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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

発行日: 2009/9/19


今号は臨時増刊です!
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  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成21年(2009年)9月19日(土曜日)
       通巻第2720号  
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 胡錦涛、土壇場のうっちゃり。習近平の軍事委入りを阻止
  新彊ウィグル暴動の対応不手際を糾弾か? 王楽泉留任と引き替え?
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 第十七期四中総会で確実視された習近平の軍事委員会副主席入りは実現しなかった。
 多くの華字紙の予測もはずれた。

 習近平は新彊ウィグル暴動の折、イタリアのG20に出発した胡錦涛の留守居役の責任者だった。
ところが適切な指示が出来ず、直後の政治局会議で糾弾された。評判の悪い王楽泉(新彊ウィグル自治区書記)が、血の弾圧を主張し、公安法規関係の周永康と孟建柱が事態の収拾に動き、同時に胡錦涛は部下の李克強のスキャンダル露呈を防いだ。

 奥の院の権力闘争は、こうしたバランスの上に成り立っており、香港誌『開放』九月号は、習近平が一時辞表を提出した動きがあったことを伝えている。
 ともかく習近平が軍事委入り出来なかったのだ。これから、北京は荒れる。
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(読者の声1)貴誌で批判文章の辛辣云々ということが言われましたが、宮崎先生は筆致(スタイル)やジャンルを変えてはいけない。
ぼくの文章も、繊細な人の目には痛いはず。誤解も招いている。だが直す気もないです。今夜、「従属から自立へ、日米安保を変える」前田哲男さんを読み始めた。先生のお勧め品だったかな? 書き出しが、かったるいと感じたけども、ナイ・リポートあたりから洞察が深いですね。重いテーマだから面白い本ではないですね。
だが、こういう方は、意外に高学歴じゃないんです。だから、外国人の頭の中まで読めるんです。
(伊勢ルイジアナ)


(宮崎正弘のコメント)前田哲男氏は、小生の記憶が正しければ長崎放送の記者出身で、かなり反米色の強い、防衛問題に詳しい人ですね。その後、どこかの大学でおしえていたらしいですが、デビュー当時の論文があまりに反米で社会党寄りだったので、その後、読んだことがありませんでした。



   ♪
(読者の声2)貴誌前号に速報のあった習近平の軍事委員会副主席就任確定(その後、確定せずのニュース)。
ともかく中国情勢にうといものとしては習近平氏はどういう人物で、いかなる略歴で、その政治能力は? と首を傾げるばかり。

「ウィキペディア」にある習近平の解説はつぎの通りです。まず引用しますと、
「父・習仲勲が批判された文化大革命で反動学生とされ、1969年から7年間陝西省延川県に下放。1974年に共産党入党、下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。
 1975年に清華大学化学工程部入学。1979年の卒業後は国務院弁公庁で当時副総理の秘書を務めた。アモイ副市長、福州市党委書記から、2000年福建省長。2002年11月、張徳江に代わり49歳で浙江省委書記就任。2007年3月24日、陳良宇の代理を務めていた韓正に代わって上海市党委書記就任。
 中央組織部長の賀国強が上海市党政幹部大会で発表した。これにより第17期の政治局入りは確実とみられたが、一気に政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、更に中央書記処常務書記に任命された。上海市書記は兪正声が引き継いだ。
 胡錦濤直系である共青団の李克強より常務委員の序列が上であること、また胡錦濤自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、ポスト胡錦濤に一番近い存在といえる。また、常務委員で唯一軍歴がある(中央軍事委員会弁公庁秘書)。2008年3月15日、第11期全人代第1回会議で国家副主席に選出された。
妻は、中国の有名な軍隊歌手(国家一級演員)彭麗媛(中国人民解放軍総政治部所属・少将)である。娘(習明沢)ひとり」。
 (以下略)」。
この人がなるんですかね。本当に。
  (YA生、水戸)


