【エルサレム前田英司】東西冷戦の終結が宣言された89年以降の20年間で、イスラエルには旧ソ連から約100万人ものユダヤ人が移住した。この間、いわゆる「ロシア系移民」(旧ソ連出身者)の権利拡大を追求する独自政党が誕生。ロシア語メディアも発達するなど、ロシア系はイスラエル社会の「一大勢力」に成長した。48年の建国以来、「ユダヤ人国家」の理念に基づき世界中からユダヤ人を受け入れてきたイスラエルだが、近年は「移民国家」ゆえの社会問題も顕在化している。
「(旧ソ連からの)移民の波はわが国史上、最も重大な奇跡の一つだ。政府内に移民出身者がいることが何よりの証しだ」。イスラエルのネタニヤフ首相は先の閣議で、冷戦後の移民拡大20周年を記念して、そう強調した。
3月末に発足した現政権では、ロシア系の極右政党「わが家イスラエル」が第2与党に躍進。外相のリーベルマン党首をはじめ、移民相や観光相らを閣内に送り込んでいる。
イスラエルには、世界中に離散したユダヤ人を自国に迎えるための「帰還法」がある。祖父母のうちの一方がユダヤ人であれば市民権を認め、移民として無条件で受け入れる制度だ。
統計によると、建国以来の移民総数は約300万人で、総人口(約740万人)の4割に相当する。ロシア系が最多の117万8591人を占め、うち約100万人が冷戦後に流入した。
イスラエルがユダヤ人移民を積極的に受け入れる背景には、主にイスラム教徒であるアラブ系住民との「人口競争」がある。
現在、イスラエルの総人口の8割はユダヤ人が占め、アラブ系は2割に過ぎない。だが、ハイファ大学のアルノン・ソフェル教授の最新の調査では、イスラエル占領下のヨルダン川西岸とガザ地区のパレスチナ人をアラブ系に加えた場合、ユダヤ人口は5割を下回る結果が出た。
さらに、アラブ系やパレスチナ人の人口増加率はユダヤ人よりも高いとされ、このままではイスラエルという名の「アラブ国家」に変容してしまう可能性がある。
このため、国外からのユダヤ人移民の大量受け入れや、パレスチナ国家の樹立によるイスラエルとの「2国家共存」構想は、「ユダヤ人国家」を維持するために欠かせない戦略になっている。
ユダヤ移民の出身地は旧ソ連のほか▽北米▽フランス▽イギリス▽アルゼンチン▽南アフリカなどさまざま。この多様さが新たな活力につながる半面、文化や風習の違いによる摩擦も生んでいる。
その代表例が、エチオピア系移民の処遇だ。イスラエルは80年代半ばと90年代初めの2度、対外特務機関モサドなどが関与して、エチオピアから計2万人以上のユダヤ人を移住させた。しかし、その後、エチオピア系の「ユダヤ人」としての適格性が疑問視され、差別を生んだ。「エイズウイルスの感染率が高い」との偏見から、血液銀行がエチオピア系の献血した血液を廃棄する事態まで起きた。
一方、ロシア系には政官財の第一線で活躍する移民も多く、ヘルシェコビッチ科学技術相は「国内の大学にいる科学者や講師の4分の1は旧ソ連の出身者だ」と貢献度の高さを評価する。
しかし、移住前と同種の仕事に就くことができた移民はわずか2割程度という調査結果もあり、言葉の問題などから低所得の職しか見つけられず、疎外感を抱いている移民は少なくない。
また、ロシア系によるイスラエル移住の動機の多くは、ソ連崩壊に伴う経済危機からの脱出などにあった。他の移民に比べて「ユダヤ人意識が薄い」などと指摘されるゆえんだ。一般に「ロシア系は移住先の社会に溶け込もうとしない」という閉鎖的なイメージも浸透しており、地域社会との見えない「壁」もできている。
イスラエル社会におけるロシア系移民の特徴などを、ヘブライ大学のダリア・オフェル教授に聞いた。
--旧ソ連出身の大量の移民がイスラエルにもたらした影響は。
◆文化から芸術、ハイテク産業まで、さまざまな分野に優秀な人材を提供し、国家に大きく貢献している。高度な専門知識を持つ移民が多く、勤勉で、教育熱心だ。彼らがイスラエルに移住した動機の一つには、子供たちにより良い将来を与えたい、という強い願望があった。
ただ、決して肯定的な側面ばかりではない。旧ソ連での全体主義的な教育の影響で、物事に「白」「黒」をつける傾向が強い。異なる意見や考え方を受け入れられず、「自由市場」に溶け込めない人々がいるのも事実だ。
--他の移民と比べてロシア系の特徴は。
◆政治的には多くが右派、あるいは極右とも言える思想を持っている。このため、アラブ系イスラエル人や中東・アフリカ出身のユダヤ人などに対する差別意識があると指摘されている。
--イスラエル社会には一般に「ロシア系は閉鎖的」とのイメージが浸透している。
◆若い世代は徐々に順応しており、ロシア系が地域に「同化」できるのは時間の問題だろう。しかし、(地域との摩擦を解消する)変化は、政府が支援できるものではない。変化を起こせるのは、ロシア系社会の内部からの自発的な行動だけだ。【聞き手・前田英司】
==============
■イスラエル社会とロシア系移民
87年12月 第1次インティファーダ(反イスラエル抵抗闘争)
<89年11月 ベルリンの壁崩壊>
90年~ ロシア系移民が急増
<91年12月 ソ連崩壊>
93年 9月 オスロ合意(パレスチナ暫定自治宣言)
96年 5月 ロシア系移民政党「イスラエル・バアリヤ」が国会で7議席を獲得。ソ連反体制運動家だったシャランスキー党首が第1次ネタニヤフ政権入り
2000年 9月 第2次インティファーダ
<03年 3月 イラク戦争開戦>
4月 米欧露と国連が新中東和平案(ロードマップ)を公表
05年 9月 パレスチナ・ガザ地区からのユダヤ人入植地撤去完了
08年12月 イスラエル軍がガザを大規模空爆
09年 2月 総選挙で左派勢力が後退し、ロシア系政党「わが家イスラエル」が第3党に躍進
3月 第2次ネタニヤフ政権で「わが家イスラエル」のリーベルマン党首が外相に就任
※<>は世界の動き
毎日新聞 2009年10月22日 東京朝刊