2005年05月05日
二流の英語使いをほふるU型バイリンガルたち(再訂版)
友人の中で英語ができるのは少数派ですが、その連中は並外れた力量の人たちばかり。英語圏の人間が「こやつは何者ぞ」と驚くようなのがずらりとそろっています。単なるバイリンガルということで言えば、テレビタレントで日本語のうまい連中が増えていますが、こういった人々と比べた場合、変なアクセントがない上、使う語彙、音を含めての言葉の運用能力(英語ではdictionとかarticulationと言います)、そして教養の点で比べものにならない、そういう英語です。
前回のnon-U対Uの構図にそくして言えば、当然、Uに属します。このような方々(以下「U型バイリンガル」)の目に、いい加減な英語で仕事をしている人(=改善の努力を怠っている人)、自分は英語ができますと顔に書いてありながら、口ほどにもないご仁(=上には上があることに思いが及ばない人)、さらには、英語に弱い日本人につけこんで禄を食む外人マネジャーが一体どう映っているのか……これが今回の話です。
なお、どうかすると高慢ちきに見えるバイリンガルたちのために付け加えておくと、自分自身、人一倍努力しているがゆえに、最初から努力と無縁の人、努力の形跡がない輩が許せないのです。エリート意識やいじめとは次元が違います。しかも、どの人も実は「しっかりせんか、そんなことじゃ異人にやられちゃうだろが」というナショナリストなのです。
おことわり:以下では帰国子女にありがちな、傲岸不遜、傍若無人の毒舌をそのまま引用しておりますので、気の弱い方や行間を読めない方は不快感をおぼえるおそれがあります。このことをご了承のうえご自分の責任において先にお進みください。少しでも不安をおぼえる方はこれ以上読み進めるのをお控えください。
◆ 出版業界の半可通
私の知っているU型バイリンガルは大学の教員を含め、みなさん英語の専門家で、その関係か、出版関係者の英語がやり玉にあがるケースが多いと言えます。例えば、洋書を翻訳すべきかどうかといった選定作業は英語がわかる(とされている)編集者の仕事ですが、U型バイリンガルに言わせると「こいつらがまるで英語をわかっていない。そいつらが、一生懸命、初級者向けの英和をひきひき、「どの洋書を和訳するだべか」とか論じちゃうこと自体が笑止」なのです。そして返す刀で、大学の偉い先生たちもばっさりやられます。
いわく「英語を知らない編集者が、誰を監修者にするべー、と、英語を知らない先生をセレクトするので、これはもう、バロック的なアリ地獄。センセイ方は往々にして我田引水したがるので、自分の研究分野の話を、まるで関係ないのに一生懸命加筆しまくる。ところが、その加筆が、まるで編集者の英語力を越えるような高尚な話であることも少なくなく、書いてあることが英語的に正しいのかどうか自分で確証が持てないので、社内を右往左往する。」
ところで、こうして引用していることからおわかりのとおり、U型バイリンガルのコメントは、私がこういった方々とメールで情報交換している過程で飛び出した「爆弾発言」です。ちなみに、「するべー」といったダンベ言葉のたぐいを使うのは、私の観察では、日本のインテリに独特の恥じらいというか照れくささの現れで、実際、(友達や知り合いとの関係では)ワタス、オレッチ、オイラという一人称を用いている人が結構いるものです。
◆ 職務上要求される英語の水準に達していない社員
機会を改めて書きたいと思っていますが、航空会社の客室乗務員、特にスッチーと呼ばれている女性乗務員の場合、機内アナウンスが聞き苦しい英語であっていいはずがないのに、実情はお粗末なものです。名演説をしてくれ、すばらしいレトリックで説得せよといった話ではなく、ただの案内放送です。それなのに、あれはないだろうと思います。そういえば、どこかの航空会社が英会話学校をやっていたような気がしますが、本当にやっているとしたら図々しいにもほどがあるというものでしょう。
