覚せい剤中毒からどのようにして更正できたのか?――杉山裕太郎さん(後編)
2009年10月22日16時14分 / 提供:Business Media 誠
"2008年4月〜2009年3月まで放送されたラジオ番組『杉山裕太郎 魂のバラード』(岐阜FMわっち)"
杉山さんは、自治体や経営者団体などに招かれ、ライブ(講演+歌)を全国各地で展開しつつ、ラジオのDJや俳優としても活躍している。
前編(※)では、学級委員を務めるなど優等生として順風満帆な学校生活を送っていた彼が一転、親や教師との確執で非行に走り、暴走族総長となって、シンナー中毒、そして、覚せい剤中毒になっていったプロセスをご紹介した。この後編では、その後の杉山さんを襲った“生き地獄”のような生活、そこからの更正と活躍、そして今後の夢などをお伝えしたいと思う。
※http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0910/16/news004.html
●覚せい剤中毒の日々とは?
暴力団ともつながる岐阜県内の暴走族の総長に「就任」していた杉山さん。自己肯定感を全く持てない虚無感・疎外感などから、とうとう覚せい剤に手を出し、そこから離れられない中毒症状に陥っていた。
「覚せい剤というのは、自己肯定感の強い人がやっても、ただ体がダルくなるだけで、気持ちよくはないんです。(前編で述べたように)自分は社会の誰からも必要とはされていないという、自己否定的な『意識』を抱えていました。その一方、自分は本当はそんな人間じゃないという、魂の叫びのような『本能』が心の底で渦巻いている、という分裂した状態にある人間が覚せい剤をやることによって、体全体がその『本能』に満たされて気持ちよくなるんですよ。
その本能に支配されている間は、それまでの日常と異なり、抑圧がない非常にクリアな状態なので、自分の人生についていろいろと思考をめぐらせられるんです。でも、やがて体がだるくなってきて寝てしまいます。起きると、また覚せい剤を打つ。その繰り返しですね。
覚せい剤は、注射後5〜8秒くらいで効果が出てくるんです。それを2時間おきにやっていましたね。覚せい剤の効果で、やがて性的快感が強烈になって、しかも7時間とか8時間とかそれが持続する喜びを知ってしまうと、そこから逃れることは困難になります」
有毒な覚せい剤が体内に入り続けることによって、肉体的な変調はなかったのだろうか?
「感覚がマヒしてエスカレートしていくと、注射自体が楽しいという感覚になり、覚せい剤以外でも、病院で使うような点滴を入手して注射したりしました。しかし栄養ドリンクやコンタクトレンズの精製水を入れたときは、正直言って死にかけましたね。あれは気持ちよいとかではなく、まさに七転八倒の苦しみでした……。今考えるとバカなことをやっていたと思いますし、覚せい剤中毒の恐ろしさをしみじみ感じます」
警察に現行犯で逮捕される可能性も高かったのでは?
「覚せい剤を長年常用するようになると、どうしてもワキが甘くなります。注射器とか証拠になるようなものを自宅に置きっぱなしにするとかしてしまいがちなんですね。でも、私はそういう点は用心深くて、覚せい剤はもちろん、注射器もはかりも常に携帯するようにしていました。
それに、当時、付き合っていた7〜8人の女性の家を泊まり歩いて、1カ所に2日以上いないようにしていたんですよ。でも、ある女性に、私が別の女性といるところを目撃されてしまい、その彼女が腹を立てて、私のことを警察にチクッたんですよ。それで警察のガサ入れを受けるハメになりました」
●逃亡2年、幻覚・幻聴に苦しむ日々
21歳になった杉山さんは、ガサ入れ直前に脱出し、逃亡生活に入ってしまった。
「名古屋の風俗嬢のところに逃げました。警察から逃げ、ヤクザからも逃げていましたから、いつチクられるかと、いつもびくびくして、もう誰も信じられない心理状態へと追い込まれていきました。夜も寝ないで打ち続けたりするわけですから、心身ともにおかしくなって当然です。
そして幻覚や幻聴が出ました。視野の端に入ってくる電柱が警官に見えてギョッとするんです。それでそっちを凝視すると電柱だと分かるんです。それと同様に、ミラーが視野に入ると、そこに映ったクルマのヘッドライトがパトカーの赤色灯に見えてしまう。でも凝視すると車のライトだと分かる。日常の生活全般が、そんなことの連続になるんです。
いつもおびえているものだから、被害妄想が高じて誰も信じられなくなり、かくまってくれている女性をぶん殴ったりしてしまったこともありました」と語り、杉山さんは思わず嘆息した。
禁断症状で震えが出たりしたのだろうか?
