郵政見直しが招く大損害(1)/竹中平蔵(慶應義塾大学教授)Voice8月17日(月) 16時14分配信 / 国内 - 政治
◇抵抗勢力と同じポジションを取った民主党◇ 来る総選挙で民主党政権が誕生した場合、郵政民営化はどうなるだろうか。 民主党は、郵政民営化をめぐるスタンスをコロコロと変えてきた。小泉政権が郵政民営化を打ち出すと、民主党は民営化そのものに反対し、2005年の総選挙で敗北したあとは、銀行・保険の一部民営化、郵便は国営継続、という案を国会に出した。そして2008年9月16日には国民新党と、(1)郵政株式売却凍結法案の可及的速やかな成立、(2)4分社化を見直し利用者本位の簡便な方法で利用できる仕組みの再構築、(3)郵政三事業の一体的サービス提供の保障、利便性、公益性を高める改革の実行、との合意を結んでいる。 鳩山由紀夫民主党代表は、この合意を遵守していくと明言しているし、今年5月17日に行なわれた全国郵便局長会の定期総会では、「政権交代のあかつきには郵政民営化の見直しを真っ先に行なう。約束は必ず守る。選挙に勝つには郵便局長さんたちの力が不可欠だ」と述べている(『東京新聞』5月18日付)。また、6月17日の党首討論では、次期衆院選で政権交代を果たせば、西川善文・日本郵政社長を辞めさせるとも表明している。 だが、たとえば、郵政株式の売却を凍結したらどうなるだろうか。株式を上場できないということは、「民のガバナンス」が利かなくなるということである。 「官のガバナンス」も、それはそれとしてそれなりの重みをもっており、官の論理での統制が働く。ただ、300兆円もの金融資産を預かる郵政を官のままに置いておくと、官のガバナンスの硬直的な部分が足枷となり、さまざまな問題が表れてくることが明白であったために、「完全な民のガバナンス」への移行が決められた。完全な民のガバナンスならば、株主の厳しい目に晒され、さまざまなチェックが働く。 しかしこれがもし、官と民の中間にあるような中途半端なガバナンスに堕してしまったらどうなるか。本誌8月号での渡部昇一氏との対談でも指摘したが、中途半端なガバナンスがもっとも危険だ。それぞれの悪いところばかりが表れて、中にいる人たちはガバナンスの空白地帯でやりたい放題になる可能性が高い。それが好都合だからこそ、いま郵政の見直しを声高に叫ぶ人びとも、「再度、国営化する」とはいわないのである。 民主党といえば「改革」のイメージもあった。私も小泉政権に参画することが決まったとき、民主党が改革を少しはサポートしてくれるのではないか、と考えていた。しかし、フタを開けてみたら、民主党は不良債権処理にも反対、郵政民営化にも反対の姿勢を打ち出した。自民党の抵抗勢力と同じポジションを取ったのである。 郵政民営化が国会で盛んに議論されていた時期、何人かの民主党議員から、個人的に「竹中さんのおっしゃるとおりなんですよね」などと声を掛けていただくこともあった。だが、それに対して「それなら、あなたも政治家なのですから郵政民営化に賛成されたらいかがですか」と聞くと、「いや、それはさすがに難しくて……」という、サラリーマンの中間管理職の悪しき例のような答えをいただくことが多かった。そのような個人的体験があるからこそなおさら、民主党が政権を取ったときに、実際にどのようなスタンスを取るのかは、どうしても注目せざるをえないのである。 ◇なぜ「完全民営化」をせねばならないか◇ ここであらためて、なぜ民営化が必要かを述べてみたい。 1つは行政改革の観点から、「民でできることは、民でやるほうがいい」からである。たとえば宅配事業なら、すでに民間の宅配業者がいくつもある。ならば、ゆうパックを国営事業としてやる必要はない。同じように民営化すればいい。 また郵政という1つの経営主体を見たとき、いまのままでは莫大な赤字をもたらすことは確実である。たとえば郵政時代、2万4000局ある郵便局のうち、5000局が集配郵便局であった。集配郵便局とは、トラックなどを使って集配業務を行なう郵便局で、それ以外に窓口業務のみを行なう無集配郵便局がある。常識的に考えて、集配郵便局が5局のうち1局というのは多すぎる。20局に1局もあれば十分で、実際、民営化にともなって5000局を2000局に減らした。郵政時代には、このような無駄が多かったのだ。 しかもEメールの普及により、郵便の取扱量は毎年3パーセントから5パーセント減っている。このままでは、10年後には半分程度になってしまってもおかしくない。これは直接に、郵便事業の赤字を増大させる原因となる。このような状況下で非効率な経営を続けていたら、それはすべて国民への負担となって跳ね返ることとなる。いま現在、すでに日本の郵便料金はアメリカの2倍だが、このまま放っておけば差が4倍に開く可能性すらあるのだ。 郵便貯金も同じで、いまのままだと早晩、莫大な国民負担を強いることになりかねなかった。かつて郵便貯金で預かったお金は、大蔵省資金運用部に預託されて財政投融資の資金として使われてきた。預託金の金利は国債より高く設定されていたが、財政投融資改革によって2001年から自主運営となり、安全性を求めて国債で運用されるようになった。国債金利のほうが預金金利より高い現在のような状況であれば利ざやを稼げるが、だが通常、成熟した国では預金金利と国債金利は理屈のうえでは一致するはずなのである。そうなれば郵便貯金は成り立たなくなる。