2008年07月19日

校長先生の授業(2) TOSSとくらべて4

9f3fcafe.jpg タイトルはいきがかり上、『校長先生』としたが、正確にはA元校長先生である。

 A元校長先生は、先輩だ。退職後、いくつかの大学に勤め、後進の育成にあたるとともに、現在我が地域において、いくつもの学校の研究会の講師を務められる。

 このA先生が、一昨日、B小学校において、6年生の社会科の授業を行った。



 さて、

 本記事では、A先生の授業を、TOSSの授業と対比させて考察するのであるが、その理由をまず述べさせていただきたい。

 この先輩の授業は、B小学校において、とび込みで行われた。だから、A先生とB小学校の子どもたちとは、ほとんど面識がない。

 そのためだろう。A先生の一昨日の授業は、TOSSの授業と、表面的にはよく似ているという印象をもった。

 そういう意味で、比較検討がしやすいと思ったからである。



 ところで、読者の皆さんのなかには、『TOSSってなあに。』とおっしゃる方も、いらっしゃるに違いない。

 そこで、リンクはできないが、『TOSSランド』なるホームページがあることは、ご紹介させていただこう。

 多くの教員が参加、全国展開する、大研究組織である。

 どのような研究かは、本記事を通し、A先生の授業と対比させながら論述するので、そのなかで明らかになっていくであろう。




 それでは、A先生の授業を振り返ってみる。




 A先生は、ゆっくりゆっくり、温かな目で子どもたちを見つめながら、教室へ入られた。
 子どもたちも、軽い好奇心と期待感を交えた表情だ。笑顔を見せる子、緊張感を示す子、さまざまだ。



 冒頭、簡単な自己紹介のあと、

「今日は久しぶりの授業なのでね。皆さんと会えるのをとても楽しみにしてきました。」


 

 いよいよ社会科の授業に入る。


 「最初に皆さんに質問します。信長、秀吉、家康と、3人の武将がいますね。そのなかで、皆さんは、誰が一番好きですか。黒板へ出てきて、好きだと思う武将のところへ、(自分の名前が書かれた)マグネットを置いてください。」

 子どもたち、一斉に立ち上がって、黒板に向かった。こういう活動には、なれている子どもたちだ。

 信長 14人   
 秀吉  7人   
 家康 13人

 「ああ。こうなりましたか。家康が多いなと思いました。意外でしたね。はい。分かりました。

 それではね。今度は、『皆さんがこの3人の武将の家来になるなら、誰の家来になりたいかを聞きたいと思います。『好き』と、『家来になる』とは、一緒かな。変わるかな。

 もし変えたいなら、マグネットを動かしてしまうと、『好き』が分からなくなってしまうので、チョークを使って矢印の線を引いてください。」

 そうすると、線を引きに前へ出た子は、15人。内訳は、

 信長から秀吉へ  6人
 秀吉から家康へ  3人
 信長から家康へ  5人
 家康から信長へ  1人

 つまり、

 信長  4人   
 秀吉 10人   
 家康 20人

となったわけだ。

 
 「ふふ。おもしろいね。ずいぶん変わったね。・・・。では、線を引いた子に、聞きたい。その理由を教えてください。」

「信長は、古いものにとらわれないから、鉄砲をうまく使ったり、楽市楽座をやったりしたでしょう。新しいものをどんどんとり入れたから、ひかれました。」
「信長は、好きだけれど、家来にはきびしいから、家来にはなりたくありません。」
「家康は、秀吉に、『宝物は何だ。』と聞かれたとき、『家来が宝』と答えたから、家来を大事にしてくれそうだと思いました。」
「信長にはこわいイメージがあるから、家来になるときついだろうと思いました。」
「信長はかっこいいから好きなんですけれど、でも、性格はきびしいから、家来になるのはいやだと思いました。」
「みんなと同じなんですけれど、信長は頭がよくて、戦いに強いでしょう。だから、好きなんですけれど、家来には攻撃的でこわいから、家来を大事にする家康にしました。」


 ここで、A先生は、

「みんなの思っていることはよく分かった。家康の家臣になりたいという人が圧倒的に多いのだね。そして、その理由もよく分かった。
 それではね。その家康が、ほんとうに、やりたかったのは何だったのか。それを今日はみんなに考えてもらおうと思う。

 まず、担任のC先生にお願いをして、みんなに書いてもらったものがあるね。『秀吉に、江戸に入れって言われたとき、家康や家臣はどう思ったか。』それを書いてもらったよね。

 それを読ませてもらいました。みんなよく考えている。いやあ、実におもしろかった。〜。」





 さあ。ここまで授業の様子を書かせてもらったところで、これまでの授業の流れについて考察をしたい。




 ここまでは、A先生の授業も、TOSSも、おそらく大体似た流れになるのではないか。

〇指導者から、一方的に発問がなされる。

〇指導者の発問の意図は、授業のねらいに迫るということはもちろんだが、それ以外に、『どのような発問をしたら、子どもが意欲的に学ぼうとするか。』なども考えているはずだ。