(宮崎正弘のコメント)履歴に関してはほぼ正しいでしょうが、ウィクペディアの解説には背後の人脈解説がありませんね。
習をすくいあげたのは曾慶紅です。曾は第十七回党大会で、みずからの引退と引き替えに習を浙江省書記から、まず上海書記に「栄転」させ、すぐに中央へ引っ張り上げた。
中国の権力状況はと言えば、上海派 vs 団派の対立が凄まじく、太子党がどちらにつくか、太子党を引っ張り込めば、多数派となります。団派は共産主義の理想とか、社会主義とか頭のかたいことを言うので党内長老や左派に好感をもたれ、太子党はどちらかと言えば利権が好きですから上海派と組む。
重慶市書記から広東省書記になった王洋と、重慶市書記の薄!)来が、習近平のライバル。 
これまで団派の代表的存在だった李克強は、このままでは次期首相の座も危ないかもしれない。



  ♪
(読者の声3)9月18日通巻第2718号、宮崎先生のきついお言葉、「欧米は野蛮国家が進歩しただけのこと、その人間の振る舞いや頭の思考回路は依然として野蛮のままです。」
じつに端的ですね(爆笑―苦笑)。
白川静さんが、「ヨーロッパ系の諸族は、早くから漂泊をくりかえし、存亡を重ね」た、と指摘しておられるように、戦争と流血は数千年来のかれらの運命。
ここから、キリスト教の壮大な世界観や、国際社会のルールを成長させた功績は輝かしい。でも、思考回路の究極は、いぜんとして野蛮な戦争・戦場の論理。
「第一次大戦時、ベルギーの中立を侵犯したことに対し、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世は、‘必要は法を知らない’と述べましたが、その通りだと思います。」(佐藤優「獄中記」から)。
だから、たとえばインチキな東京裁判が正当で、旧日本軍の戦争犯罪が不動の事実とされるのは、法律論、事実論の問題ではなく、戦場の論理の延長で彼らの根源的な思考回路に由来するとも思われます。
自由か奴隷か、というのが彼らの歴史の基調では?
安定した社会の日本の伝統では、自由は「自由奔放」の自由のほか、「守破離」という王道をつうじて到達すべき、という観念もあった?
     (石川県、三猫匹)


(宮崎正弘のコメント)アメリカ人の強迫観念といっても良いでしょうね。よく米国へ行っていた頃、学者と議論になると、「それは陰謀論だ」「それは修正主義だ」という決めつけで挑んできました。前置詞は「バーバリアン・ジャパニーズ・アーミィ」とか。
 話していて、気脈が通じるのは共和党保守派のひとびと、民主党のリベラル派は、最初から決めつけの論理で洗脳されていて、ああ、この人たちは日本の左翼小児病患者と変わらないな、という感想でした。
 さて石川県の読者のかたですね。28日付け「北国新聞」コラムに拙文がでます。「日本は政権交代、中国は史観交代」(10月中旬頃、小誌に再録予定)です。

 (読者の声は下段に続きます)

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(読者の声2)旧聞ですが、貴誌2685及び2687号で先生が提示した信長朝敵説と光秀英雄説ですが、少し飛躍があるのでは?
まず貴見「日本歴史で最大の体制破壊者は信長、最大のスパイマスターは秀吉でしょう」という箇所ですが、秀吉の評価が高過ぎるのでは?
というのは秀吉の活躍は身分出自にかかわらず斬新な人材採用と登用をした信長の下でのみ可能であり、逆に秀吉が主なら農民出身の者を採用したか疑問。
まぁ、そういう意味で信長は「旧体制の破壊者」かもしれませんが。またスパイマスターとしても信長の方が秀吉より上ではないか? 信長が桶狭間で今川義元を破ったのは、信長が「うつけ」と言われながらも鷹狩などして領内の地理や気候や人間心理を熟知していたから出来た。

また貴見「信長は組織を近代的にオーガナイズしかけ、その工程をついだ秀吉は社会と体制安定の道筋をつけようとした」
とありますが、
信長のビジョンや戦略とその下での秀吉の戦術能力が花開いたという事でしょう。ここでも、信長あっての秀吉であり光秀であり、家康です。
さらに貴見「信長は天皇制を破損して自らがゴッドになろうとしていました。安土の天守は、まさに其れ、安土城の麓の寺はご本尊が信長でした」
とあります。