それはさておき、U型バイリンガルが許せないタイプに、今どき英語がろくろくできないのに社長秘書をやっているような人がいます。こういう人は英語の礼状一つまともに書けませんから、社内のバイリンガル君に助けを求めます。おそらく彼は、にこにこしながら「ああ、いいよ」ぐらい言っているのでしょうが、私には「○○ともあろう大会社の社長秘書が英語の礼状もまともに書けない。てなわけで、その代筆もオレのところにまわってくる。社交辞令ばりばりの、別にどうでもいいレターなのよ、これが」とぼやくのです。
◆ 自信過剰の英語屋
社内で他よりちょっとだけ英語ができるという程度なのに、ちやほやされているうちに慎みを失っている輩は、U型バイリンガルの格好の餌食です。こういうケースでは、勢い余って容姿にまで話が及ぶのが一つの傾向ですが、それはカットしておきましょう。容姿ではなく、行動様式について何を言われるかと言うと、こんな感じです:ここのジェネラルマネジャーとかいう奴の手下として働いている、関西人。イギリスだかアメリカだか知らんけど、英語教育を勉強しに行ったのに、学位も取れずに帰国後、色んな企業を派遣で渡り歩いて来たくせ者で、とにかく押し出しだけは強い。それでいて英語はベタベタのジャパニーズイングリッシュ」とこんな感じです。
◆ お粗末ネイティブ君
会社によってはネイティブの社員に英文のチェックをさせたりしていますが、こういったネイティブチェッカーと呼ばれる人も様々で、給料分働いていることをアピールするためにどうでもいい趣味の問題にまで立ち入って、せっせとアカを入れる人がいます。そうかと思うと、長年のつきあいからか英語の感覚が鈍麻してしまい、U型バイリンガルに言わせると「こんな英語ってありかよ……、○○ってなものまで通っちゃう。スゴいぜ。来る日も来る日も「ワタシ、スルアルヨ」てな英語を読まされ、聞かされていると「ま、それもありか」ってなるのじゃろか。」
英語の勘が鈍ってしまっているケースでは、NHKのビジネス英会話でアシスタントを務めてくれたクリスさんの話が思い出されます。彼女が直接関わっているのかまでは聞き漏らしましたが、彼女は、アメリカ人がまず原稿を書いて、それに大先生が手を入れて作っている、ある教科書の会話例についてこう言うのです。そのアメリカ人、日本に長く住んでいるせいで、英語らしい英語ではないので困ると。なるほどその会話例を見ると、ツクリモノ然としています。
ところが教養英語の大好きな学習者のなかにはそれを写経よろしく書き写してまでおぼえようとする人がいるとのちに聞かされ、驚きました。定型的表現ばかりで、基礎文法さえわかっていれば、最短18時間程度で輪郭がつかめる実用英語の世界と異なり、教養英語の世界は端的に言えば、60万とも言われる英単語を包摂する茫漠たる大平原のような世界です。これをマスターすべく実用英語の世界ではまず扱わないイディオムその他珍しい単語を憶えようとするのは、それはそれで立派なことです。とやかく言うつもりはありません。
しかし、その人たちの多くがこれだけやっているのに話せないといったことを言うのです。そうとすれば、その人たちが求めているのは教養英語ではなく、普通にコミュニケートするための道具としての実用英語、スキルとしての英語であるはずであり、かかる実用英語を習得しようとしているなら、実用英語の範囲外にあるものを書き写して憶えようとするのは道を間違えていることになります。前にも書きましたが、最短で実用英語を習得するのに3000時間かかるとした場合、語学番組は年間40時間程度ですから、単純計算で75年かかるのです。ただでさえ平均余命との競争なのに、これでは先が見えていると言わざるを得ません。
ところで、お粗末ネイティブ君は英字新聞の編集部にもいます。あるとき、その種の英字新聞を出している新聞社の友人に「英文の経済記事ってどういうバックグラウンドの人が書いているの?」と尋ねたことがあります。普通、経済のマイナス成長を言う場合、negative growthとは言っても、minus growthとはあまり言わないのに、結構その新聞では使っていたので、どういう人が書き、どういうデスク(編集長の下の現場監督のような人)が手を入れているのだろうと思ったからです。