 その点でも、両者は共通するものをもっていると言っていいだろう。



 しかし、似てはいても、その心はまったく異なる。



 A先生の場合は、

〇もし学級担任だったならば、指導者が一方的に発問するということは、あまりない。学習問題は、子どもがうみ出すものと考えているからだ。

 仮に、指導者が提示するとしても、『子どもの関心事は何か。』『今、知りたがっていることは何か。』ということをしっかり吟味する。

 少なくとも、子どもの思いを無視して、指導者から、一方的に与えることはない。

〇これも、もし学級担任だったらということだが、本時の学習問題は、前時すでにうみ出されていて、子どもたちは、その問題への思いをもって授業に臨むことになる。

 しかし、一昨日の場合は、とび込みの授業だ。もちろん自分の学級ではない。子どもたちとは初対面といってもいいような状態。だから、そのようなことは不可能だ。そこで、一方的な発問になってしまうのは、やむをえないだろう。



 それに対して、TOSSの場合は、

 とび込みに限らず、学級担任の授業であっても、本授業と同じように流れる。学習問題は、常に、指導者側から与えられる。それもめまぐるしく与えられる。

 指導者は、先述のように、『どのような発問をしたら子どもが意欲的に学ぼうとするか。』は考慮するだろうが、子どもがどういう問題意識を持っているかは軽視される。 




 
 それでは、授業の流れに戻ろう。

 教室には、授業の最初から、家康の江戸入城時の江戸の古地図が掲示してあった。

 A先生は、先述の言葉に続けて話す。

「〜。ここでは、(江戸入城時の家康や家来の思いについて)3人の子の書いたものを皆さんに紹介します。」



 そして、紹介したのが・・・、


 一つ目のDさん。

 『駿府と交換だって。オレをだましたな。江戸は、海と山ばかりで、あと何にもないじゃないか。こんなさびしいところへ行けなんて。よし。秀吉をやっつけてやる。』


 二つ目のEさん。

 『駿府とくらべると、江戸はぜんぜん栄えていない。でも、いいや。土地がいっぱいあるから。秀吉さん、ありがとう。栄えるようになってみせます。』


 三つ目のFさん。

 『ここ江戸には、海がある。だから、京都へ行くにも便利だし、貿易をするのも簡単。とてもいいところだ。秀吉さんは、そういうことが分かっていないのかな。ラッキー。』

 

 そして、その3つの思いを受けて、みんなに投げかける。

「他の子は、自分の書いたのをもう一度読み返して、自分のはどれに一番近いか、一番近いと思うものに、マグネットを置いてください。」


 その結果は、

 やっつけてやる。  11人
 栄えさせてみせる。 17人
 ラッキー。      6人

となった。

 
 A先生が思わず笑ってしまったものがある。

「このGさんの、おもしろいね。怒りのイラストが、いっぱいついている。」

 子どもたちも楽しそうに笑う。教室はリラックスムードに包まれた。


「ようし。それではまず、『やっつけてやる。』という意見を中心に考えてみよう。ほんとうにそうなったかな。証拠はあるかな。・・・。見つかった人は、わたしに教えに来て。」


 A先生は、ややお体が不自由だ。それでも、これまでは立って授業を進められたが、ここでは、いすに座られた。そして、A先生の前に、資料集や教科書を手にした子どもたちが、一列に並んだ。

 A先生は、子どもたち一人ひとりの話を聞きながら、
『あっ。そうか。分かった。それが証拠ね。』
『うん。うん。なるほど。』
『ああ。おもしろいね。』
などと、返事をしたり相づちをうたれたりした。

 ときには、『あっ。君の意見、あとで発表してね。』とおっしゃることもあった。




 それでは、またまた、すみません。授業の流れをストップさせ、考察に移ります。




 ここへきて、A先生の授業と、TOSSは、明らかな違いを見せるようになる。

 TOSSは、この段階でも、指導者主導。

 指導者が、自分の決めた発問を繰り返す。子どもはそれに答えるだけ。受身だ。

 子どもがどんなに楽しそうに授業に参加していたとしても、それは、そのはんちゅうでの話。そして、しょっちゅう、前後の脈絡なく子どもに発問するから、子どもは追いまくられる感じになることもある。



 それにくらべると、A先生の授業は、明らかに、子どもの思い、こだわり、考えを重視し、それと関連づけて発問をしている。ここでは、『やっつけてやる。』がそれにあたる。

 とび込みだから、子どもの気心も、思考スタイルも、子ども同士の人間関係も分からない。だから、完全に子ども主体とはいかないが、できるだけそのセンに近づけようとする姿勢がうかがわれる。

 子どもも、自分たちの思い、こだわり、考えを、A先生がすごく大事にしてくれることが分かるから、表情がとてもよくなる。一列に並びながらも、『A先生に早く話したい。』そういう気持ちがわたしにも伝わってくる。

 
 
