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【ウェブ特報】中川氏を悼む―「王」になりきれなかった男のナイーブさ (10/05 18:26、10/05 18:47 更新)

ありし日の中川昭一元財務相=2009年9月2日、北海道新聞帯広支社

ありし日の中川昭一元財務相=2009年9月2日、北海道新聞帯広支社

 「私はみなさんの下僕(しもべ)です。『中川王国』とは言わないでいただきたい」。中川昭一氏がかつて帯広報道部で担当記者だった私とのインタビューで語った言葉は、本音だと信じている。政界での経歴、父の代から続く集票力、そして尊大さ−。王国の主と呼ばれる多くの状況と資質を備えながら、しかし、心から王になりきることは拒んできた。私は、そのナイーブさが好きだった。

 常に潔かった。的を射た批判記事であれば率直に認め、必要があれば謝罪する。特に、難病のクロイツフェルト・ヤコブ病患者と思考停止とを結びつけた問題では、「病気のことを理解していなかった」と自らの不明を真剣に恥じていた。その後、彼は患者を支援する議員の会の会長に就任した。

 思想・信条は筋を貫いた。政権中枢の要職者としての核保有論議には、同意できない点も多かったが、「米国の原爆投下は犯罪だ」と断じた上で、安全保障を巡る議論を促すという点で、彼自身の論旨は一貫していた。政権への非難も渦巻いたが、「道新もっと書いてよ。支持者に中川はこう言っていると伝わるから」。ナイーブとはいえ、計算高さは一流だった。

 中川氏は、常に父の一郎と比べて語られた。そのことを利用し、また反発した。父の死後、弔い選挙を有利に戦うため、昭一を一郎に改名したら、と勧める周囲に、「それはあんまりだ。自分は自分だ」ときっぱり断った話も残っている。

 そんな彼が「親父(おやじ)という目標、なくなったんだよね」と私に漏らしたことがある。

 当時、経産相在任中だった。「閣僚経験で越えたから」と受け取った私は「そうは言っても、支持者は総理になってもらいたいと思っていますよ」とありきたりな受け答えをしてしまった。政治家としては、総理を目指すことが一つの「模範解答」だが、彼が新たな目標にしたかったのは、本当は何だったのだろうか。後継者としての義務を立派に果たし、自分としての生き方を、国家の中での役割と重ね合わせながら見直したかったのかもしれない。

 お互い、家族の話をすることも多かった。私の家族のことをよく尋ねてくれたし、彼はよく子供たちの話をした。六期目の選挙運動中、地元入りしたご長男を本当に大事そうに抱きかかえていた姿が印象に残っている。

 もっと話がしたかった。もっと活躍してもらいたかった。56年の生涯は短か過ぎた。しかし、「後継者」役として、「骨肉の争い」というシナリオが書かれた「王国物語」には、もう出演する必要がなくなり、ほっとしているのではないか、とも思っている。

(メディア局部次長 矢崎弘之)

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