは
自ずと見えてくるものだと自分は思うのだけれど、どうなのだろう?
施設維持のために自ずとコストダウンを図る事になれば
悪循環を繰り返していくのは目に見えている。
経済的な繁栄ばかりを純粋に追える時代ではもはやない。
場合によっては途切れることになりかねないというのを
意識しないと非常に危ないものだと思う。
市民ポストが便利だ!!
市内にある公共施設に設置されている市民ポストを重宝させて頂いている。
市役所への提出する書類などは
ここに投函すると公共施設の業務の兼ね合いで届けてくれるという優れもの。
しかも無料。
まちづくり市民会議の提出課題を〆切のギリギリまでかけて仕上げることができたのは
この市民ポストがあったからこそ。
郵便ポストの投函だと間に合わないおそれがあるのを
これでカバーできてしまうのだから
作業の遅い自分にとっては救いの手だった。
でもこのポスト、一概に手放しで喜べる代物ではない。
本来は郵便局に流れる切手代が
郵便局に流れないのだからこれは大変なこと。
冷静に踏まえると
行政が個人に出す郵便物やその逆のケース個人が行政に出す郵便物は
企業が投函するダイレクトメールと並んで
この郵便事業を支えているものの一つであって、郵便事業の存在理由を示しているものだ。
そういうものに「微々」たるものであるとしても
「血液」として流れていく経済が細っていく要素となることは
十二分に考えられない話ではない。
確かに市民ポストはタイミングを合わせると格段に早い。
でもそれを享受するというのは
どういうことなのかも考えなければいけない。
初めて提出課題で市民ポストの恩恵を受けたあと、
まちづくり市民会議の提出書類の封筒に
切手が貼ってあるのを意識した。
市役所に直接持っていったり、市民ポストを使えば切手代くらい、と思う一方で
そういうものを積み重ねていくことで
人の活躍の場や存在理由を確保していくのも
行政として考えるべきものだというのを感じた。
一概にそれを素晴らしい、という気もない。
こういうのも一側面として存在している。
本当は課題を早めに提出して郵便ポストに投函で
切手代も活きるし、配達をされる方にとっては
一方で負担かもしれないけれど、
一方では活躍の場が与えられるということになるんだよねぇ。
切り捨てれば捨てるほど人の活躍の場は狭まっていく。
人口減社会であればなおさらに。
難しい話だ。
で、某市議会議員さんの「会報すえひろ」29号が出ていたけれど、
どうしてこうプラス思考になれるのか不思議。
僕の(父母の)老後はどうなってしまうんだろう?
あまりいいことないと思うけどさらに悪くなる気がする。
高齢者介護問題で
老人保健施設を平成23年度までに200床確保するというものを
一般質問で行政から引き出したことについて
介護困難家庭の預け先探しが楽になって、介護疲れ殺人が防げますって
簡単にそれで語られてしまっているのだけれど、
預け先探しが楽になっても、預けるおカネがなければ
介護疲れ殺人は防げないんだけど……、という
根本的な何かが僕とその市議会議員さんの間で違う。
(親を介護で疲れて殺すとかそういう話ではない)
要はそういうものを意識しないでいられる次元に
身を置いているのか、置いていないのかという差なのだろうけれど。
預け先が確保されてもおカネが工面できなければ、
その預け先確保という事業が機能しなくなる。
機能するために工面できない人に対してできるように支援を!!となるだろうけれど、
その支援をするだけの余力が行政にあるのだろうか?
毎回言っているけど、
支援はされる人よりもする人(もしくはおカネ)が多くなければ
必然的に成り立たない。
今の社会の構造を考えれば
どう見ても支援される人、支援必要なおカネの方が多くなるのは明らか。
そういう中で工面できないようなサービスを
利益算出を視野にいれるビジネスとして扱っていくというのが
いかに恐ろしいことなのか、というのは
自ずと見えてくるものだと自分は思うのだけれど、どうなのだろう?
施設維持のために自ずとコストダウンを図る事になれば
悪循環を繰り返していくのは目に見えている。
経済的な繁栄ばかりを純粋に追える時代ではもはやない。
感動再び
そこまでしてやらなければいけないのかを思うと
到底そんなことはないとしか思えないんだけどなぁ。
所詮時流に乗り遅れた前時代的な人間の発想だけど。
なお未だに我が家はアナログのまま。
レコーダーもビデオ。
デジタル化するのには膨大過ぎて気が重いことこの上ない。
話に聞いていた地上デジタルの総務省による無料説明会の案内が来た。
“初めてテレビが来た時のうれしさ、白黒からカラーになった時の驚き”
「あの時のテレビの感動を再び」とチラシで語りかけられても文言が響かない。
そういう世代じゃないし、
そこまで歴然とした差というものを感じることもないというのが実感。
で、こういうものが税によって賄われているのかと思うと
ムリヤリ需要を引き出している感じがするのは
やはり僕の人生行き詰っているからなのだろうか。
その市内の説明会の頻度を見れば
当然移行する以上、多くの人に説明する必要があるのだから
場所も頻度も相応に確保しなければいけないのはわかるのだけれど、
そこまで!?というくらいに説明会が開催されることが明らか。
市内の公共施設は全て網羅、といっても過言でないくらいに
会場を設けて各地で2日ずつ一日2〜3回の合計5回、
それぞれで開催する。
やはりしかるべき人員が動員されるわけで、
それもしかるべきコストがかかることを意味する。
納得のいかない事業だけにそういうのが余計に目立つ印象。
しかもみんなこれが特需であって
継続しないだけになおさら際立つものとなる。
さらにビックリするのは
65歳以上の高齢者のみの世帯に希望に対して
個別訪問も実施するというその手の行き届いた配慮。
そこまでして移行させる必要は本当にあるのだろうか?
技術の進歩以上に経済的な色彩が濃い中で
その「感動」というのは押し付けられるようなものに
過ぎないのかもしれない。
テレビは果たして必要なのか、など根本的な問いかけをすることになれば
やはりメディアとそれに関わる産業の存在理由が揺らぐことを意味するから
決してそんな問いかけをさせることもなく移行させることが
産業の維持や発展の側面からしても賢明なのかもしれない。
そういうものが国家を支える基幹として存在するのも
紛れもない事実であって否定できないことのような気がする。
昔みたいにテレビ見て楽しい、とか
このテレビ番組のために一週間生きていたんだ!!という喜びが何もない近況。
むしろ番組消化が負担に思えてならないくらい。
ゲームのモニターとしての機能、といっても
そのゲームも「娯楽」ではなく消化が「負担」となっている有様。
先行き辛いな……。
到底そんなことはないとしか思えないんだけどなぁ。
所詮時流に乗り遅れた前時代的な人間の発想だけど。
なお未だに我が家はアナログのまま。
レコーダーもビデオ。
デジタル化するのには膨大過ぎて気が重いことこの上ない。
話に聞いていた地上デジタルの総務省による無料説明会の案内が来た。
“初めてテレビが来た時のうれしさ、白黒からカラーになった時の驚き”
「あの時のテレビの感動を再び」とチラシで語りかけられても文言が響かない。
そういう世代じゃないし、
そこまで歴然とした差というものを感じることもないというのが実感。
で、こういうものが税によって賄われているのかと思うと
ムリヤリ需要を引き出している感じがするのは
やはり僕の人生行き詰っているからなのだろうか。
その市内の説明会の頻度を見れば
当然移行する以上、多くの人に説明する必要があるのだから
場所も頻度も相応に確保しなければいけないのはわかるのだけれど、
そこまで!?というくらいに説明会が開催されることが明らか。
市内の公共施設は全て網羅、といっても過言でないくらいに