 際立つ違いは、A先生の、どの子の思い、考えも大切にする姿勢は、子どもの多面的な見方を保障しているということである。

 先述の、D、E、Fさんの考えを振り返ってみよう。


 おもしろいなあと思う。よく考えて、家康や家臣の思いを想像している。そして、Dさんと、E、Fさんとは、まったく逆な考えになるのではないか。

 それでも、すべて肯定的に受け止めている。第一考えてみれば、どれもみな、正解だよね。


 しかし、TOSSの場合は、指導者が思う考えだけが正解とされる。それと外れた考えは、たとえ参観者が、『それも正解ではないか。』と思ったとしても、無視される。





 さあ、三度、授業の流れに戻る。

 これは比較的簡単だ。数人の発言で終わる。秀吉の死後ではあるが、

   関が原の戦い   1600年
   豊臣氏滅亡    1615年

 A先生が、子どもの発言を受けて、そのように板書。



 そして、続けて、A先生は、本時、一番声を張り上げておっしゃった。

「さあ。いよいよ、みんなにほんとうに考えてもらいたい問題だ。それは、

『家康とその子孫は、ほんとうに江戸を栄えさせることができたか。』
『江戸に移ったことは、ほんとうにラッキーだったか。』

ということだね。・・・。これは、むずかしいよ。

 そこでね。今から、1689年。もう家康は死んだあとだけれど、江戸の町はどうなったか。一枚の古地図を出しますから、見てください。」


 本時の中心資料を提示した。

 この地図、B小学校の教員により、武家屋敷、町人の居住地区、寺社の地域というように色分けしてあった。


 子どもたちが、江戸入城時も含め、二枚の古地図を見て、次々に発言する。

「古地図をみると、町はごちゃごちゃしていて、迷子になりそう。」
「資料集の絵なのだけれど、家がいっぱい建っていて、人で町はにぎわっている。」
「家康が江戸へ入ったころは、山ばかりで家なんかほとんどないけれど、1689年は武家屋敷がいっぱい集まっていてすごい。」
「武士を集めたのだよ。」(この子は、参勤交代を意識しているのだろう。)
「人がたくさんいて、風景がまったく変わった。」
「海とかはちゃんと残している。だから、貿易はしやすいし、京都へ船で行くにも便利だ。」

 ここで、A先生、すかさず、
「Fさんたちの、『ラッキー』は、1689年の地図からも言えるということだね。」
と念押し。

「でも、埋め立ててもいるよ。江戸城から海までの距離が、こっちとこっちではぜんぜん違う。」
と、Hさん。

 すごい。どちらも、絵図のようなものなのに、よく気づいたものだ。

「武士の家が多い。家康は、すごい力を持っていることが分かる。」


 これらの発言を受けて、A先生は資料の補足をした。


 江戸の町は、100万都市。世界で一番人口の多い町。ここを訪れた外国人が、『江戸の町は、ちりひとつ落ちていない美しい都市だ。だから、ここにいつまでもいたい。くにに帰りたくない。』と言っている。



 最後、A先生が、言う。

「もう、家康はなくなっている。でも、もし家康が生き返って、この江戸の町を見たら、どう思ったか。それをノートに書いてください。そのノートは担任の先生に見てもらってくださいね。(これが次時の学習問題になるということ。)」


 そうして授業は終わった。

 子どもたちから、お礼の言葉があった。多くの子に、上気したような感じがあり、とてもなごやかな雰囲気だった。満足感が伝わってきた。そして、ゆっくりゆっくり歩くA先生を見送った。




 ここで、最後の考察を加えさせてほしい。



 A先生は、とび込みの授業といったような、子どもの実態をあまり知らないまま授業に臨むことは、かつてはなかったに違いない。

 でも、もう、退職されて6年。

 もちろん自分の学級などあるわけはない。ここは、B小学校の教員方にこわれて、『それなら、〜。』と受けたに違いない。

 そうした制約の中でも、子どもの思いを大切にし、子どもの思いを軸に授業を進められる。その偉大さに、あらためて、敬服の思いを濃くした。




 一方、TOSSのこと。

 今、本屋さんの教育書コーナーへ行けば、この種の本はたくさんおいてある。

 インターネットでも、TOSSランドと称して、実に多彩なホームページが作られている。授業の記録もたくさんある。



 TOSSも、子どもの思いを大事にと言っている。

 しかし、『こういう発問をすれば、この単元は大丈夫。』といったように、安直な姿勢が目につくことも確かだ。

 本授業にあるような、子どものナマの言葉、『やっつけてやる。』『栄えるようになってみせます。』『ラッキー』などという言葉が、学習の中核に位置づけられるなどということは、まずないと思われる。

 教師主導。子どもはやっぱり、お客さんなのだ。



 もうだいぶ前からだが、若い先生方のあいだに、このTOSSがもてはやされる風潮があると言う。確かに、子ども一人ひとりの思い、こだわりを軽視しての発問などは、楽でいいかもしれない。

 しかし、若いからこそ、血みどろになって、自分のクラスの?さん、Jさんの思いに心を致し、ほんとうに子どもが生きる、子ども主体の指導法の追求に向け、がんばってほしい。

 衷心よりそう思う。


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 もとより、A先生の授業は、B小学校の教員方の研究、研修のために行われたのであり、TOSSを意識して行われたわけではありません。

 しかし、冒頭に述べたように、わたしが、『TOSSの授業と似ているな。』と思ってしまったものですから、TOSSの問題点をクローズアップするにはとてもいい。ありがたい。そう思った・・・といったところです。

 その点、意に沿わない記事になってしまったことについては、A先生とB小学校の皆さんにお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