その友人の答えはこうでした:「ろくな連中じゃないよ。向うで日本人のネーちゃんと結婚して食い詰めた挙げ句、カーちゃんの実家に転がり込んできたという奴ばかりなんだから、経済記事の決まり文句なんか知ってるわけねーだろ。」当然、それ以上聞く気にはなれませんでした。ちなみにこの乱暴な口のきき方をするやつ、ご立派な学歴で、海外の支局長経験もあるのです。よく新聞は「インテリが作って、ヤクザが売る」なんて揶揄されますが、前段の妥当性に強い疑問をおぼえます。
ところで、私自身もそうですが、やはりU型バイリンガルが許せんとするタイプに、英語に弱い日本人につけこんでメシを食っているネイティブたちがいます。外資系企業、その中でも中小企業クラスの雇われマネジャーなどはその典型例かも知れません。なぜかこういう人たちには共通点があります。最初は英語教師の口があるだろうと安易な気持ちで来日し、そのうち日本人と結婚したところで、自分は妻が日本人なので日本語はわかると売り込んで外資系企業でポストを得るのです。しかし、英語がほとんどできないのに英語圏の人と結婚している日本人が大勢いることからわかるとおり、本人の外国語能力と外国語を母語とする人との結婚は無関係に決まっています。ですから、結局は「奥さんは日本人だし、日本に住んで10数年というのに、学がないから日本語が話せない。それに会議の時のマナーは最悪だし、何せ、アメリカ人独特の単細胞ぶりを発揮するから仕事ができるとかできないとか、そういうレベルではない。本社からもっと偉いカッチョいい連中が来るとコメツキバッタと化する」ととどめを刺されてしまうのです。
まとめ
こう見てくると、U型バイリンガルたちがエサに困るようなことは当分なさそうです。しかし、これでは笑えるネタが増えるだけという不毛の世界ですから困ります。どうしたらいいかを考えるに、そもそも中くらいの英語使いが増長するのは、水準に達していない英語を過大評価する風土があるからです。バイ菌と同じで、一般の人々の衛生観念の問題なのです。従って、健全な方向にことを進めるためには、日本人一般が資格あるいは教養のための英語をものにできるという幻想から脱し、スキルとしての英語に目を向けることが必要だと考えます。こうしなければ何が一般的に求められているのかという英語の水準が目に入ってきません(教養英語、資格英語の世界はそもそも輪郭がなく、従って水準というものも考えにくいのです)。
いったんスキルとしての英語の世界に入れば、そこは自動車の運転と同じで、何をおぼえなければならないかが明確ですから、効率的に勉強を終えて、次のステップ、自動車の例で言えば、移動の手段として使うのか、モノを運ぶのか、スピードの限界を求めるのかといった個別のニーズへと進むことになります。
受験者を量産品のようにモノ扱いし、大きく網をかけて統計学的に平均を求めた上、その平均との関係で「あなたの英語はこのレベル」と判定する手法の英語検定は、本来、スキルとしての英語と無縁のものであることを考えるべきです。我田引水をお許しいただくとして、スキルとして不可欠な定型表現、言い換えれば、必要最小限の表現として何を使えなければいけないかを見定めた上で、まずはそれをおぼえる、暗記することから始まるのです。平均値などは意味をなしません。自動車の運転がそうであるように、絶対値の問題として必要なものはおぼえるしかないのです。それが私の提唱しているbe208です。こうした土台がきちんとできていないようでは、無数の変化形がありうる非定型表現をいくらおぼえても無駄に終わるだけです。
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こんばんは。
「ネイティブチェッカーと呼ばれる人」には泣かされることも多いです(汗)。
文法が?な人をはじめ、ラテン語がわからん!人までさまざまです。
ネイティブさん(翻訳者)と分担訳をやったときは、法律文だというのに、彼の訳文はフツーのレター調で、エンドユーザが読んだら、前半と後半の雰囲気があまりに違って驚かれたと容易に推測されます^_^;
[返信]
REIさん、いろいろな記事を読んでくださっているのですね。ありがとうございます。