会場を設けて各地で2日ずつ一日2〜3回の合計5回、
それぞれで開催する。
やはりしかるべき人員が動員されるわけで、
それもしかるべきコストがかかることを意味する。
納得のいかない事業だけにそういうのが余計に目立つ印象。
しかもみんなこれが特需であって
継続しないだけになおさら際立つものとなる。
さらにビックリするのは
65歳以上の高齢者のみの世帯に希望に対して
個別訪問も実施するというその手の行き届いた配慮。
そこまでして移行させる必要は本当にあるのだろうか?
技術の進歩以上に経済的な色彩が濃い中で
その「感動」というのは押し付けられるようなものに
過ぎないのかもしれない。
テレビは果たして必要なのか、など根本的な問いかけをすることになれば
やはりメディアとそれに関わる産業の存在理由が揺らぐことを意味するから
決してそんな問いかけをさせることもなく移行させることが
産業の維持や発展の側面からしても賢明なのかもしれない。
そういうものが国家を支える基幹として存在するのも
紛れもない事実であって否定できないことのような気がする。
昔みたいにテレビ見て楽しい、とか
このテレビ番組のために一週間生きていたんだ!!という喜びが何もない近況。
むしろ番組消化が負担に思えてならないくらい。
ゲームのモニターとしての機能、といっても
そのゲームも「娯楽」ではなく消化が「負担」となっている有様。
先行き辛いな……。
結論を出すのには早すぎる
「残業時間が減っているようです。」
先日新聞で目にした22〜39歳の働く男女に尋ねた
一ヶ月の平均残業時間は20時間未満が36.0%で、
残業なしは12.1%でこれら2項目をあわせると
約半数に達するというところから
こういう形容が導き出されているのだけれど、
全然実感に乏しい数値が叩き出された印象しかない。
というよりもそういう人たちの一方で
80時間以上の残業をこなしている人たちが3.2%いるのに対しては
何も触れられていないほうが遥かに問題であるような気がする。
数字が語るのは紛れもない事実だ。
でもその数字は
遥かにそんな楽観的な展望を指し示すようなものではないと
自分は思う。
少なくともそうでない境遇に身を置いている自分にしてみれば
簡単にそういわれてしまうのは面白くないことこの上ない。
まずこの数字を根本的に揺らがせるものは
「残業」というものの定義であって、
これに該当する人が確実に限られてくることになる。
色々と考えると非常に曖昧なものであることに気付く。
職業によって多様性があるので一概にいえない中での
標本調査であることに留意すべきだと思う。
年俸制やみなし労働を視野に入れてくると
本来は残業があるのに「残業はない」という構造を
作り上げることが可能であること。
そして残業手当がこの20時間までは出るけれど、
それ以上は出ない、出せない、というケースも
この部類に当てはめることができないわけではない。
さらに家に仕事を持ち帰る場合も残業というものに該当しない。
こういうのを踏まえていくとその数字というのは
決して弾き出されることが不思議ではないように思える。
そんな簡単に世の中動いているものなのだろうか?
いずれにせよ鵜呑みにするものではないし、
そういうものを基準に物事を成り立てるのは
あまりに尚早だと思う。
そうでない人に対して何らかの手立てのない状況であるのなら
なおさらのこと。
先日新聞で目にした22〜39歳の働く男女に尋ねた
一ヶ月の平均残業時間は20時間未満が36.0%で、
残業なしは12.1%でこれら2項目をあわせると
約半数に達するというところから
こういう形容が導き出されているのだけれど、
全然実感に乏しい数値が叩き出された印象しかない。
というよりもそういう人たちの一方で
80時間以上の残業をこなしている人たちが3.2%いるのに対しては
何も触れられていないほうが遥かに問題であるような気がする。
数字が語るのは紛れもない事実だ。
でもその数字は
遥かにそんな楽観的な展望を指し示すようなものではないと
自分は思う。
少なくともそうでない境遇に身を置いている自分にしてみれば
簡単にそういわれてしまうのは面白くないことこの上ない。
まずこの数字を根本的に揺らがせるものは
「残業」というものの定義であって、
これに該当する人が確実に限られてくることになる。
色々と考えると非常に曖昧なものであることに気付く。
職業によって多様性があるので一概にいえない中での
標本調査であることに留意すべきだと思う。
年俸制やみなし労働を視野に入れてくると
本来は残業があるのに「残業はない」という構造を
作り上げることが可能であること。
そして残業手当がこの20時間までは出るけれど、
それ以上は出ない、出せない、というケースも
この部類に当てはめることができないわけではない。
さらに家に仕事を持ち帰る場合も残業というものに該当しない。
こういうのを踏まえていくとその数字というのは
決して弾き出されることが不思議ではないように思える。
そんな簡単に世の中動いているものなのだろうか?
いずれにせよ鵜呑みにするものではないし、
そういうものを基準に物事を成り立てるのは
あまりに尚早だと思う。
そうでない人に対して何らかの手立てのない状況であるのなら
なおさらのこと。
2009年10月18日
ドラマのない人生なんてない〜成田市観光バスツアー第2弾!!〜
これも歳をとってから思うことなのだけれど、
小学4年の時に千葉県の歴史についての授業があって、
印旛沼の干拓をした人物といって
染谷源右衛門、田沼意次、水野忠邦という3人の
当時にしてみればわけのわからない人たちの紹介があった気がする。
僕にしてみれば印旛沼なんてものは
全然生活において直接接点を有するものでもないし、
とにかく汚い沼のイメージ(当時汚い湖のワーストを競っていた)しかない中で
そんな人たちはただテストの回答の穴埋めをするキーワードのようなものにしか思えなかった。
おまけに今も昔も千葉県に対する郷土愛というものが
皆無な人間なので、そんなローカルな話に付き合っていられない、というような印象に過ぎなかったけれど
そういう人物の名前が未だに自分の記憶の中に残っているというのは
結構すごい話だと思う。
田沼意次と水野忠邦という人は自分が思っている以上に
有名な人物だというのを徐々に知るようになったけれど、
それでも印旛沼というのは遠い存在に過ぎなかったし、
干拓事業といわれても具体的に何を意味するのかも
リアルなものとして実感にないままに
今日を迎えていたのだったりもする。
染谷源右衛門が大したことない、という話ではない。
裏を返すと権力者と違う立場で同じ事を行おうとした部分で
この人物も侮れない事がわかる。
こういうのを肌身で知るのが学生生活終わってから、というのだから
鈍いのにも程がある、というものだ。
さて宗吾霊堂から義民ロードと名づけられた
散策ルートのゴールに位置する「甚兵衛渡し」へと向かうにあたって
成田市コミュニティバスを利用させて頂く。
非常に極端な時間設定のダイヤが
「甚兵衛渡し」までの便になされていた。路線バス設定の代替?
やってきたバス「北須賀ルート」のバスは超満員。
公津小学校の下校にあわせてのバス運行のようで。
それにしても小学生5,6年生の会話って怖いなぁ。
たぶん、自分も当時はそういう会話をしていたんだと思うけど、
この歳になってそういう話を耳にすると小父さん困ってしまいますよ。
学校の先生やっている人が知り合いにいるだけに
こういう子の会話に「(児童との関係は)大丈夫なの!?」と
聞きたくなってしまった。
ちなみにこのバスルートは
東日本一大きい杉(推古天皇の頃からあるという)が鎮座する麻賀多神社のところも通る。
本当に改めて見ると世の中、意外なところにすごいものがあるなぁ、と。
僕が知らないだけなんだけどさ。

