中川昭一元財務大臣の死

中川昭一元財務・金融担当相が、
東京都世田谷区の自宅で死亡しているとのニュース速報が
本日午前中に私の携帯に入りました。

目立った外傷はなく、遺体や室内の状況から事件や自殺の可能性は低いとのこと。
病死の可能性があり、詳しい死因を調べているそうです。

驚愕の一言で、言葉が出ないとはこのことです。
いずれにしましても、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

中川先生というと、どうしても「もうろう会見」のイメージですが、
私は保守政治家として、また理念を持った政治家として尊敬していました。

最初は、ねぎ、しいたけ、畳表のセーフガード問題。
私が経済産業省の担当で、中川先生は自民党の農林水産貿易調査会会長で責任者。
中国から安価のねぎ等が急速に輸入されて、農家のみなさんが大打撃をうけている中、
日本で初めて、セーフガードという国際ルールで認められた関税措置を講じるという
大英断を党側の責任者として行いました。

小泉純一郎首相(当時)が初訪朝したときは、
超党派の「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)会長として拉致被害者の救出活動に尽力され、このときは報道にもたびたび顔を出され、
勇気ある強い政治家として名をはせられました。

また、経済産業大臣時代は、
私が担当していたフリーター・ニート問題で、
「ジョブカフェ」という民間企業の力を活用した若者就職支援センターを
私が担当補佐で全国に15か所設立しました。

その際、中川先生が一番最初におっしゃられたのは、
「現場の責任者のみなさんにご足労いただいて、
昼食を食べながら、現場の話を教えてもらいたい」
とおっしゃり、現場の責任者のみなさんが大喜びしていただいたのを覚えています。

そのときに中川先生のお弁当でエピソードがあり、
海老フライがお好きで、海老フライを大臣のお弁当にだけ1本多く入れた注文をしました。
 
また、中国との関係も毅然とした対応をとられる方でした。
中国とのガス田の問題でも、中国の共同開発要請に対しても、
日本の主張を強気で展開して、一歩も譲ることなかったです。

その他、メキシコとのFTA(自由貿易協定)、産業再生機構でのカネボウ再生など、
数多くの実績をあげられました。

私が自民党から立候補した理由である政治理念、
つまり、憲法改正、教育、外交・安全保障などについて、
真の保守政治家として、私の理念とも近く、
今後もご指導をいただきたい政治家のお一人であった中川昭一先生。
この先生の死が国家的損失であることは間違いありませんが、
そのご遺志をついで、私達がしっかり頑張ってまいりたいと
改めて決意いたしました。