「それについては、世間的に、少し誤解があるように私は思います。覚せい剤を体に入れるとき、それが毒であることを体は承知しているので、体が『もう止めてくれ!』と反応し、それで震えが出るんですよ」
それにしても、その間の生活費はどのように工面していたのだろうか? 日々の生活費に加えて、覚せい剤の購入費用も多額に上ったと思われるが……。
「実は、19歳のころからパチプロとして収入を得ていましたし、クルマのディーラーをやっていた時期もあったので、それらによる貯蓄がそこそこあったんですよ。それに加えて、同居している風俗嬢の収入がありましたから、それでなんとかやっていました」
●転機――親の愛情に気づいた日
1997年、すでに23歳。そして逃亡生活は2年になろうとしていた。そのころには、潜伏先の名古屋から大垣の実家にも時折、顔を出すようになっていたという。そんなある日のこと。
「両親が私に大学に行ったらどうかって言ってきたんです」
でも、大検コースには通わなかったのでは?
「いや、実は私、大検に合格していたんです。19歳のとき、乱闘事件で逮捕された折に、担当刑事や弁護士が良い人だったこともあるのですが、とにかく心証を良くしようと思って、大検の勉強をしていました。
それを真に受けて、両親は私を大学に行かせようとしたんでしょう。でも、私は覚せい剤中毒なんだ。相も変わらず、親は私のことなんて、何も分かっちゃいない。そんな親だから、自分はこんな姿になってしまったんだ。そういう長年にわたる何とも言いようのない鬱積(うっせき)した思いが腹の奥底から湧き上がってきて、遂に爆発したんですよ。今思えば、両親に対するSOSのようなものだったのかもしれません」
そして杉山さんは、両親の目の前で自ら覚せい剤を注射して見せたのである。
「お前らのせいで、オレはこうなったんや〜!」
茫然自失する両親……あまりの衝撃に思わず泣き崩れる母親……そして父親も……。しかしそのときの父親は、悲しい顔でうつむきながら、
「ユウタ、お前はお父さんらの大事な息子だ! 一緒にがんばって、止められるように何でも協力する。お父さんたちが悪かった! お前がそんなに苦しんでいるとは知らなかった」と叫びながら、杉山さんを力いっぱい抱きしめ、泣いてくれた。
杉山さんは、ハッとした。世間体にしか興味がなく、自分への愛情などないと思っていた両親が、今、自分の悲惨な現実を目の当たりにして、自分のために泣いてくれている。その瞬間、杉山さんは、遠い幼年時代に両親から愛されていたことを思い出した。
「実は、その後も、そして今も、昔と何ら変わらず自分は深く愛されていたんだ。両親はこんな自分でも受け止めてくれるんだ」
彼はハッキリそう自覚したのである。そう思うと同時に、覚せい剤でマヒし冷え切っていた心に、忘れていた温かいものが流れた。杉山さんもせきを切ったように泣き崩れ、両親とともに、30分以上、泣き続けた。ようやく親子が分かり合えた瞬間だった。
本気のコトバと抱擁を通じ親の愛情を自覚し得たことで、この日、この瞬間から、彼の人生は大きく変わっていく。
●更正への苦難の道のり
杉山さんは言う。「自分は両親にとってかけがえのない存在なんだということが分かって、自己肯定感が出てきました。自分の人生をもっと大切に生きないといけないって。でも、そうはいっても、自分はどうせワルなんだというという矛盾した意識がありました」
覚せい剤は、もう使うのを止めたのだろうか?