降り立ったところにあるのが甚兵衛の森。公園になっている。
甚兵衛は吉高(印旛村)に侠客で江戸へ直訴する惣五郎を禁を犯して船を出して送り、
印旛沼へと身を投じたという人物。

そしてこちらが“甚兵衛渡し”の印旛沼。
奥に見えるのが建設が進む成田新高速鉄道(対岸は印旛村=印旛日本医大方面)。
架線が一部設けられていない状況になっていた。
印旛沼は干拓事業によって若干当時と地形を異なるものとなっている。
本来の甚兵衛渡しは公園の遊具がある広場付近に位置していたらしい。
その位置に碑がある。
こういうのを目の当たりにして
当時授業で習ったような「干拓」がどういうものなのかを
やっと何となくわかるような次元。
わかったわけではない。所詮イメージに過ぎない。
漠然としていたものがほんの少し見えた、という程度。
その干拓をやってのけたのは明治期以降なのだけれど、
そういうものを志として抱けるのか、という部分と
技術があろうとやってのけてしまうその人間のすごさと
こういう状況下で逸話だとしても成り立った
甚兵衛渡し(水神の渡し)という渡し場で惣五郎とのドラマがあった空間。
こんなところに成田新高速が通ってしまうというのだから、
歳月というものはものすごい。
たぶん、こんなものを知らなければ成田新高速に乗っていても
気にもしないでその甚兵衛と惣五郎のドラマの舞台であるのも知らぬままに
「あ、印旛沼だ!!」と思う程度で通り過ぎるのだと思うと、
人生ってすごく味気ない気がする。
知っても1円の得にもならないけれど。
成田新高速はあっという間に通り抜けていく。
ドラマがない。
有り得ない話だけど、
惣五郎が成田新高速でさ〜っと江戸つまり東京に行って
将軍に直訴ではドラマにはならない。
直訴というものに至る過程がいかなるものなのかを考えると
その「宗吾様」と称えられる背景が浮かび上がってくるような気がする。
甚兵衛渡しは昭和43年甚兵衛大橋の完成で姿を消したという。
「渡し」というものが橋脚整備によって時代から消えていく頃に重なる。
そういう中で橋の名前に「甚兵衛」が冠されている。
国道464号に架かっているというのも色々な縁を思う話。
やっぱり大橋、でもドラマにならないよ、と思いつつも
見聞で聞いた以上は歩いて行ってみる。