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1. 子ども、「校長先生の授業」、TOSS - 2  [ PSJ渋谷研究所X ]   2008年07月19日 10:17
拝読して考えたアレコレなど、なんだか的外れなような気もしつつ。

この記事へのコメント

1. Posted by 亀@渋研X   2008年07月19日 10:31
こんにちは、ごぶさたしています。
「校長先生の授業」、さすがプロのわざといった趣きがありますね。
記事を拝読して、最近の我が家のことに引きつけつつ、いろいろなことを考えてしまいました。長くなってしまったので2つの記事にして、直接関係のある方だけトラックバックを送らせていただきました。
関係のあるところは、ほとんど「校長先生の授業」に感心したといった話で、プロから見れば「そんな当たり前のことに感心されても」といったようなことかもしれないのですが、そのときは笑って素通りしてやってください(^^;;
2. Posted by なおみ   2008年07月19日 13:17
先日のコメントのお返事ありがとうございますリンクをたどって、いろいろ読ませていただき、二極化のお話、脳の退化の話、どちらも深くうなずきました。

今回の記事のTOSSについてのお話ですが、これもとても考えることがあって、私のもうひとつのブログ(幼児教育)の記事にリンクさせていただきました。報告が後になってすいません。
上のURLとリンクしています。
ただ私はTOSSについてくわしく知らないため、間違った記述をしているかもしれません。もし、誤りがありましたら、ご指摘ください。
これからもよろしくお願いします。
3. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:06
TOSSということでつい条件反射してしまいました。
算数教育に関わっておりますが、まわりの熱心な先生達が、TOSSの雑誌などで攻撃されて、いろいろと問題も起きております。
自分でブログをもっておりませんので、TOSSウォッチングというところでも書かせていただいておりますが、そこでは内容論中心です。
先生のご指摘を受けて、教育論として少々書かせてください。
私は、TOSSの授業の問題は、そのまま社会一般での授業観、教育観、子ども観の問題でもあると思っております。
4. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:15
社会一般でも、子どもは大人の不完全な形であり、大人が知識を持っていて、子どもは持っていないので与えてやろう、そのような子ども観、教育観が根強いと思っています。そしてTOSSは、その典型なんだろう考えています。
そのため、教師からの発問・指示が中心です。TOSSランドの総合的な学習の事例も多くが座学であり、講義です。たまに活動があっても教師の指示で動くようになっています。
ただ、すぐに効果を出すとするとTOSSのやり方も効果的に見えるでしょう。内容や手順を覚えれば、覚えている内は、成果を出せます。
5. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:19
連投ですみません。
理科の学力調査で、同じ問題を小学生と中学生に出したところ、小学生の方がよい結果が出ました。左巻先生も指摘されていましたが、決して小学生の学力が高いわけではなく、小学生は習ったばかりだから覚えていただけの話です。つまり、ほとんどが覚えるだけの学習をしていたので、中学では残っていなかったのです。
おそらく、TOSSの授業では、このような結果になるでしょう。そして、社会一般でも目の前の学力に一喜一憂しています。
6. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:24
またまたすみません。
30年ほど前のアメリカの研究者の調査では、1週間後に残っている割合は、聞いたこと10%、見たこと15%…話し合ったとき40%、教えたとき90%という結果が出たそうです(吉田新一郎「効果10倍の教える技術」p27〜)。
吉田さんの指摘では、教師が教えれば教えるほど、子どもに残らない、子どもが話せば話すほど残る、ということだそうです。私もそう思います。
まさに、A先生の授業は、子どもが参加できて、後に残る授業だと思います(私が評するのは恐縮ですが)。
7. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:30
まだすみません。
私は、ブログは学びの場として非常に価値のあるものだと考えております(自分ではできませんが)。
佐藤学さんが言われている学びの共同体が、ブログにはあるのだろうと思います。
それでは、書かれていることを読むだけより、こうして自分で発言する、そして意見を交流する、そういう方が、より学ぶことができます。大人も学ぶときには、一方的に情報が伝えられるより、そういう方が、より学ぶことができます。
TOSSでも、本を読むだけでなく模擬授業をすることが強く勧められています。
8. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:38
大人が学ぶ学び方があるのになぜか子どもには教えこむ、企業の面接などでも知識量より思考力・判断力・意欲が重視されるのに子どもには知識を重視してしまう、TOSSや社会一般の教育観は、そのようになっているんだろうと思っております。
少しでも、そういうところを変えていきたいと日頃から思っておりますので、少々長くなりましたが、書かせていただきました。
ご意見いただければ嬉しく思います。
9. Posted by なおみ   2008年07月19日 19:03
すいません。URLをきちんと記事にリンクしていませんでした。書き直しました。
10. Posted by toshi   2008年07月20日 05:35
亀@渋研Xさん
 お久しぶりです。今日の記事を入稿したとき、なんとなく、『ああ。今日は、亀@渋研Xさんからコメントをいただけるのではないかな。』と思ったのです。そうしたら、すぐ入れてくださったので、ほんとうにうれしくなりました。
 プロのわざとおっしゃっていただいて、ほんとうにありがとうございます。わたしの修行時代を通し、わたしの師ともいうべき方でした。多くのことを学ばせていただいたのです。
 TBもいただいたので、くわしくは、貴ブログのコメント欄に入れさせていただきたく存じます。よろしくお願いします。
 