「自己肯定感が次第に増してくるに伴い、覚せい剤の使用量も、少しずつ、減っていきましたね。あの時、親の愛情をコトバにして言ってもらったことによって、心の寂しさが埋められ、薬物の入り込む隙間はなくなっていったんだと思います。次第に気持ちよく感じなくなっていきました」
こうして、覚せい剤から徐々に足を洗うことができた杉山さんだったが、更生への道は並大抵の苦しみではなかったようだ。
「昔の仲間たちとの付き合いも一切断って、地元を一時的に離れました。そして住み込みでパチンコ屋の店員をやったり、営業の仕事をしたりしていました。しかし、長年にわたる薬物摂取の影響もあって、自信も喪失していましたし、笑うことが出来ないくらい、精神的にも肉体的にもかなり不安定な状態が続いていました」
そんな杉山さんではあったが、ほんの少しずつかもしれないが、自分の将来に関しても、前向きの気持ちを持つようになっていったようだ。
●大学進学、そして首席卒業
「大学に進学して教師になりたいって思ったんですよ。『GTO』※に憧れましてね(笑)。そして2000年4月、岐阜県にある朝日大学の法学部に入学したんです」
※筆者注:GTOは、藤沢とおる原作の漫画で、1998年テレビドラマ化されて大ヒット。元・暴走族リーダーの主人公が教師になって、校内のイジメ、登校拒否、暴力などの問題に立ち向かい、次々に解決していく学園ドラマ。
しかし、大学もまた荒廃していた。そこで杉山さんは、大学関係者と協力して、GTOばりに(?)、大学の学級崩壊を是正していったという。
「とはいっても、とにかく劣等感は強烈でしたね。周囲の学生が7歳年下だということだけではない落差を感じていたんです。何をするにも自信が持てないんです。だから、大学にどんなファッションで行けばよいかも、全然分からないわけですよ。
それに、歌をまた歌いたいと思ってボイストレーニングを受けましたが、覚せい剤中毒の影響もあってか、思うように声が出ませんでした。ただ、そういう思いをしたことによって、他人の痛みは分かるようになりましたね」
昔の仲間たちや、暴力団関係者が、再度、接近してくることはなかったのだろうか?
「いや、それはなかったですね。覚せい剤中毒の杉山が大学に入ったって聞いて、彼らは『薬のせいで、とうとう脳がやられた』って思ったようですから(笑)」
苦しみながらも、彼は着実に更正への道を歩み続けた。そこには、あの夜以来、どんな時も応援してくれる両親の深い愛情による支えがあったという。大学2年で宅建に合格し、その後、教員免許も取得。卒業時の学業成績は首席だった。
大学生の多くが経験する就職活動は、杉山さんの場合、どうだったのだろうか?
「社員50人くらいの不動産会社に内定をいただきました。でも『岐阜で終わりたくない、やっぱり東京に出て子どものころからの夢だった歌の世界で勝負したい』という思いが募ってきたんですよ。それで入社式を間近に控えたころ、入社辞退を申し出たんです。
すると『35歳になっても芽が出なかったら改めて雇ってやる』って言ってくれたんです。嬉しかったですね」
「オレは親の一言で救われた。今度はオレが歌で人を救う」という不退転の決意だった。
●歌で人を救うという夢を実現するために上京
「ヒッチハイクとかして東京にたどり着き、池袋を歩いていたら、何となく岐阜に似ているなあという感じがあって、池袋に住むことにしました。仕事は、時給1100円で看板持ちの仕事をしましたが、なかなか時間が経たないのが辛くてサボッていたら、会社の人に見つかってクビになりました」と苦笑する。