ちょうど成田新高速と水道の工事現場の元を通って大橋の元へ。
甚兵衛大橋や成田新高速の「利便性」では
困難を乗り越えて直訴にたどり着くような「ドラマ」がないと思ったけど
工事現場をキョロキョロしながら歩いてみると
やはり「ドラマ」はあるのだと思った。
作業に携わる人たちがそれぞれに賛否はあると思うけれど、
人生を賭しながら関わっているわけで、
そういう中に「ドラマ」がないなんてことはないんだな、と。
「ドラマがない」と思っている自分は
その利便性という表面的なものに捉われているだけで
それがどうやって成り立っているのか、という
もう一つの「ドラマ」が展開されている部分に着目していないんだと。
公園で一休みしてコミュニティバスで帰路へ。
運転手さんは往路と同じ方だった。
車内はうって変わってガランとした感じ。
僕や子どもたちを北須賀地区の甚兵衛渡しまで輸送した後、
すぐに公津の杜駅へと折り返し、
再度ここまで運転業務をこなされてきたのだという。
折りしも甚兵衛渡しを訪ねに来た方と
このバスに乗り合わせ、運転士さんの口から
界隈のことについてや路線バスの話、
さらに運転勤務体制について色々とお話を伺えた。
宗吾霊堂に引き返して門前をあとにして
ゆるい下り坂を走っていくと
やがて高層マンションが並び立っている市街が見えてくる。
その中核に位置するのが公津の杜駅とユアエルム。
空港のベットタウン。
何もない、という印象の時にしか来たことがなかったので
その変容と同じ市域内におけるギャップに改めてビックリ。
これをどうやって埋めていくのか、というのが
広域な市域を抱える地域の最大の課題。

