中川昭一氏、マーケットとの死闘
2009年10月16日
私事ながら、思わぬ急性疾患で半月ほど入院した。病床で受け取ったのが「中川元財務相が死亡」の道新ニュース速報(携帯メール速報)だ。
私は今年2月の中川財務相辞任まで東京で財務省担当を統括していた。長らく経済記者をやってきたので、中川氏の政治家としての評価は政局担当や地元番の記者に任せたいが(同僚の書いた「【ウェブ特報】中川氏を悼む―『王』になりきれなかった男のナイーブさ」が詳しい)、大臣としてみても極めて印象深い人だった。
財務大臣にはいくつかのタイプがある。重要閣僚という政治キャリアを「大過なく終えよう」という人、主に大蔵官僚出身で得意分野の独自政策を推し進める人(往々にして時代遅れの場合が多いが)など。中川氏は、そのどれでもなかった。政策立案のため、自分で一から勉強しようとしたのだ。
「銀行員出身だが、最先端の実務をやっていたわけではない」と昨年9月の就任直後本人も漏らしていた。だが、折りしもリーマンショックによる市場大混乱の真っ只中。急激な円高と株価暴落の異常事態が続いた。中川氏は秘書官にページャー(情報端末)を持たせて、常に株と為替をリアルタイムにチェックしていた。NYでダウ平均株価が1万ドルの大台割れをした08年10月6日夜、「あすは日経平均株価も1万円割れそうですね」と本人に聞くと「変なことを言うな!」と血相を変えて怒った。翌日、本当に1万円割れをした。
「夜帰宅して欧州市場の終値をチェックしてNYの寄り付きをみる。朝起きてすぐNYの終値を確かめるんだ」。翌11月の金融サミット出発直前にこう話していた。顔色は悪かった。「それじゃ寝る間がないじゃないですか」「ああ、よく眠れない」。自嘲気味に付け加えた。「まるでディーラーみたいな生活だよ」
もちろん、中川氏個人が市場売買しているわけではない。だが、市場には冷淡、むしろ鈍感な閣僚が多い中、その動向に繊細な反応をみせていた。政策がマーケットに評価され株価が少し回復すれば素直に喜んだ。一方で、対応が遅いと批判され、円高株安が進むと表情は暗かった。大臣室では通常自席で執務するものだが、中川氏は室内の会議用テーブルにパソコンを何台か置いて作業していた。常に臨戦態勢だったのだ。
飲酒や持病の腰痛薬にまつわるトラブルはあえてここで書かない。だが、世間的には、それが苦闘の末の自らの政策を帳消しにすることになってしまった。
中川氏死去のニュースが流れた時、病床の私はたまたまガルブレイスの名著「大暴落1929」を読み返していた。奇しくもちょうど1年前、読書家の中川氏が常に手元においていた本だ。ガルブレイスは終章をこう結んだ。「金融面における手腕と政治的先見性とは反比例の関係にある」。市場に翻弄された中川氏はどういう思いでこの箇所を読んだのだろうか。
(メディア局 磯田佳孝)
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コメント
こうやって面白おかしく書いてるからマスゴミなんですよ
マスゴミが偏向報道で中川さんを殺したということを自覚したらどうなんだ
これほど国益を守り、経済にも農政にも通じていた人はいなかったと思います。
数年前からテレビや新聞読まなくなったけど改めて正解だったと思います。
2国間の融資を断り、IMFへ一本化さて、日本の国益と世界経済を救った偉業をなにも報道せず20分に渡る会見の一部分だけを執拗に報道してたたき続けたマスゴミには辟易する。
マスゴミはずっと売国まがいの報道してればいいよw、なにも期待してないから。
投稿者: 中川昭一の偉大さに気づかないとは、しかも地元だろうに・・・ | 2009年10月18日 08:17
はじめまして、
Googleのニュース検索からまいりました。
お身体のお具合はいかがですか、
お大事になさってください。
中川先生のお近くでお仕事をされていた方でないとわからない貴重な記事ですね。
どうもありがとうございます。
投稿者: 小式部 | 2009年10月21日 10:58