普通の銀行は、さまざまな運用を行なって利ざやを稼いでいる。同じように郵便貯金も政府の枠組みを外して国債1本足の経営を脱し、自由な運用を可能にする必要があったのである。 さらに金融面で見たとき、国民の金融資産1500兆円のうち300兆円は、郵便貯金や簡易保険に入っている。この300兆円は国の管轄であるかぎり、国債にしか流れない。民間には流れず、経済を停滞させる一因になる。 つまり郵政には多面的にさまざまな問題があり、これらを解決するには完全民営化しかないのである。 ◇これぞまさに郵政ファミリーの悲願◇ そこまでわかっていながら依然として民営化に抵抗があるのは、民営化によって既得権益を失う人たちがたくさんいて、彼らが強い反対を示しているからだ。 典型的な例が郵政公社のファミリー企業219社に2000人の官僚が天下っていた事実であろう。この219社を全部洗い出し、郵政公社との関係を断ち切ろうとしたのが、日本郵政の西川善文社長である。それに対し、既得権益を奪われる人たちが牙を剥いて、西川社長や完全民営化に襲いかかっている。これが郵政民営化をめぐる現在の構図である。 もっとも既得権益者たちが民営化潰しに動いてくることは、制度設計の時点で予想できた。そこで法律作成にあたって、人事を国会同意人事にせず、総理大臣と総務大臣さえしっかりしていれば実現できる仕組みをつくった。ところがその総理大臣と総務大臣に、郵政民営化の足を引っ張る人が就任してしまったために民営化が停滞しているのだ。 足を引っ張るという点では、民主党も同じである。連日のように西川社長や高木祥吉副社長を国会に呼び出しており、これでは経営者としての仕事などまともにできるはずがない。しかも小さな問題をいちいち取り上げては、世界的なバンカーである西川社長を政治的に面罵している。これを見た民間出身者は、今後、誰も日本郵政の社長を引き受けないだろう。西川社長の退任後には、官僚出身者、ないしは官僚と妥協する民間人が入ってくる可能性が高い。 西川社長は、完全民営化を実現する役割を担うべく就任された「完全民営化の象徴」である。実際、西川社長は219社のファミリー企業を洗い出したほかに、評価できる業績を3つ残している。1つは、とても間に合わないとされていた顧客情報管理システムの構築を、2007年10月の民営・分社化に間に合わせたことである。また、民営化してまだ1年半で新規事業をほとんど手掛けていないにもかかわらず、無駄を省くことで利益を約2倍に伸ばした。さらに今年からは、郵便貯金のネットワークを全国銀行協会のネットワークとつなげ、ゆうちょから一般銀行への送金を可能にした。おかげでゆうちょのお金を銀行に移すとき、これまでのように郵便局で現金を下ろして銀行までもっていくような危険なことをせずに、振り込みで送金できるようになった。 今後は新規事業も手掛け、さらなる改革を進めるはずだったが、その前にかんぽの宿を売却し、不良債権を処理しようとしたところ、売却方法をめぐって思わぬ横やりが入ったのである。おかげで新規事業など、とても行なえる雰囲気ではなくなってしまった。 今後、既得権益者たちが求めてくるのは、おそらく郵政三事業の一体化である。民営化にあたって郵便事業株式会社(日本郵便)、郵便局株式会社(郵便局)、郵便貯金銀行(ゆうちょ銀行)、郵便保険会社(かんぽ生命)に分けた郵政事業を再び一体化させるというもので、これは間違いなく民営化を中途半端なものにする。 たとえばゆうちょ銀行の完全な民営化とは、民間の銀行と同じ銀行法を適用することである。ところが三事業を一体化すれば、銀行業務と宅配便業務を一緒に行なうことになる。これは銀行法で禁止された行為で、三事業を一体化する場合、新たな法律が必要になる。すなわち銀行法の適用を受けない銀行になり、これでは完全民営化にならない。所管も金融庁だけでなく、総務省との共管になる。総務省の権限が残るわけで、これぞまさに郵政ファミリーの悲願である。 三事業一体化のほか、別々の会社に分かれている郵便局と郵便事業を一緒にするという話も出ているが、これも危険である。彼らだけで、かつての郵政の91パーセントを占める。せっかく民営化で4分割したのに、9割以上を一緒にしてしまうことになるのである。これもまた郵政ファミリーの悲願で、民営化すれば官のガバナンスから離れて自由度が高まる一方、中途半端な民営化だから、責任は民間より軽い。そこに巨大な郵政ファミリーが生まれれば、まさにやりたい放題である。 民主党政権になって、中途半端な民営化になれば、残念ながら郵政民営化は「失敗に終わる」だろう。郵政民営化が失敗すれば、その負担は全部国民にかかってくる。一方で郵政ファミリーは、ぬくぬくと生きる。これはかつての国鉄と同じ構図である。国鉄時代は毎年赤字でも職員はぬくぬくとし、一方で運賃をどんどん値上げしていた。それが民営化以降、大幅な値上げはなくなったのだ。 【関連記事】 ・ マニフェストでは不十分 若田部昌澄 ・ 上昇気流に乗る日本経済 大前研一 ・ 祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印 鳩山由紀夫 ・ 薬事法改正―自由経済を壊す厚労相 三木谷浩史 ・ グリーン革命の楽観論 伊藤元重 ・ 自衛官が外地で「戦死」したら? 金子将史 |
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