商業施設はテナント改廃などもやはり見る。
所得や産業構造、隣接する市街地などを踏まえれば、
どの程度の次元でテナントや商業施設が維持できるのかを考えながら
購買を行わなければならないのか、というのは至上命題だから。
具体的にそれがわからなくても
ぼんやりと見えてくるものがあると思う。
このあと京成成田駅に向かい、
京成成田駅に行くと必ず寄るパン屋さんがあるので
そこに立ち寄って一休みして帰路へ。
有名なお店じゃないけど、色々な縁があって、
この場所でたまたまパンを食べていた、というそれだけ。
あの日もこうやってパンを食べて、
列車に乗って家路に向かったなぁと。
意外にそういう場所ってところどころにあるんだね。
それだけ消費を繰り返せないってことなのだけれど。
小学4年の時に千葉県の歴史についての授業があって、
印旛沼の干拓をした人物といって
染谷源右衛門、田沼意次、水野忠邦という3人の
当時にしてみればわけのわからない人たちの紹介があった気がする。
僕にしてみれば印旛沼なんてものは
全然生活において直接接点を有するものでもないし、
とにかく汚い沼のイメージ(当時汚い湖のワーストを競っていた)しかない中で
そんな人たちはただテストの回答の穴埋めをするキーワードのようなものにしか思えなかった。
おまけに今も昔も千葉県に対する郷土愛というものが
皆無な人間なので、そんなローカルな話に付き合っていられない、というような印象に過ぎなかったけれど
そういう人物の名前が未だに自分の記憶の中に残っているというのは
結構すごい話だと思う。
田沼意次と水野忠邦という人は自分が思っている以上に
有名な人物だというのを徐々に知るようになったけれど、
それでも印旛沼というのは遠い存在に過ぎなかったし、
干拓事業といわれても具体的に何を意味するのかも
リアルなものとして実感にないままに
今日を迎えていたのだったりもする。
染谷源右衛門が大したことない、という話ではない。
裏を返すと権力者と違う立場で同じ事を行おうとした部分で
この人物も侮れない事がわかる。
こういうのを肌身で知るのが学生生活終わってから、というのだから
鈍いのにも程がある、というものだ。
さて宗吾霊堂から義民ロードと名づけられた
散策ルートのゴールに位置する「甚兵衛渡し」へと向かうにあたって
成田市コミュニティバスを利用させて頂く。
非常に極端な時間設定のダイヤが
「甚兵衛渡し」までの便になされていた。路線バス設定の代替?
やってきたバス「北須賀ルート」のバスは超満員。
公津小学校の下校にあわせてのバス運行のようで。
それにしても小学生5,6年生の会話って怖いなぁ。
たぶん、自分も当時はそういう会話をしていたんだと思うけど、
この歳になってそういう話を耳にすると小父さん困ってしまいますよ。
学校の先生やっている人が知り合いにいるだけに
こういう子の会話に「(児童との関係は)大丈夫なの!?」と
聞きたくなってしまった。
ちなみにこのバスルートは
東日本一大きい杉(推古天皇の頃からあるという)が鎮座する麻賀多神社のところも通る。
本当に改めて見ると世の中、意外なところにすごいものがあるなぁ、と。
僕が知らないだけなんだけどさ。
降り立ったところにあるのが甚兵衛の森。公園になっている。
甚兵衛は吉高(印旛村)に侠客で江戸へ直訴する惣五郎を禁を犯して船を出して送り、
印旛沼へと身を投じたという人物。
そしてこちらが“甚兵衛渡し”の印旛沼。
奥に見えるのが建設が進む成田新高速鉄道(対岸は印旛村=印旛日本医大方面)。
架線が一部設けられていない状況になっていた。
印旛沼は干拓事業によって若干当時と地形を異なるものとなっている。
本来の甚兵衛渡しは公園の遊具がある広場付近に位置していたらしい。
その位置に碑がある。
こういうのを目の当たりにして
当時授業で習ったような「干拓」がどういうものなのかを
やっと何となくわかるような次元。
わかったわけではない。所詮イメージに過ぎない。
漠然としていたものがほんの少し見えた、という程度。
その干拓をやってのけたのは明治期以降なのだけれど、
そういうものを志として抱けるのか、という部分と
技術があろうとやってのけてしまうその人間のすごさと
こういう状況下で逸話だとしても成り立った
甚兵衛渡し(水神の渡し)という渡し場で惣五郎とのドラマがあった空間。
こんなところに成田新高速が通ってしまうというのだから、
歳月というものはものすごい。
たぶん、こんなものを知らなければ成田新高速に乗っていても
気にもしないでその甚兵衛と惣五郎のドラマの舞台であるのも知らぬままに
「あ、印旛沼だ!!」と思う程度で通り過ぎるのだと思うと、
人生ってすごく味気ない気がする。
知っても1円の得にもならないけれど。
成田新高速はあっという間に通り抜けていく。
ドラマがない。
有り得ない話だけど、
惣五郎が成田新高速でさ〜っと江戸つまり東京に行って
将軍に直訴ではドラマにはならない。
直訴というものに至る過程がいかなるものなのかを考えると
その「宗吾様」と称えられる背景が浮かび上がってくるような気がする。
甚兵衛渡しは昭和43年甚兵衛大橋の完成で姿を消したという。
「渡し」というものが橋脚整備によって時代から消えていく頃に重なる。
そういう中で橋の名前に「甚兵衛」が冠されている。
国道464号に架かっているというのも色々な縁を思う話。
やっぱり大橋、でもドラマにならないよ、と思いつつも
見聞で聞いた以上は歩いて行ってみる。
ちょうど成田新高速と水道の工事現場の元を通って大橋の元へ。
甚兵衛大橋や成田新高速の「利便性」では
困難を乗り越えて直訴にたどり着くような「ドラマ」がないと思ったけど
工事現場をキョロキョロしながら歩いてみると
やはり「ドラマ」はあるのだと思った。
作業に携わる人たちがそれぞれに賛否はあると思うけれど、
人生を賭しながら関わっているわけで、
そういう中に「ドラマ」がないなんてことはないんだな、と。
「ドラマがない」と思っている自分は
その利便性という表面的なものに捉われているだけで
それがどうやって成り立っているのか、という
もう一つの「ドラマ」が展開されている部分に着目していないんだと。
公園で一休みしてコミュニティバスで帰路へ。
運転手さんは往路と同じ方だった。
車内はうって変わってガランとした感じ。
僕や子どもたちを北須賀地区の甚兵衛渡しまで輸送した後、
すぐに公津の杜駅へと折り返し、
再度ここまで運転業務をこなされてきたのだという。
折りしも甚兵衛渡しを訪ねに来た方と
このバスに乗り合わせ、運転士さんの口から
界隈のことについてや路線バスの話、
さらに運転勤務体制について色々とお話を伺えた。
宗吾霊堂に引き返して門前をあとにして
ゆるい下り坂を走っていくと
やがて高層マンションが並び立っている市街が見えてくる。
その中核に位置するのが公津の杜駅とユアエルム。
空港のベットタウン。
何もない、という印象の時にしか来たことがなかったので
その変容と同じ市域内におけるギャップに改めてビックリ。
これをどうやって埋めていくのか、というのが
広域な市域を抱える地域の最大の課題。
商業施設はテナント改廃などもやはり見る。
所得や産業構造、隣接する市街地などを踏まえれば、
どの程度の次元でテナントや商業施設が維持できるのかを考えながら
購買を行わなければならないのか、というのは至上命題だから。
具体的にそれがわからなくても
ぼんやりと見えてくるものがあると思う。
このあと京成成田駅に向かい、
京成成田駅に行くと必ず寄るパン屋さんがあるので
そこに立ち寄って一休みして帰路へ。
有名なお店じゃないけど、色々な縁があって、
この場所でたまたまパンを食べていた、というそれだけ。
あの日もこうやってパンを食べて、
列車に乗って家路に向かったなぁと。
意外にそういう場所ってところどころにあるんだね。
それだけ消費を繰り返せないってことなのだけれど。
2009年10月17日
道路は続くよどこまでも
国道464号。うちの市内を走る道路だ。
でもその道路がどこまで続いているのか
あまり意識したこともなければ、地図上で見ることはあっても
それが実際どんなものなのかというのを深く気にした事はなかった。
「道路行政が遅れている」と気軽に言ってくれる人がいるのだけれど
それはどこのどういう地域に対して「遅れているのか」というのを
冷静に考える必要があるし、その「遅れている」というのは
果たして本当にどの程度のものなのかを見聞を
元に踏まえる必要があると思う。
そういうのをしないままに「遅れている」と
簡単に言い放つのは逆にその見識のなさを物語ったりするのを意味する。
同時にその都市独特の構造に対して
根幹をどう覆すのかの術を有していなければ安易にいえるものではないと
自分は感じる。
その国道464号と
こんなところで出くわしてしまうとは思わなかったし、
「遅れている」「遅れている」というものの言葉の真実味を
改めて疑い提示したくなる。
さて長い旅の話の続き。
京成酒々井駅界隈でお昼を食べて
そのまま歩いて上岩橋大鷺神社のところから踏切を渡り
京成線の線路沿いを歩いていく。
踏切の近くに6体のお地蔵様と
頭巾をかぶった頭だけのお地蔵様が鎮座していた。
水田とともに河津桜が植樹されていて
ベンチが設けられている道を進むと落花生畑の先に
京成電鉄の宗吾車両センターのところにやってくる。
何だかんだいいつつも新型スカイライナーが気になる年頃。
散々、運賃問題を掲げながらも、やはり一見したいな、と。
研修所があったり、中枢を担うところ。
手元の資料によると見学ができるらしいけれど、
さすがに個人だし……。
道路から青電200形や赤電3000形、初代スカイライナーが見える。
久しぶりに見かけたので、片ドアの青電に感激!!