11. Posted by toshi   2008年07月20日 05:46
なおみさん
 貴ブログの記事にまで引用していただき、ありがとうございました。
 TOSSについての考察は、わたしもそれに所属しているわけではないので、断定はできないのですが、誤りということはないと思いますよ。
 貴ブログに書かれている
《これほど幼児教育が流行していても、いまだに幼児教育産業の方法に従った結果、世の中で成功した…という人物はあらわれないのだそうです。》
は、『なるほど。奥の深い言葉だ。』と思いました。真に子どもを育む道を模索していきたいものですね。
 これ以上は、貴ブログのコメント欄に書かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
12. Posted by toshi   2008年07月20日 06:00
ドラゴンさん
 こんなにも長文のコメントをいただき、ありがとうございました。
《私は、TOSSの授業の問題は、そのまま社会一般での授業観、教育観、子ども観の問題でもあると思っております。》
 そうでしょうね。本コメント欄2番のなおみさんも、その方のブログ『虹色教室通信』で、『この問題は、幼児教育の問題でもある。』とおっしゃっています。
《子どもは大人の不完全な形であり、大人が知識を持っていて、子どもは持っていないので与えてやろう、そのような子ども観、教育観が根強いと思っています。そしてTOSSは、その典型なんだろう考えています。》
 なるほど。まさに、教育観、子ども観の問題なのですね。総合的な学習の時間については、よく知りませんでした。ちょっとTOSSの実践をのぞいてみようかなと思いました。ありがとうございます。

 
13. Posted by toshi   2008年07月20日 06:08
《社会一般でも目の前の学力に一喜一憂しています。》
 そうですね。今は、そういう風潮には強いものがありますね。その風潮に、TOSSがぴったり合うのではないかというご指摘ですね。
 これについては、『そうだ。』と断定するものを持ち合わせておりませんので、今後の検討課題とさせていただこうと思いました。
《A先生の授業は、子どもが参加できて、後に残る授業だと思います。》
 ありがとうございます。A先生も喜んでくださると思いました。
 ただ、TOSSも、子どもはけっこう話しているようです。ですから、この点も今後の研究課題とさせていただこうと思いました。
 現段階で、わたしとして言えることは、子ども主体の学習か、子どもを受身においやる学習かということなのです。
14. Posted by toshi   2008年07月20日 06:17
《佐藤学さんが言われている学びの共同体が、ブログにはあるのだろうと思います。》
 そうですね。このコメントは、誰からも強制されることなし。まさに、主体的に打ち込んでくださっているわけです。その主体性を育むことが、子どもの学習にも大切ということ。まったく同感です。
 わたしも、TOSSは、『学び方』を大事にしていないとは言いませんが、それすらも、学習内容として押さえる域を出ず、まさに、活動としての学び方育成はないがしろにされている(教師主導ということ。)のだと思いました。
 たとえば、『討論する。』という活動があったと思いますが、これもわたしが見た限りでは、本記事の、『やっつけてやる。』『ラッキー』などというように、ほんとうに子どもが自分自身の言葉で語っているようには思えませんでした。
15. Posted by なおみ   2008年07月20日 22:06
何度もすいません。ある本を読んでショックで呆然となり、そのあとがきにTOSSとの共通点について、褒めたたえる文が書いてあったため、どうしてもコメントせずにはいられませんでした。読んだ本と言うのは、愛媛県にある幼稚園を小学校教師が視察して、その授業内容(幼児教育に熱心な幼稚園です)を本にしたものです。
16. Posted by なおみ   2008年07月20日 22:09
大量のフラッシュカード(漢字などのカードを、瞬間的に大量に見せることです)それも2歳児に、12分間に281枚も!!
見せたり、楽器練習、地図パズルの競争、英語、計算などを小学生向けのTOSSと同じ授業方式でリズムとテンポを大事にして、トイレ休憩すらろくにない環境で続けているのです。自由遊びもありません。
これは幼児教育ではなく、虐待でしかありません。
発達心理学者たちが、研究して幼児に必要としていることを全て排除して、大人のロボットにしたてていいるのです。
17. Posted by なおみ   2008年07月20日 22:17
向山洋一先生のお話を聞いて、この幼稚園に興味を持ったと話す著者の小学校教師たちは、はきはきした良い子が育っている。すばらしい幼稚園と、褒め称えています。これからも学ばせてもらいたい…と言葉を結んでいるのです。
小学生ならまだしも、自由遊びは幼児の権利であって、創造性と自律の心を育てます。以前アメリカでもこうした教育が流行した時があり、その子たちは学習につまずきだしただけでなく、攻撃的な性質がめだって社会問題となっていたはずなのです。それを、小学校の先生までが、何も考えずTOSSと似ているといって褒めるとはどいうことなのでしょうか?
ショックで言葉もありません。
18. Posted by toshi   2008年07月21日 01:54
なおみさん
 我が地域に限らずだと思いますが、幼稚園、保育園、小学校の教員が集まり、授業参観、保育参観したり、研究協議をしたりすることがあります。
 一度、なおみさんがおっしゃるような幼稚園の授業を参観したことがありました。
 幼稚園の経営方針はほんとうにさまざまで、驚かされることもあるのですが、このときも皆さん、同じ思いをもちました。
 我が地域では、批判の声しかありませんでした。
 その幼稚園の先生も、これでいいのかと悩んでいらっしゃいましたね。どんなに悩んでも、それが園の方針だと、どうしようもないようでした。
 TOSSの授業も見たことがあるのですが、わたしは、共通点があるなどとまでは思っていなかったので、なおみさんからいただいたコメントは、おおいに参考になりました。ありがとうございました。 今後とも、その問題点を指摘していきたいと思います。
19. Posted by なおみ   2008年07月21日 20:17
何度も何度もすいません。TOSSについて気になって、図書館で10冊ほど関連本を借りてきました。いろいろ読み比べて見たのですが、読めば読むほど疑問と不安でいっぱいになりました。向山洋一先生はわが子が幼いころ学習ゲームを作るのに参考にさせてもらったりして、好印象を持っていた方でした。が、向山先生の「こんな先生に教えられたらダメになる!」という本を読むと、自分の方法以外で教育している先生をあまりにも乱暴な言葉でこき下ろすやり方にびっくりしてしまいました。
20. Posted by なおみ   2008年07月21日 20:23
他のTOSSの本でも若い先生がプロ教師(向山)以外は全てクズといった見方書き方をしていて、これでは先輩の教師から指導を受けるという姿勢が持てるのか疑問に感じました。
成果ばかり追っていて、人と人とのコミュニケーションや、さまざまな個性との出会いや理解、それぞれを尊重する姿勢を子どものなかにはぐくめるのか…道徳までもマニュアル化したいのか…
今、教育について考えている幼児のお母さん達と深く考えていかなければならない問題と感じています。
上のURLは、少しだけその話題を取り上げた記事にリンクしています。
21. Posted by toshi   2008年07月22日 06:32
なおみさん
 わたしは、TOSSの授業を数回見ているのですが、問題を感じた場合、それはTOSSの問題なのか、それとも、授業者の問題なのか、それは、区別して指摘しなければいけないと思っていました。
 でも、どうも、TOSSの側にはそういう姿勢はとぼしいようですね。
 わたしはあまりTOSSの本は読んでいませんので、なおみさんご指摘の件は、知りませんでした。コメント、ありがとうございました。
 なお、なおみさんはじめ、TBやコメントをいただきました。それらを引用させていただきながら、新たな記事を作成しました。よろしくお願いします。
22. Posted by tomo   2008年07月31日 08:55
2
tossを知らずに、よくいろいろといえるなーと。
子ども達がいきいき学習できる、もっともよい方法を知っている。
それを、新任教師でもできる。
学級崩壊させたり、授業が授業でないようなものをするよりよっぽどましだとおもうけど。
23. Posted by なおみ   2008年07月31日 09:13
tomoさんへ
tossの長所は、新任教師であっても、学級崩壊や無意味な授業でないものにできる、授業マニュアルとして洗練された良さを確かに持っていると思います。しかし、「子ども達がいきいき学習できる、もっともよい方法を知っている」という表現や認識は危険なように思えます。長期にわたる経験ではない ある意味、何かを信じることや短期間の数値上の結果から結論づけるもので「もっともよい」という言葉は使えないからです。
tossの良さを高めるならば、さまざまな意見交換のなかで、長所と短所を確認し、より広い視野のもとで修正していく必要があるはずですよね。
新任教師向けの応急処置案としての教育にしてはレベルが高くもったいない気がします。
24. Posted by KG   2008年08月02日 09:27
22:tomoさん