その後、芸能人が出入りするような六本木の店でバーテンをしていた杉山さんだが、ボイストレーナーに恵まれて思い通りに声を出せるようになり、店で歌うようになったという。しかし、夜の生活は心身を消耗させる。彼は昼間の仕事に就くことを決意する。
「外資系金融機関のコールセンターに、派遣で行って、支払い督促の電話を中心とする業務を担当しました。時給が1300〜1500円と高い上に、敬語を使えるようになり、私にとってとても良い社会訓練になりました。それが現在の仕事にも大いに役立っています」
このコールセンターという職場、芸能系で世に出ようとする若手にとっては、格好の仕事先のようだ。
「そうなんですよ。シフトの自由が利きやすく、時給も高いということで、若手のタレントとかもたくさん来ていて、そこで、芸能関係の人脈ができていったんです」
コールセンターに週3〜4日通いながら、同時にボイストレーニングを受けたり、自分もボーカルの先生をするなどしていた杉山さんにやがて声がかかった。
「2006年の終わりころ、CDを出そうという話になったんです。私のオリジナル曲を自分で歌うということなんです。コールセンター人脈がブレーンになってくれてCD制作を始めまして、2007年6月、インディーズではありますが、シングルを出しました。そしてありがたいことに、昔関わっていた岐阜の会社や友人、ファンの人が一気に買ってくれたので、1000枚はすぐに完売しました」
CDの制作を機に、まず地元の岐阜でライブをやるようになった。それは地元紙にも取り上げられ、「“ヤンキー歌手”初の地元ライブ」「希望失った人に歌で勇気を」などの見出しが躍った。
やがて、そこから派生して、今度は岐阜県内の青少年健全育成団体からの要請で、青少年問題、親子の絆などのテーマで講演もするようになっていった。こういうテーマは話だけではキツイということで、講演+歌という組み合わせでやるようになったら、それが好評を博した。
「講演というか語りの部分では、親子関係を中心に、非行に走り覚せい剤におぼれていった自分のヒストリーを語ります。そして『本気で伝える』ことの大切さを訴えるんです。
そしたら、それが県の青少年問題を扱っている上層部の方々の目に留まって、県内各地で講演するようになりました」
こうした活動の結果、地元のラジオ局でパーソナリティを務めることになり、スポンサー企業も付いて、杉山さんの番組がスタートしたのである。2008年のことである。
「番組内容としては、リスナーの悩み相談、薬物問題、ゲストと人生談義などです」
●杉山さんの活動の成功要因は何か?
杉山さんのライブや講演が、多くの人々に受け入れられた要因には、メッセージを伝える手法が単なる講演ではなく、オリジナルソングのライブと一体化しているという独自性があろう。さらに彼ならではの、明快極まりない論旨にあると筆者は思う。
親や友人など親しい人々、さらには社会にとって自分がかけがえのない存在だと実感できてこそ、人は夢や希望を持てるし、それがあって初めて人生のどんな困難をも乗り越えていく勇気や忍耐力を持つことができる。
しかし、自分が誰からも愛されず、社会からも疎外されていると実感してしまうと、もはや、そこには夢も希望もなく、結果、人生の荒波を乗り越えていくだけの勇気や忍耐力をもつこともできなくなってしまう。そうなると、あとはただただ流され、現実を逃避し、あるいは破滅的な衝動に駆られるようになっていくのみであろう。
そんなことは自明であるはずなのに、現代の日本人、とりわけ親たちは、自分の子どもたちに対して、かけがえのない大切な存在だという愛情を持っているだろうか? 仮に持っていたとして、それを、子どもに分かるような形で、ちゃんと伝えているだろうか?