とりあえず敷地外から初代スカイライナーをパチリと。
ズームあってないけどね。青電はフェンス越しに眺めてた。
ちびっ子天国の入り口へと抜けて宗吾参道駅に到着。
橋上駅舎を跨いで「義民ロード」へと出る。ロータリーはない。
宗吾参道駅は酒々井町に位置して、その宗吾霊堂は成田市に所在している。
いわずともがな「義民」とは木内惣五郎のこと。
公津村台方の名主で佐倉藩の苛政を直訴した人物。
宗吾霊堂はその人を祀っているところ。
それにしても義民ロードの終点である「甚兵衛渡し」とはなんだろう?
その「甚兵衛」ってのは誰?

写真にある参道は新規マイロード事業で整備されたもので
ゆるやかな上り坂へと通じている。
酒々井町が管轄している事業のようで坂を上がって
平坦部に出ると道の雰囲気が変わり、
成田市に入ったんだ、というのが何となくわかる。
この辺が門前と参道の所在が
一体となっていない地域であるところを物語っているのかもしれない。

そしてやってきた宗吾霊堂。正式名称は東勝寺。
千葉県民歴三十数年あるのに、
超有名スポットに今日はじめてやってきた。
門前に小さな売店が連なっていて、
惣五郎の墓は本堂のやや手前に位置しているところにあった。
写真に写っている道路が何と国道464号。
うちの街から千葉NTを通ってやってくると
こんなところに通じているんだなぁ。初めて知った体たらく。
同時に決して大きくはないけれど門前町を形成しているのと同時に
民家が集まっているところに道が伸びているので
道路が狭い印象を受ける。
バス乗場は境内の脇にスペースが設けられているという状況で
道路に停車する余裕はハッキリ言ってない。
まあ歴史的にこの地域が発展を遂げてきた経緯を考えれば
おかしい話ではないのだけれど。
こういうのを踏まえたうえで仮に「拡張」というのを考えると
それはどういうことをしなければいけないのか、色々踏まえた上で
挙がった課題を消化する必要があるのかを思うと
僕は不便であろうとこういう町並みを維持できるような
ライフサイクルに次元を抑えていくことの方がいいような気がした。
気になった「甚兵衛渡し」にも行くことにした。
といっても地図を見るとこんなところに!!というほど
色々と歩いてきた自分には堪える距離だったので
コミュニティバスを利用させて頂く。

レトロバスとか期待してたんだけど……。
航空機がデザインされた千葉交通の運行によるバス。
つづく
でもその道路がどこまで続いているのか
あまり意識したこともなければ、地図上で見ることはあっても
それが実際どんなものなのかというのを深く気にした事はなかった。
「道路行政が遅れている」と気軽に言ってくれる人がいるのだけれど
それはどこのどういう地域に対して「遅れているのか」というのを
冷静に考える必要があるし、その「遅れている」というのは
果たして本当にどの程度のものなのかを見聞を
元に踏まえる必要があると思う。
そういうのをしないままに「遅れている」と
簡単に言い放つのは逆にその見識のなさを物語ったりするのを意味する。
同時にその都市独特の構造に対して
根幹をどう覆すのかの術を有していなければ安易にいえるものではないと
自分は感じる。
その国道464号と
こんなところで出くわしてしまうとは思わなかったし、
「遅れている」「遅れている」というものの言葉の真実味を
改めて疑い提示したくなる。
さて長い旅の話の続き。
京成酒々井駅界隈でお昼を食べて
そのまま歩いて上岩橋大鷺神社のところから踏切を渡り
京成線の線路沿いを歩いていく。
踏切の近くに6体のお地蔵様と
頭巾をかぶった頭だけのお地蔵様が鎮座していた。
水田とともに河津桜が植樹されていて
ベンチが設けられている道を進むと落花生畑の先に
京成電鉄の宗吾車両センターのところにやってくる。
何だかんだいいつつも新型スカイライナーが気になる年頃。
散々、運賃問題を掲げながらも、やはり一見したいな、と。
研修所があったり、中枢を担うところ。
手元の資料によると見学ができるらしいけれど、
さすがに個人だし……。
道路から青電200形や赤電3000形、初代スカイライナーが見える。
久しぶりに見かけたので、片ドアの青電に感激!!
とりあえず敷地外から初代スカイライナーをパチリと。
ズームあってないけどね。青電はフェンス越しに眺めてた。
ちびっ子天国の入り口へと抜けて宗吾参道駅に到着。
橋上駅舎を跨いで「義民ロード」へと出る。ロータリーはない。
宗吾参道駅は酒々井町に位置して、その宗吾霊堂は成田市に所在している。
いわずともがな「義民」とは木内惣五郎のこと。
公津村台方の名主で佐倉藩の苛政を直訴した人物。
宗吾霊堂はその人を祀っているところ。
それにしても義民ロードの終点である「甚兵衛渡し」とはなんだろう?
その「甚兵衛」ってのは誰?
写真にある参道は新規マイロード事業で整備されたもので
ゆるやかな上り坂へと通じている。
酒々井町が管轄している事業のようで坂を上がって
平坦部に出ると道の雰囲気が変わり、
成田市に入ったんだ、というのが何となくわかる。
この辺が門前と参道の所在が
一体となっていない地域であるところを物語っているのかもしれない。
そしてやってきた宗吾霊堂。正式名称は東勝寺。
千葉県民歴三十数年あるのに、
超有名スポットに今日はじめてやってきた。
門前に小さな売店が連なっていて、
惣五郎の墓は本堂のやや手前に位置しているところにあった。
写真に写っている道路が何と国道464号。
うちの街から千葉NTを通ってやってくると
こんなところに通じているんだなぁ。初めて知った体たらく。
同時に決して大きくはないけれど門前町を形成しているのと同時に
民家が集まっているところに道が伸びているので
道路が狭い印象を受ける。
バス乗場は境内の脇にスペースが設けられているという状況で
道路に停車する余裕はハッキリ言ってない。
まあ歴史的にこの地域が発展を遂げてきた経緯を考えれば
おかしい話ではないのだけれど。
こういうのを踏まえたうえで仮に「拡張」というのを考えると
それはどういうことをしなければいけないのか、色々踏まえた上で
挙がった課題を消化する必要があるのかを思うと
僕は不便であろうとこういう町並みを維持できるような
ライフサイクルに次元を抑えていくことの方がいいような気がした。
気になった「甚兵衛渡し」にも行くことにした。
といっても地図を見るとこんなところに!!というほど
色々と歩いてきた自分には堪える距離だったので
コミュニティバスを利用させて頂く。
レトロバスとか期待してたんだけど……。
航空機がデザインされた千葉交通の運行によるバス。
つづく
2009年10月16日
支配欲
さすがに歳なのと連日の出勤が堪えて
前哨戦というか準備運動というか、まあそういうつもりで向かった
国立歴史民俗博物館と佐倉城祉公園で早くも体力の限界を感じつつ、
降り立ったのは京成佐倉駅から1駅の大佐倉駅だ。