 これは信長を過度に「近代人」として扱おうとする90年代くらいの流行では?
 總見寺の建立と自己の神格化ですが、これは信長が正親町天皇との政治闘争の破れ苦し紛れに建てたもので当時の人々もまともに相手にしていない。実際に資料として残っているのは、信長に保護されて信長のキリスト教改宗を期待していたバテレン達の書いた物。彼らは信長の行為を真に受けて震撼してローマや本国などに送った文献の中で罵倒しているが、日本側の資料が不足しているという事自体が何かを語っている。
今谷明氏風にいうなら、信長も所詮は中世人だったという事です。実際、足利義昭を追放してからは将軍職かそれに相当する職を考えるようになっていたようです。

 もうひとつ。貴見「危険、日本の伝統を守らなければと義挙に立ったのが明智光秀。かれこそは英雄です。光秀には天下を取ろうという野心が最初から無い、そういう打算的思惑で行動をおこしていない」
 とあります。

 明智光秀の行為についてですが、一般的に私怨説が多いのに対して先生は義憤説を立てた訳ですが、私は1992年に放映された緒方直人主演の大河ドラマ「信長」での光秀の在り方に大いに注目しました。結果から言うと一種のノイローゼです。尾張出身で無い光秀は言うならば途中入社のハンデを負ったサラリーマン。
出世頭ですが斬新な人材登用があっての光秀な訳ですので信長には負い目がある。
それで光秀は信長に人一倍忠実に働くが、丹波の波多野氏を攻めたときに信長の所為で人質に出していた母が殺され。比叡山の焼き討ちも足利将軍追放も決して快くなかった。
信長は斬新で寛容な一方で徹底的に残酷残忍で無能と見做した佐久間信盛は高野山に追放された。
後ろからは、秀吉の足音が聞こえてくる。中国方面へ攻撃する事になった光秀は山陰の二国を与えられるが、その前に自領を信長に返還させられる。そう、出世頭といえども信長カンパニーでは雇われ社長以下の支店長でしかない。
 ドラマでは、信長の命を受けた光秀は城で眠るが夢の中で血が滴り落ちてくる。そして、怒りがこみ上げる。私怨と義憤は渾然としているがもうアイツの下で働くのは嫌だ!光秀が「敵は本能寺にあり!」という時に家臣達がシ〜ンとしたところが最高だった。そりゃそうだろう。そして、マイケル富岡演じる光秀が爆発。とうとうと信長の非を責める。信長はああした、信長はこうしたと。光秀は疲れてしまったのだ。そして本能寺だが、もちろん計画性もある訳ではないので天下は短い。光秀は過労死であったと今日的解釈ではあるが良かった。

とはいえ、家康は兎も角として大阪城建築など秀吉の政策の多くは実は信長の頭の中に有ったものと知り、私には何か秀吉は世人に評価され過ぎているのではないかと感想を持ったのを記憶しています。
總見寺に関しては大河ドラマでも場面がありましたし、今谷明氏の『天皇と信長』でもページが割かれていましたので、少し前に読み直したところでした。この本は新書本ですが精密な研究で一度読んだくらいでは飲み込めず、漸く最近納得し始めたところでした。
 貴見「明智は国粋派ですから楠と並べてもいいのではないか」
 との先生のご指摘ですが、やはり今日的解釈というか近代的な見方過ぎるのでは?
 果たして、十六世紀の日本に今日の様な(国粋などの)国家観があったのかは疑問です。
 
 当時近代的国家観に近いものを持っていたのはバテレンから世界地図を入手して海外情報を得ていた信長くらいでしょう。そういう意味で、先生の「信長は中世人でもある」という微妙な言い方には唸りました。確かに「敵に塩を送る」中世人の代表上杉謙信と比叡山を絶滅する信長が同時代人とは考え難い(笑)。
 信長の感性は今日の故サダム・フセインやシリアのアサド親子に近いものがあります。 

明智は今日的に言えば皇室や将軍家と信長とを繋ぐリエゾン・オフィサーだったのでしょう。インテリで頭が良く、京都貴族の内在的論理を理解していたので信長に重宝されたのでしょうが、やはり武断的で強権的な信長とは合わなかったのではないでしょうか。というよりも、普通の人ならば信長のような上司の下では働けないはずです。
血で血を洗う戦国という特別残酷な時代故に、信長の「天下分布」が正義の旗に見えたのかもしれませんが、何時までも自分に嘘を付き続けるのは困難です。私は「きれた」光秀の方に同情します。
   (道楽Q)