きちんとした人がごもっともな指摘をするならともかく、現実はそうではないわけですが、むずかしいもので、そもそも気の利いたネイティブスピーカーなら、そんな仕事していないわけですから、結局、ないものねだりです。それにしても、法律文書をレター調にまとめておきながら、しれっとしている、そういう神経がすごいですよね。なかなか日本人にはまねのできない芸だと思います。
日向清人
- REI
- 2005年11月23日 22:54
もうどのケースもうんうんとうなづけて、大変楽しかったです。
読んでいて大笑いしちゃいました。
さすがよく観察していらっしゃる。
[返信]
らばさん、こんにちは。
私自身も、文中引用してあるメールをもらったときに大笑いしたので、寄せられた友人情報を本人の了解も得た上で、ほぼそのまま掲載しました。しかし、これって自分が普通に英語を使う人間でないとわからない側面もあり、中くらいの人には逆恨みされるわけで、ビミョーな問題です。実はコメント欄に匿名の抗議があったので、実名にしない限り削除すると言っておいてから削除したという一幕があったのです。これに懲りて、英語族と自称英語族の間の緊張関係を考えて、刺激が強いかなというところを修正し、「再訂版」と相成りました。
日向清人
- らば
- 2005年11月30日 05:17
いつも幅広い情報をありがとうございます。
この記事、ついこの間まで見逃しておりました。原文も是非拝見したかったと残念です。今の日本における英語の存在って罪づくりという気がしてきました。私も含めた多くの人が、この罪づくりに加担しているし、また被害者なのかもしれません。
もっと社会が認識しなくてならない事柄のような気もしますが、社会全体に差し迫った英語の必要性がないのが、原因とも言えますか。
私レベルの反省としては、地道な肉体労働あるのみということを肝に銘じることにします。でないと、そのあとのビールもおいしくないですから。例えがオヤジ的ですみません。
今後も期待しております。
[返信]
nofumoさん、おひさしぶりです。
原文をご覧になりたいとのこと、原文そのものは保存しておりませんが、こんなやりとりがあった結果です。すなわち、匿名の方から「お怒りはわからないでもないですが、こうも人の悪口ばかり書き連ねられると読んでいる側としてはあまり気持ちのよいものではありません。NHKのテキストを「写経よろしく書き写してまでおぼえようとする人」を馬鹿にするような書き方は、果たして教育者として適切なものでしょうか?」というコメントがありました。そこで、「NHKのテキストうんぬんという記述がありますが、読み返していただければ、お気づきのとおり、一言もNHKなどとは書いてありません。ただ、文章の流れからNHKのテキストを指しているように読めてしまうのは本意ではありませんので、この部分は訂正いたします」と回答した上、NHKのテキストを指しているかのよう間違えられる部分を書き換えました。
あと、コメントした人が「書き写しておぼえようとする人をバカにしちゃいかん」といったようなことも書かれていたので、以下のように回答し、一部、書き換えました。
一方、間違っているものを写経のごとく書き写してまで勉強するのはどうかという趣旨の記述に対して「だからと言って現に懸命に学習に取り組んでいる方の意欲を削ぐような物言いは適切でしょうか」と[コメントした人が]おっしゃっている点は、当たっていません。懸命に学習に取り組んでいる姿が尊いという考えは、教養英語を身につけるための手段としては、それはそれでいいでしょう。しかし、こういうふうに一生懸命やっている人に限って、これだけやっているのにさっぱり英語が身につかない、進歩しないと嘆くのが普通ではないでしょうか。そうとすれば、その人たちが本来目指しているのは教養英語の修得ではなく、実用英語つまりスキルとしての英語であるはずです。であれば、実用の世界とは縁の薄いしゃれた言い回しなどを対象に書き写すのは間違っています。そのことに気づいて欲しいのです。<中略>もとより教養としての英語を身につけたい、そのために書き写す作業をしたいというのは、その人の自由です。こういったことを批判するのは、実用主義の人が教養主義の人に向かって教養主義の教典を書き写すのをやめて、実用主義の教典を書き写せと言っているも同然です。世界観が違うのですから、大きなお世話です。しかし、実用主義の教典を書き写しているつもりで、教養主義の教典を書き写している人がいたなら、実用主義を広めようとしている私としては、それは道が違っているから無駄に終わりますよと教えてあげる必要があります。それが責任というものです。こうした見地からは、原文は舌足らずだったかも知れないので、もっと明確に私の考えが伝わるよう書き改めます。