京成本線の中で大佐倉駅は特殊な駅のイメージを前々から持っていたけれど
立ち寄る理由もないままに今日に至ってしまった、というところ。
何で大佐倉駅が特殊なイメージなのか、というと
京成線は印旛沼近くから水田を走ったりもするものの、
全体的には下町をはじめ住宅地を進む印象が強いし、
駅も住宅地や市街の混み入った中にそびえている、
もしくはちょこんとある、という印象が僕の中にある。
そんな中で大佐倉駅だけが林の中に位置していて
住宅地に囲まれている、とは
決して言い難いところに存在している。
降り立ってもその印象は変わらなかった。

構内踏切を持っている対向式ホームの構造で
自動改札が1つ設置されている駅。
ここに降り立った目的は本佐倉城址と勝胤寺を訪ねるため。
ネタに困ると最近史跡めぐりをしている傾向強いね……。
まずは勝胤寺。
この界隈が戦国時代の千葉氏の本拠地。
江戸期に至る段階でやや平地部にある佐倉城を中心に
新規に移転してきた大名(徳川氏の家臣)が街を築いてきた、というわけで
その以前の勢力基盤はこの辺にあった、ということになる。
勝胤寺は千葉勝胤という人の名前を冠した通り戦国期に建てたお寺。
どういうわけか線路沿いに歩いていけばすぐなのに
ぐるぐると近くの山林や民家が集まっているところを
まわってたどり着く羽目になってしまった。

墓地を有していて、この日も法事が行われていたように
地域の信仰基盤として機能しているらしい。
一段高いところに京成本線が走っていて、
この先は水田の中を駆けていく、というシュチュエーションに
さりげなくこのお寺がある。
全然気付かなかった。

千葉水という水が湧いている。
碑がなかったら意識しないかも。飲んでみたりしたけど。
余談だけれど、寄進者のお名前で「胤」の字を冠していらっしゃった方は
やはりご子孫の方なのでしょうか?
ちょっとその辺も目についたので。
このあとは本佐倉城へ。
勝胤寺から大佐倉駅に戻り踏切で線路をまたいで
古めかしい商店の脇を通って進んでいくと案内看板があるのだ。

こちらは国史跡。千葉輔胤が築城した。
国史跡で街を盛り上げよう!!と思っている人は
当然他の街の国史跡を訪ねることをするのだと思うけれど、
どうなんだろうなぁ?
しかも盛り上げるのには何度も足を運ばなければならないとなるから
なおさら大変なわけで
「史跡」による“盛り上げ”というのは自ずと限界があるのだというのに
気付いてもらいたいと自分は思うんだけどね。
地域の人がそういうものとどう向き合うのかの意志表明であるのと
同時に外部の人との歴史を通じる接点の場としての意義が
史跡にはあるように思うわけで、
商業的なものにつなげるというのを
前提にするような演出はあまり好ましいものではないな、と
地元の場合は思ったりする。
アスファルトの急坂を上り、畑の中へ出て、
再度今度は坂を下り林の中に入っていく。
今度はぬかるんだ道が待っている。前夜は激しい雨だった。
考えてみれば戦国時代にアスファルトの舗装なんてあるわけないんだから
そういう中での攻城戦が想定されていた、ということになる。
絶対、僕は天下人になれないね。
山城攻めるの面倒だから、とか言いかねないし、
大体こういう山城の一つや二つに支配権を及ぼさなくっても……というのは
僕の発想なのだけれど、
当時の人たちはそうではなかったのは明らかなこと。
僕はそういう困難を乗り越えてでも
その土地を支配しようという欲望を抱くこともないということ。
さりげなく県内の市町村踏破を地道にやっているけど。

空堀がこの城を物語っているのと同時に
酒々井町がこういう「観光」や「学習」に対して
しっかりとケアをされていてありがたいと思うのと同時に
そういうものに報いるような
「観光」や「学習」をしなければ、と改めて思う。
道は歩きにくいけれど、それは史跡としての保存を前提にしているから
決してそれを悪いものだと思わないし、むしろそういうものが物語るものも多い。
観光ナビなどにも登録されていたりしている。
(こういう説明などの補足が地味でコストを要しているけどすごいと思う)

ポッカリとした空間が本佐倉城址の頂上部(城山)にあたる。
発掘の跡が伺えるビニール紐が色々と杭とともに置かれていて
この辺に何があった、というのを知らせる札が立ててある。
なかなか写真だけだとお城、というイメージはないかも。