私はこのブログではじめてTOSSというものを知りました。
しかしtomoさんのTOSS批判に対する子供じみた反論(にもなってないけど)を読む限り、TOSSの方法論以前にTOSSに「はまる人」の議論レベルは大したことないんだなぁというのが実感です。

TOSS批判のどこに誤りがあり(tomoさんから見て)、TOSSとはどういうものなのかを具体的に説明することもなく、「tossを知らずに、よくいろいろといえるなーと。」というのは子供と一緒ですね。
問題解決型学習は、そのような大人を生み出さないためにあります。
25. Posted by なおみ   2008年08月02日 13:21
ドラゴンさんへ
TOSSウォッチングの記事を読ませていただきました。TOSSの授業のテンポや展開が、マインドコントロールをして集団を惹き付ける健康食品の販売法のリズムに似ていると感じていましたが、TOSSウォッチングを読むうちにただ似ているだけではないものを感じました。授業の中に新興宗教や怪しい商品の販売に使われてきたのと同じ手法を使えば、一見、集団も教師も高揚し団結した良い状態が作れるとは思います。しかし、それが子どもにも教師にも思考をストップさせた状態を作っているのではないかと感じました。「波動」等を、教えるという形で授業に取り入れているのも、教師側の思考停止の結果でしょうか?
26. Posted by toshi   2008年08月03日 12:07
なおみさん、KGさん
 どうもありがとうございます。わたしもまったく同感です。わたしも含め、コメントをくださる皆さんは、客観的で、科学的な考察になるよう配慮していますよね。
 学級崩壊よりはましだろうと言われれば、それはもう、認めるにやぶさかではありません。
27. Posted by たか   2009年08月02日 00:00
3 先行研究のない教育研究に対し、教育研究の発展のために「発問の定石」や「追試」という文化が生れました。そして法則化につながっていきました。