現実には伝えていないケースが多いし、それどころか、愛情すら希薄な場合が多いのではないだろうか? イジメ、自殺、覚せい剤、無差別殺人などの根っこは、基本的に、そこにあるんだ。だから、こうした問題を解決したいのなら、まずは、ここを押さえないといけないんだ。
杉山さんは、そう主張しているのである。まさに家庭教育や学校教育の原点を突いているのだ。
●ネット社会の現代だからこそ増すその説得力
インターネットの普及と発展は、現代人の仕事に対してもプライベートに対しても、大いなる利便性をもたらした。しかし「メラビアンの法則」が教える通り、言語データで相手に伝え得るメッセージは、全体の7%に過ぎない。
表情や、体の動き、声の調子、姿勢など、非言語的コミュニケーションによってこそ、自分の言語メッセージは、その伝えたい内容を的確に相手に伝達することが可能になる。
それにもかかわらず、そうした初歩的な真実はいつしか忘れ去られ、ネットさえ使えばコミュニケーションは完結できると信じて疑わない大人や子どもが、いまや大半を占める世の中になってしまっている。愛情が仮にあったとしても、それを的確に表すことのできない人々がちまたにあふれ、その結果として、自分は愛されていない、世の中に不必要な存在だという疎外感を強める人々が急速にその数を増やしている。
このままでは、第2、第3の「若き日の杉山さん」が、日本各地で再生産されていきかねない。1日も早く、その流れを食い止めないといけない。自分自身の悲惨な体験に基づいて、そうした問題提起を続ける杉山さんの姿に打たれない人は少ないのではないだろうか。
●「癒やし」の歌声で、訴え続ける日々
「キャラに似合わず、癒やし系の歌声だと言われているんですよ」と照れ臭そうに語る。そこで、筆者も、実際に杉山さんのアルバム「SOUL VOICE」に耳を傾けてみた。
なるほど、ゆったりとしたメロディーだ。1つ1つの曲に人生とか社会についての杉山さんならではの強いメッセージ性があり、しかも、メロディアスで心に残りやすい楽曲に仕上がっている。このアルバムは(1)ALIVE、(2)Believe in、(3)君が星になった日、(4)under world、(5)君のもとへ、(6)コトバ、(7)Out of tune、(8)Life is journey、(9)エコライフ、(10)Find a way 、(11)絆――というラインアップ。
筆者個人としては、「Life is journey」が曲、詞ともに今の自分の心にぴったり来て印象深かったけれども、一般的には「コトバ」が注目されるだろう。なぜなら、杉山さんが、親の一言で、その深い愛情に気づき、更正できたことを象徴する楽曲内容だからだ。その歌詞をご紹介しよう。
この国は幸せの出し惜しみをしている
もっと 思っている事 ストレートに出してみようよ
別に罪じゃないのに勘違いしないで
親子だって 恋人だって 友達だって
もっとコトバで理解(わか)りあえばいい
※気持ちいいくらい素直なコトバで幸せ与えよう
照れないで愛しているって言わないと
一番大切なものすら見えなくなって 失くしちゃうよ
たとえ行動で示していても、うまく伝わらない
人は与えれば与えるほど豊かになるのに
自ら与えることをしたがらないね
争ったり 冷え切っている関係だって
もっとコトバで理解(わか)りあえるはず
気持ちいいくらい素直なコトバで幸せ与えよう
それは人だけに与えられたキーワード
もっと心のメッセージ コトバに乗せて伝えよう
人はみな惹かれあうもの なのに傷つけてばかり
たった一言だけで変わる人生もある
※繰り返し
●東京ドームでのライブを夢見て
「実は、私の夢は、東京ドームでライブを開くことなんです。そのときは、いろんなテーマについて歌うでしょうが、それでも覚せい剤撲滅、青少年問題などのテーマは、自分の中核をなすものなので、全体の30〜50%を占めることになると思います。
どんな人であれ、自分は誰かに必要とされている、ということが実感されるような世の中にしていきたいですね。私が、自分のやりたい活動を展開した結果として、それが世の中の役に立つのなら、こんな嬉しいことはありません」。そう言った瞬間、杉山さんは、この日一番の笑顔を見せてくれた。
2009年2月、杉山さんはご結婚された。そして今、奥様がマネジャーとなって、二人三脚で全国を行脚する日々が続いている。長い長いトンネルを抜けて、ようやく、杉山さんの人生に曙光が差し込んできた今日この頃である。
普通に人生を送っていたら経験することのない壮絶な世界を見てきた彼だからこそできる仕事、それが、現在のライブ(講演+歌)活動なのだと改めて実感させられる。芸能界に限らず、薬物汚染が日本社会全体に広がり、同時に、イジメ、自殺、無差別殺人などがより深刻化していく今の世の中にあって、杉山さんの活動の意義がいかに大きいかは、改めて言うまでもない。
杉山さんの活動によって、日本社会に少しでも明るさが取り戻せたら、こんなに素晴らしいことはあるまい。1日も早くそれが実現することを願いたいものである。【嶋田淑之】
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