自殺した音楽プロデューサー、加藤和彦さん(享年62)が遺書で綴った、この重たい言葉が音楽関係者に波紋を広げている。
音楽評論家の富澤一誠氏は、9月20日に静岡・つま恋で開かれた南こうせつ(60)主催の野外ライブで加藤さんを見たのが最後になった。
「ステージではダンディーさを振りまき、『新幹線に乗っていたら(公演を)やっていたから、降りてきました』なんて冗談も言っていた」
いつも通り飄々としていたが、富澤氏は加藤さんの胸の内をこう推測する。
「加藤さんは今の音楽は話にならない、と考え“和幸(かずこう)”で楽曲を世に出した。けれど今の人たちに響かず、失望をしたんじゃないだろうか」
和幸は、2007年に加藤さんと「THE ALFEE」の坂崎幸之助(55)により結成されたユニットだった。
「ザ・フォーク・クルセダーズは、和製ビートルズだった。そのフォークルから、さらにアーティストが触発された。南こうせつは、大分で高校生だったころ、フォークルを聴いて『オレにもできる』とかぐや姫を結成している。先駆者としてのプライドや最先端という自負があったのではないか」(富澤氏)
加藤さんは、2000年代に入って音楽的葛藤と闘っていたようだ。02年に期間限定でフォークルを結成したときの思いを音楽ジャーナリストの湯浅明氏が振り返る。
「長いこと音楽をやっていると、聞かせようとか、売ろうとかいう呪縛が無意識にある。フォークルの名をつかうと、楽しみながら好きなものを作れる−ということでした。ヒットメーカー、プロデューサーとしての重責。売るということのプレッシャーを常に感じていたのだと思う」
それでも湯浅氏は、「意欲がなくなったなんて…」と残念がる。「ご自分でコレクションしていたギターの弦を毎日張り替えていた。加藤さんの本質は、熱いうちにやる瞬間芸、テンションの高さにあった。それが、枚数的なことで評価をされてしまう今の時代のペースに合わなくなったのかもしれない。いい作品を作って、ひとりでも多くの人に楽しんでもらいたいと常に思っている方だった」