現在でも先行研究のない教育研究が大半ですよね。これはまずいと思います。

授業の技量の低い授業者が「追試」をしてもまずい授業になることが多いでしょう。でも「追試」を通して、授業者は優れた実践の思想や授業の組み立てを学んでいくのだと思います。
そして力量を上げながら先行実践のうえに、自分のオリジナルを加えて実践を作れるようになるのではないでしょうか。
28. Posted by toshi   2009年08月02日 14:28
たかさん
 要は、授業をどうとらえるかの問題かと思います。
 授業は、担任である『わたし』と、『わたしの学級の子どもたち』との真剣勝負。
 なまの人間同士の真剣勝負ということは、A組とB組とでは同じ授業の流れにはならない。同じ発問になるとは限らないということだと思います。
 一人ひとりの子どものこだわりや思いを、どう担任が受け止め、どう全体に返していくかなどを学び合うのが研究だと思います。
 
29. Posted by たか   2009年08月03日 00:34
 授業は、担任である『わたし』と、『わたしの学級の子どもたち』との真剣勝負。
>>
同感です。

なまの人間同士の真剣勝負ということは、A組とB組とでは同じ授業の流れにはならない。同じ発問になるとは限らないということだと思います。
>>
ここに子どもの実態をふまえた上での「追試」と「修正」での研究を発展させる余地があるのだと思います。

toshi さんは、優れた「発問」や子どもが動く「指示」から学び、授業を深めていく方法をどう思いますか?

私は、優れた実践をまねすることは、よい授業を行えるようになるために必要なことだと思います。
30. Posted by toshi   2009年08月03日 06:47
たかさん
 すぐれた『発問』とは何か。
 わたしは、本記事にあるように、子どものこだわり、疑問などを、指導者がどう切り返したり、子ども全体に返したりしながら、学習を深めていくことができるか。
 そういうことだと思います。

『家康とその子孫は、ほんとうに江戸を栄えさせることができたか。』
『江戸に移ったことは、ほんとうにラッキーだったか。』

 指導者によるこの問いかけは、このクラスだから、このクラスの子どもたちのこだわりだったから、出た発問であって、隣のクラスには使えませんね。

 では、授業研究会で何を学ぶか。

『ああ。子どものこだわりや疑問を大切にしなければいけないのだな。』『子どものこだわりや疑問から、何をおさえることができるか、その判断力を身につけなければいけないな。』

そういうことを学んでいくのです。
31. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:03
たかさん

>現在でも先行研究のない教育研究が大半ですよね。これはまずいと思います。

いえ、ぜひいろいろな研究会、学会に足を運んでみてください。しっかりと先行研究をふまえた報告がたくさんあります。
例えば、これ
http://www.center.fks.ed.jp/11kikaku/instance/15/usuba.pdf

こういうのが、研究です。
たかさんは、TOSSの方ではないかもしれませんが、先行研究をふまえるというのは、こういうことです。他人がやった実践をなぞるということではありません。
この先生はメタ認知の先行研究として、市川先生をとりあげていますが、先日見た授業の報告では、重松敬一先生のメタ認知研究をもとにされていました。こうしてそれぞれの研究者の研究をもとに実践して、どちらが適切かを検討するのが「追試」です。
32. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:17
とはいえ、普段からこんなことをやっていては、たいへんなので、そこは指導に入っている大学の先生などの研究者や実践者の方は、それをかみ砕いて研究協議会などで伝えるようにしています。ただ、そのバックボーンには、こうした研究があることをご理解ください。
私も、例えば、上の5のコメントで左巻先生、6のコメントで吉田先生の研究をもとに発言しております。
むしろ、先行研究をふまえていないのは、TOSSの方々ではないでしょうか。
TOSSは、実践報告を論文と呼んでおりますが、あれは、他では論文と認められません。先のリンクのレベルでも報告です。論文にも達しておりません。研究とも言えないレベルです。
TOSSの報告で、TOSS以外の先行研究をふまえたもので、論文と言えるレベルのものがありましたら、ぜひご紹介ください。

33. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:31
もう一言。

たかさんがTOSSかは、分かりませんが、TOSS実践報告から学ぼうというのであれば、次の点に留意ください。
まず、内容に間違いが多い。これはなんとかしてほしいものです。
例えばこれです。
http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-09-16