(宮崎正弘のコメント)小生の2865号のコメントは次の通りでした。
 「信長は信賞必罰で組織を近代的にオーガナイズしかけ、その工程をついだ秀吉は社会と体制安定の道筋をつけようとしたが、かれの政治工学は基本に謀略があった。日本歴史で最大の体制破壊者は信長、最大のスパイマスターは秀吉でしょう。
 信長は天皇制を破損して自らがゴッドになろうとしていました。安土の天守は、まさに其れ、安土城の麓の寺はご本尊が信長でした。これは危険、日本の伝統を守らなければと義挙に立ったのが明智光秀。かれこそは英雄です。光秀には天下を取ろうという野心が最初から無い、そういう打算的思惑で行動をおこしていない。後世の歴史家は、この敗北の美学が分からないので「本能寺の変」から五百年ちかく歴史の本質を誤解していることになる。

 ついで2867号は、下記です。
「(宮崎正弘のコメント)信長暗殺を「主殺し」と逆転評価したのは秀吉、座付き作家ならぬ祐筆たちに、そういう改竄史観を事変直後から盛んに広めさせ、秀吉の印象をよくした作為が見え見えです。
本能寺を囲まれて、「明智か、是非もナシ」と信長が叫んだとか、切腹前に「人間五十年、下天のうちに比らぶれば・・・」と舞を舞ったとか、は後世の創作です。これらの後世の創作に上乗せした近年の八切史観とか、最近の某『信長の棺』とかは、率直に言ってお笑いの類でしょう。
 秀吉はまんまと天下を簒奪出来たわけですから、本当は明智様々でしょうに。。
 さて昔から秀吉黒幕説、足利黒幕説、毛利、長曽我部、朝廷黒幕説、本願寺背後説、徳川陰謀説など色々ありますが、最近出色は明智一族の末裔が書いた、斉藤利三と長曽我部のからみで、土岐一族のための決起だったという説です。
 信長の天下をはばむ戦国武将的思考レベルでは、そういう発想になるでしょう。
 戦国の国盗りゲームの発想に陥るのではなく、尊皇心と決起という観点で明智の評価をそろそろ行うべきでしょう。彼の行為は『義挙』であり、楠木正成的なのですから。
 小生、十数年前に『戦国武将の情報学』という本を書いた折、安土城下をすみからすみまで見ました。まだ安土城は再建されておらず城跡だけですが、総見寺の大伽藍あとを見たときに城の設計図に残った「天主」と、ご本尊が信長という事実から、将軍を狙うのではなく、信長は天皇をないがしろにして、『国王』を狙っていたのだ、と気がついたのです。
井尻千男先生が拓殖大学日本文化研究所発行『新日本学』に連載されていた明智光秀論が出色。今月号で連載はおわり、来年単行本化されるそうです。この話はそのときに改めて精密にしたいと思います」。