しっかりと千葉氏と切り離せない妙見信仰の核となる妙見宮の跡。

城をうかがわせるのはこの頂上部への道のり。
攻めにくい構造になっている。
佐倉市方面から酒々井町方面へと抜けるルートで
本佐倉城址は巡ったので、
城山虎口から東口馬場へとのびる下り坂に楯が並んでいて
ギョッとした上に、
おまけに馬場に調査の方々がいらしてなおさらビックリ。
専門的な話とかされたらどうしようとか
余計な心配をする自分だった。
このあと水田へと伸びている道を歩いて京成酒々井駅へと向かい、
一旦お昼を食べ、さらに宗吾車両センターへと歩いていく。
つづく
歴史とどう向き合うのか、というのは
街づくりの根底にあるテーマの一つですよね。
前哨戦というか準備運動というか、まあそういうつもりで向かった
国立歴史民俗博物館と佐倉城祉公園で早くも体力の限界を感じつつ、
降り立ったのは京成佐倉駅から1駅の大佐倉駅だ。
京成本線の中で大佐倉駅は特殊な駅のイメージを前々から持っていたけれど
立ち寄る理由もないままに今日に至ってしまった、というところ。
何で大佐倉駅が特殊なイメージなのか、というと
京成線は印旛沼近くから水田を走ったりもするものの、
全体的には下町をはじめ住宅地を進む印象が強いし、
駅も住宅地や市街の混み入った中にそびえている、
もしくはちょこんとある、という印象が僕の中にある。
そんな中で大佐倉駅だけが林の中に位置していて
住宅地に囲まれている、とは
決して言い難いところに存在している。
降り立ってもその印象は変わらなかった。
構内踏切を持っている対向式ホームの構造で
自動改札が1つ設置されている駅。
ここに降り立った目的は本佐倉城址と勝胤寺を訪ねるため。
ネタに困ると最近史跡めぐりをしている傾向強いね……。
まずは勝胤寺。
この界隈が戦国時代の千葉氏の本拠地。
江戸期に至る段階でやや平地部にある佐倉城を中心に
新規に移転してきた大名(徳川氏の家臣)が街を築いてきた、というわけで
その以前の勢力基盤はこの辺にあった、ということになる。
勝胤寺は千葉勝胤という人の名前を冠した通り戦国期に建てたお寺。
どういうわけか線路沿いに歩いていけばすぐなのに
ぐるぐると近くの山林や民家が集まっているところを
まわってたどり着く羽目になってしまった。
墓地を有していて、この日も法事が行われていたように
地域の信仰基盤として機能しているらしい。
一段高いところに京成本線が走っていて、
この先は水田の中を駆けていく、というシュチュエーションに
さりげなくこのお寺がある。
全然気付かなかった。
千葉水という水が湧いている。
碑がなかったら意識しないかも。飲んでみたりしたけど。
余談だけれど、寄進者のお名前で「胤」の字を冠していらっしゃった方は
やはりご子孫の方なのでしょうか?
ちょっとその辺も目についたので。
このあとは本佐倉城へ。
勝胤寺から大佐倉駅に戻り踏切で線路をまたいで
古めかしい商店の脇を通って進んでいくと案内看板があるのだ。
こちらは国史跡。千葉輔胤が築城した。
国史跡で街を盛り上げよう!!と思っている人は
当然他の街の国史跡を訪ねることをするのだと思うけれど、
どうなんだろうなぁ?
しかも盛り上げるのには何度も足を運ばなければならないとなるから
なおさら大変なわけで
「史跡」による“盛り上げ”というのは自ずと限界があるのだというのに
気付いてもらいたいと自分は思うんだけどね。
地域の人がそういうものとどう向き合うのかの意志表明であるのと
同時に外部の人との歴史を通じる接点の場としての意義が
史跡にはあるように思うわけで、
商業的なものにつなげるというのを
前提にするような演出はあまり好ましいものではないな、と
地元の場合は思ったりする。
アスファルトの急坂を上り、畑の中へ出て、
再度今度は坂を下り林の中に入っていく。
今度はぬかるんだ道が待っている。前夜は激しい雨だった。
考えてみれば戦国時代にアスファルトの舗装なんてあるわけないんだから
そういう中での攻城戦が想定されていた、ということになる。
絶対、僕は天下人になれないね。
山城攻めるの面倒だから、とか言いかねないし、
大体こういう山城の一つや二つに支配権を及ぼさなくっても……というのは
僕の発想なのだけれど、
当時の人たちはそうではなかったのは明らかなこと。
僕はそういう困難を乗り越えてでも
その土地を支配しようという欲望を抱くこともないということ。
さりげなく県内の市町村踏破を地道にやっているけど。
空堀がこの城を物語っているのと同時に
酒々井町がこういう「観光」や「学習」に対して
しっかりとケアをされていてありがたいと思うのと同時に
そういうものに報いるような
「観光」や「学習」をしなければ、と改めて思う。
道は歩きにくいけれど、それは史跡としての保存を前提にしているから
決してそれを悪いものだと思わないし、むしろそういうものが物語るものも多い。
観光ナビなどにも登録されていたりしている。
(こういう説明などの補足が地味でコストを要しているけどすごいと思う)
ポッカリとした空間が本佐倉城址の頂上部(城山)にあたる。
発掘の跡が伺えるビニール紐が色々と杭とともに置かれていて
この辺に何があった、というのを知らせる札が立ててある。
なかなか写真だけだとお城、というイメージはないかも。
しっかりと千葉氏と切り離せない妙見信仰の核となる妙見宮の跡。
城をうかがわせるのはこの頂上部への道のり。
攻めにくい構造になっている。
佐倉市方面から酒々井町方面へと抜けるルートで
本佐倉城址は巡ったので、
城山虎口から東口馬場へとのびる下り坂に楯が並んでいて
ギョッとした上に、
おまけに馬場に調査の方々がいらしてなおさらビックリ。
専門的な話とかされたらどうしようとか
余計な心配をする自分だった。
このあと水田へと伸びている道を歩いて京成酒々井駅へと向かい、
一旦お昼を食べ、さらに宗吾車両センターへと歩いていく。
つづく
歴史とどう向き合うのか、というのは
街づくりの根底にあるテーマの一つですよね。