便衣隊の處分
「上海戦と国際法」信夫淳平 丸善 1932年
便衣隊の處分 陛戰法規に於て前に述べた三種に限れる交戰者は、非交戰者の有せざる特権を有する。例へば敵に捕へられたる場合に於て俘虜としての取扱を受け。戰時重罪犯(War crimes)として處罸せらるゝなきの特權の如きである。戦時重罪犯とは、敵国の交戰者若くは非交戰者に依りて行はれ我軍に有害なる結果を興ふる所の重罪性の犯行で、例へば交戰者にありては、陸戰法規慣例規則の第二十三條に於て特に禁止してある害敵諸手段、第二十五條の無防守の土地建物に鋤する砲撃。その他陸海の交戦諸法規の禁ずる諸事項の無視等、要するに戰時法規違反の行爲は勿論、或は間牒行爲の如き、將た間諜ならざるも變装して我軍の作戦地、占領地、その他戰爭闘係地帯内に入り我軍に不利の行爲に出づるが如きを云ひ、又非交戰者の行犯としては、その資格なきに尚ほ且敵對行爲を敢てするが如き、孰れも戦時軍罪犯の下に概して死刑、若くは死刑に近き重刑に處せらるゝのが戦時公法の認むる一般の慣例である。 便衣隊は間諜よりも性質が遙に悪い(勿論中には間牒兼業のもある)。間諜は戦時公法の毫も禁ずるものではなく、その容認すち所の適法行爲である。たゝ間牒は被探國の作戦上に有害の影響を與ふるものであるから、作戦上の利益の防衛手段として戰時重罪犯を以て之を諭ずる權を逮捕国に認めてあるといふに止まる。黙るに便衣隊は交戦者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交戦法規違反である。その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正當防衛として直ちに之を殺害し、叉は捕へて之を戦時重罪犯に間ふこと固より妨げない。 たゝ然しながら、彼等は暗中狙撃を事とし、事終るや闇から闇を傳つて逃去る者であるから、その現行犯を捕ふることが甚だ六ケしく、會々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い。嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、漠然たる嫌疑位で之を行ひ、甚しきは確たる證據なきに重刑に處するなどは、形勢危胎に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏當でないこと論を俟たない。 上海戰勃發の際に方り、我方の便衣隊捕縛には或は玉石混柵の嫌ひがあったやうにも聞及んだ。その中には、或は全然無辜の徒にして我が陸戦隊又は有志者團に拉致せられ、誤って制裁を加へられた者も無いでもあるまい。何分にも豫め戸籍調査や行跡査定を盡した上でやったことではなく、事は咄嗟の間に起り、手當り次第に目前緊迫の危険を除くといふのであるから、多少は無理もあつたに相違あるまい。甚しきは、債務履行の督促を支那商に受けつゝありし我が一邦民にして、苦し紛れに債權者たる支那商をば彼は便衣隊なりと我が軍衙に誣告し、銃剣の一撃の下に自然債務をも抹殺した者すらあったとの風説−勿論風説に過ぎまい−をも耳にした。 (「上海戦と国際法」P158〜126)
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