 以上が過去のコメントですが、議論をすすめる前に再掲しておきます。

(承前)
 さて重複するかも知れませんが、これらにちょっとだけ継ぎ足します。

 秀吉が農民出身というのは証拠がありません。太閤記はいくつかありますが、いずれも秀吉の法螺をもとに右筆らが創作した部分が多く、たぶん豪族の端くれだった可能性あり。太閤記が皮肉にも徳川政権下で庶民に広がったのは判官贔屓という赤穂浪士を絶賛する庶民感覚と同質です。
 幾つかある太閤記の嘘は小和田哲男(静岡大学教授)も、かなり突っ込んでおやりになり、矢作川に橋がかかっていなかったことなどを突き止めています。つまり川波衆・蜂巣賀小六と日吉丸の出会いは別の場所です。幼年期の「日吉丸」さえ創作くさい。
ついでに言いますが、比叡山焼き討ちも山門を焼いた程度を大げさに後世史家が書きなぐったのです。滋賀県教育委員会の発掘調査の結果、根本中堂は焼かれていないことが学術的に証明されています。
明智が主人殺しという改竄解釈は秀吉が事件直後から広めた宣撫作戦。われわれは爾後、427年にわたって洗脳され続けているのです。
 また明智が丹波攻めに母親が人質になっていた証拠はありません。これも後世の創作臭いですね。
 天皇観ですが、北畠親房『神皇正統記』という誰もが読んでいた古典があります。成立は暦応貳年(1339)です。『愚管抄』も『立正安国論』もありました。当時の知識人は読んでいた筈です。鎌倉幕府は尊皇精神が高く、戦後、信長が急に再評価されはじめたのは足利尊氏への再評価と似ていて、GHQの亡国史観と関連がありそうです。信長を評価するのは真の保守派とは言えないでしょう。
 それからバテレンですが、かれらは誇大な報告と自慢話が多く、数字の水増しがあり、信用するには疑問が多すぎます。
 某放送局の大河ドラマですが、これは噴飯もの、時代考証はおろか歴史に無知の脚本家がドラマに仕立て直していて、参考にはなりません。というより参考にしてはいけません。
明智は最初から最後まで正気です。権力掌握を考えていないのですから。義挙のあと、もっとも慌てたのが口舌の徒、細川親子。そして日記をみずから改竄した吉田兼見ですね。正親町天皇は英邁な御存在でした。勅使として安土へ走った兼見は粟田口で明智と秘密会談をしています。彼の日記はAとBが存在し、Aには真実、Bは山崎の合戦で敗れたことを知ってから皇室のことを一義的に、考えて「光秀謀反」と改竄をはじめる。Aの本物の日記は彼の死後、かなり経ってから発見された。

 日本に平和と安定と繁栄のいしずえを築いたのは徳川家康です。家康は情報攪乱、宣撫工作が得意だった信長、諜報と謀略を専門としてスパイマスターの秀吉より、それらをインテリジェンスの絶頂にまで高めた。
信長が秀吉より情報作戦が上だったことはあり得ません。もしそれほどに諜報謀略が優れていたら、信玄死亡の真実を確かめるのに相当の時間をかけずともよく、また本能寺の変を予測できた筈でしょうから。
 ともあれ、秀吉の設計思想だった大阪城を、家康はまったく異なる設計思想で造り替え、現在の大阪城は家康スタイル。そして皮肉なことにあの城内で飾られているのは、すべて秀吉関連。
 また秀吉のお墓がどうなっているか、ご存じですか。京都高台寺の裏手の山がそうですが、当時の壮大で華麗だった大伽藍を大阪の陣のあと、徳川が破壊した。その草ぼうぼうの秀吉の墓を再建したのが明治新政府でしたが、中途半端、いま多くの秀吉ファンでも、場所をしらないか、墓参に行く人は稀でしょうね。秀吉に国民的人気があるというのは大衆レベルのはなしです。
 この話、いずれまたゆっくり紙幅を割きたいと思います。
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(編集部より)次の発行は9月26日ごろですので、ご投稿掲載もそれ以後になります。ご了解下さい。
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  ★樋泉克夫のコラム★  ★樋泉克夫のコラム★  ★樋泉克夫のコラム★
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樋泉克夫のコラム
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 ――8月のバンコクで気になった2,3の出来事




タイ訪問中の河南省の郭庚茂省長を団長とする一行は、8月17日午前、商務大臣への表敬もそこそこにバンコク銀行本店に向かう。
一行を迎えたのはチャトリ(陳有漢)董事長以下の同行首脳陣。双方が揃ったところで、郭とチャトリの間で「河南省人民政府とバンコク銀行による金融合作を進めるための備忘録」が調印された。

河南省政府はバンコク銀行の資金力とノーハウを活用し省経済の活性化を進め、一方のバンコク銀行は河南省政府をテコにして中国市場での一層の展開を目指そうというのだろう。

ここで興味深いのが調印式に参加した顔ぶれだ。
先ず河南省からは省政府の副秘書長、商務庁長、外事僑務弁公室長、財務庁長、農業庁長、金融弁主任など。省経済政策の根幹を握る面々だ。一方のバンコク銀行はコーシット常務董事長(財務大臣、農業・組合大臣などを歴任)、チャトシリ(陳智深)董事総裁(チャトリ董事長長男)、副董事常務長、海外業務担当副総裁、顧問(元中国駐在タイ大使)と最高経営陣。それにしても驚かされるのは、コーシットといい元中国駐在タイ大使といい、バンコク銀行の人材確保への意欲だ。