- nofumo
- 2005年12月05日 17:47
ご丁寧な解説をどうもありがとうございました。お手間を取らせてしまい、なんだか恐縮です。
しみじみ読ませていただきました。本来の筋とは逸れてしまいますが、匿名で投稿するネットの現実を垣間見た気がいたしました。
- nofumo
- 2005年12月07日 12:54
はじめまして、ArtSaltと申します。私が英語の勉強で使っているWebサイト smart.fm で日向清人さんのブログを丸々転載している人がいます。「引用」ではありません。
http://smart.fm/users/StPaul/journal/2009/10/19/182368
本人に直接言っても聞く耳を持たないことは確実なので smart.fm の運営に報告しましたが、現時点でまだ当該日記を削除してもらえません。smart.fm は SPACE ALC さまと商取引がある関係です。当事者である日向さまにご連絡したほうがよいと思いましたので、ここにコメントさせていただきます。
[返信]
ご親切にありがとうございます。アルクさんの担当者にもこの情報を伝えておきます。
なお事務連絡ですので、しばらくしたらこのコメント、削除させていただきます。どうぞ悪しからず。
- ArtSalt
- 2009年10月23日 14:58
日向先生
いつもブログを楽しく拝見しております。
私はメーカーに勤めている者ですが、海外駐在希望で英語を勉強しています。
先生のラジオ講座を拝聴してすぐ、「今までの講座と全く違う!」と実感し、今もそのテキストで復習をしています。
先生のおっしゃる「教養英語」と「実用英語」の区別は最近はっきりしました。大学時代は留学もして、比較的英語には触れてきた人間だと思いますが、私は漫然と勉強してきたのだと気づきました。恐縮ですが、そういう方は多数いらっしゃるのではないか、とも思います。
目的、目標をはっきりさせて取り組む課題を絞る、というのは成果を出そうとする人間には当然の戦略だと今さらながら思うのですが、気づきませんでした。なぜかと考えてみますと、学習者の立場では、日本国内で英語に対する「緊急性がない(ように感じる)」からかもしれません。(「野心と結びつかない」とも言えるかも知れません。また、英語ペラペラへの幻想も根強いのではないでしょうか。)
どうにかして英語でコミュニケートしなければ!という状況にあれば、どうしたら効率よく目標に達せられるか、皆考えるはずだからです。
先生の立場から見られると、この状況をいい事に濡れ手で粟の連中め!切捨御免!ということかもしれないと、私は楽しく、でも耳が痛く、良薬は口に苦し、で読んでおります。
どうかこれからもお体には気をつけて頑張って下さい。
Odate
[日向よりOdateさんへ]
Odateさん、
コメントありがとうございます。
Odateさんのコメントを拝読し、このブログを始めてよかったことだと実感しております。「この状況をいい事に濡れ手で粟の連中め!切捨御免!」という気持ちはたしかにあります。店頭に並ぶ内容の薄い英語本を見るにつけ、実際、腹も立ちます。それだけにときには筆がすべるに近いようなことも起き、神経の細い人が倒れていたりしますが、それは英語で言うcollateral damageというものでしょう。
これからもOdateさんのような読者を一つのモデルとして、実用英語がどういうものであり、それを習得するにはどうしたらいいかを一緒に考えて行くつもりです。平行して、文法談義等の形で勉強されている方が知識を整理し、再構成するのに役立つ情報をお伝えしていければとも思っています。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
日向清人