もう一つ重大なのが、TOSSの実践報告は発問と説明で構成されていますが、授業(単元)の目標と評価が明記されていません。目標と指導と評価は一体です。授業の感想はありますが、どこで何をどう評価しているのか、発言なのか、ノートなのか、まったく分かりません。
目標が示されないということは、評価の基準もないということです。これで、どう評価するのでしょうか。
さらに、指導計画への位置づけも最低必要だと思います。酷いのでは、5年生の授業で平気で歴史に触れているものもあります。今まで、どんな学習をしてきたのか、それを無視して行われる授業は、どんなにすばらしい内容でも、子どもには届きません。
特に、若い先生には、指導計画、目標、指導、評価をしっかりと意識してもらいたいので、TOSSの先生にも、この点の改善を望みたいです。
34. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:52
すみません。
32のコメントの下から3行目「研究とも言えないレベルです」は勇み足です。
充分に研究のレベルです。
報告の作法としては、あの程度でまとめてもらいたいですね。
・テーマ、仮説
・研究の背景
・先行研究の説明
・実践の報告
・分析
・課題
・参考文献
35. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 16:07
たびたびすみません。
TOSSは授業技量検定なんてやっていますが、
次のリンクは、横浜国立大学と横浜市が作成した教育実習生の評価基準です。

http://www.edhs.ynu.ac.jp/gp/model.html

TOSSの考えている授業技量というのは、よく分かりませんが、普通に考えて、例えば「5級 何冊かの本を出せる技能」というのと比べると、この横浜スタンダードは、はるかに研究されたものであり、実践的です。

TOSSの外の世界では、教育研究、授業研究がはるかに先にいっているんですよ。
36. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 17:01
さらにすみません。
発問ですが、
例えば、TOSSの吉田先生の授業です。
http://homepage2.nifty.com/TAKASI-YOSIDA/6re-sengoku.htm
実は、10年以上前に吉田先生にはお会いしたことがあります。
ここでの発問。天下統一の授業です。
「三人はこの時代をどのようにして生きようとしましたか。ひとことで言いなさい。」
「この時代はどんな時代ですかひとことで言いなさい。」 「この時代はどんな時代ですか」
発問というより、学習問題かもしれませんが、私が日頃批判しているタイプです。
この2つ発問は、大人であっても答えるのに戸惑うでしょう。「どんな時代」と聞かれもいろいろ答えようがあります。
A先生の発問は、どれも具体的です。「好き」「家来になるには」と答えやすいものです。最後の発問はちょっと難しいかもしれませんが、ちゃんと絵地図を用意されています。ここがさすがですね。
吉田先生は「どんな時代」という発問に対して、「天下の統一をめざした時代」と先生がまとめています。これはいけません。そうまとめたいのであれば、「戦国大名がめざしていたのは」のように子どもから出るようにしなければなりません。
難しいようでしたら、資料も用意するとか。
大人が聞かれても困るような発問は良い発問とは言えませんね。
37. Posted by たか   2009年08月09日 23:45
ドラゴンさんへ

学会レベルの学術研究が先行研究をふまえているというのはよくわかりますし、当然だと思っています。
私の書き方に誤解があったようなので・・・

しかし、学校での主題研究、自治体(教育委員会)での教育論文は、本当に先行研究がないものが多いですよね。数も圧倒的に多い。
しかも、これを毎年やっている。
ここがまずいのではないかと思っています。

38. Posted by ドラゴン   2009年08月10日 19:11
たかさん
ちょっとTOSS関係なので、過剰に反応したようです。すみません。よくTOSSの方々は、自分たちは研究しているが、他の教師はしていないように言っていますので。
学校の研究では、確かにそういうところもありますが、大学の先生が指導に入っているところでは、そのあたりは踏まえていると思いますよ。
表現としては、表れていなくても、研究の背景には、先人の積み重ねが見えることもよくあります。私が見た範囲ですが。
私も、例えば36のコメントで発問に触れましたが、これも私が単独で考えたことではなく、たくさんの先人の実践をふまえてのことです。
ただ、研究の作法としては、先行研究を示すことは、とても大事です。それはたかさんの言われる通りだと思います。
39. Posted by A/M   2009年08月23日 00:16
今から十数年前にTOSSのスタッフ?が向山筆頭に
3クラス中3名担任をもってました。
今だからいえます。
私のいたクラスは学級崩壊してました。
TOSSで洗脳された卒業文集なんていまさら
読み返したくもありません。

子どもも大人もみんな違うんです。
マニュアル化された教育方法で
子どもの心が動かされると思いますか?
最終的に面白みのないみんな同じような学年が
出来てしまったのを子どもながらに感じました。

戻れるのならもう一回。TOSSとは関係のない教師
のもとで小学生高学年時代をやり直したいです。

駄文失礼しました。
40. Posted by toshi   2009年08月23日 16:50
A/Mさん

 うわあ。向山氏のいた小学校に、在籍されたのですね。A/Mさんには、心の傷として、多くのものが残っていると想像できました。
 同じ公教育に携わるものとして、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 本記事には、次の表記があります。
『ここまでは、A先生の授業も、TOSSも、おそらく大体似た流れになるのではないか。』
 しかし、最近、いろいろな情報が入るにつれ、TOSSは、『どのような発問をしたら、子どもが意欲的に学ぼうとするか。』ですら、あまり考えないのではないかと思うようになりました。

《子どもも大人もみんな違うんです。マニュアル化された教育方法で子どもの心が動かされると思いますか?》

 いやあ。もうおっしゃる通りです。わたしが一番言いたいこともこのことなのです。大人の一方的な思いで、子どもをしばることは、絶対にやめてほしいのですが、今は、これがはやる傾向にあると思います。

 今続けている、『国語の授業がおかしくなっているかな』シリーズもそうですが、TOSSに限らず、そうした傾向については、これからもしっかり指摘していきたいと思います。

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