調印祝賀セレモニーが終るや河南省の一行はアピシット(袁順利)首相を訪問し、同省とタイとの間の貿易・投資拡大につき会談。19日にはタイ最大の多国籍企業で積極的な中国投資で知られるCP(正大)集団との間で貿易と農業技術の発展を目指す合作に関する議定書に調印している。
その後、一行はシンガポールに向かった。

それから10日ほどが過ぎた8月28日、バンコクの中心街にある超高級ホテルにおいて、タイで活動を続ける中台両岸の若手企業家の集まりである「両岸菁英会」が開かれている。今年(09)5月13日に結成された同会の集まりは、今回で5回目。
呼びかけたのは香港に置かれた中国政府系企業の中で最大の華潤集団傘下で不動産開発を担当する長春置地有限公司の毛哲樵総経理と陳鋼副総経理の両首脳。

長春置地は華潤集団の潤沢な資金を背景に海外展開を積極的に進めているが、目下、最大の投資プロジェクトはバンコクの中心街の1つでアメリカ・英国の両大使館に近接する3万4千平米の開発である。総称はAll Season Place(漢字で「曼谷長春広場」と綴る)で、3棟の大規模オフィス・ビル、5つ星クラスのホテル、高級マンションにファッション・モールで構成されているようだ。

すでにGE、マイクロソフト、BMWなどの世界ブランドの大企業の入居が決まっていると伝えられる。

ならば両岸菁英会は中国政府系企業がバンコク在住の台湾若手企業家を標的とした、形を変えた両岸統一へ向けての環境作りの一環と考えられないこともない。
そこで8月28日の集まりへの主だった参加企業を見ておくと、台湾側では中華電信、中鼎工程、東陽、BenQ、長栄航空、環亜工程、富邦保険など。中国側は中国建設、華潤置地、震雄鋼業、三一重工、中国中化、中興、泰中工業区、Websptなど。

台湾側企業についていえることは、東陽、BenQ、長栄航空、富邦保険など一貫して中国市場に積極進出を進め経営規模の拡大を図ってきたということだ。台湾本社の意向があったと考えるのが常識というもの。

 ――8月のバンコクを振り返ってみた。河南省政府一行、両岸菁英会、そして長春置地によるAll Season Place。確かに華々しい活動というわけではない。
だが、これらを結んでみると、“熱帯への進軍”を着実に進める中国の意図を感じないわけにはいかない。
《QED》

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(編集後記)●出発を半日遅らせる。諸般の事情。昨晩は韓国から池東旭氏が来日、神谷町の広大な敷地を誇る料亭に集まったのはほかに植田剛彦氏、中村彰彦氏、ちょっと遅れて高山正之氏の面々。雨が降らず、遅くまで酒が進む。だれともなく、川柳まがいが一つできた。(朝日新聞とかけて)、「赤がつくり、やくざが売って、馬鹿が読む」(字余り)。韓国政治と日本の新政権のことで『鳩山は盧武鉉と似ている』と池さん。ほかにも多くの話題で盛り上がった。●某月某日 或る雑誌コラムの連載、締め切りが慌ただしく、書き送ってホッとしたところへ連絡があり、字数がちょうど一枚足りないという。枚数を勘違いしたらしい。それにしても疲れが込んでいるようで、睡眠不足かなと反省。同業に聞くと、よくある勘違いらしいですが。。。過日も友人が待ち合わせ場所に現れない。たしかめると「いつも宮崎さんと会うのはここだとばっかり」と全然違うホテルのバアにいた。先入観、勘違いは、げにおそろしい。というわけで小誌、しばし休刊です。一週間ほど静かになります。 
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「中国の近未来をいま一度考えてみると、これまでの固定概念的な地方軍閥、地域対立、王朝の腐敗、衰退という文脈から分裂に至るというシナリオは遠のき、むしろ現代中国に拡がった新しい空間、すなわちネットにおける反政府言論というゲリラ戦争、イスラムの思想的連帯という見えない武装戦争、利権争いの集大成としての個別経済ブロック化、他方ではグローバル化に波に乗った資産の海外逃亡などが次の舞台の開幕を告げるであろう」(あとがきより)。

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◎宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
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(C)有限会社・宮崎正弘事務所 2009 ◎転送自由。ただし転載は出典明示。
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