■更新滞っていました。すみません。このタイミングで書くなら、首相の訪米成果の分析とかなんだろうな。しかし、期待されている方、すみません。ここはあくまでゴシップ・ブログなので、そういう真剣な記事はとりあげない。同行記者の記事をどうぞ。私レベルではおこがましくて書けないよ。
■ちなみに、米国から首相と一緒に帰って来た人に、「米国債買え~って、暗黙のプレッシャーかかりましたか?」ときいても、「そんなのありえない!」とのこと。つまり日本の外貨準備高の増額って年3兆円程度だから、それを全部回しても75兆円規模の米国の経済政策にとっては焼け石に水だから、米国はわざわざそんなこと日本に頼まない、と。今回の成果は、米ドル基軸維持で日米が一致したということ。米国としては、ドルの権威維持に第二の経済大国日本がいち早く協力表明してくれたことで、十分恩にきている。日本にとっても、つまりドル安を容認しないということを米側が約束してくれたこは大きな成果と。というわけで、ドル80円に切り下げでリセットということはない?
■で、某先輩記者にそう伝えてみると、「政治家や官僚は平気でウソつくこともあるからな、鵜呑みにできん」。もちろん中国当局者も公式非公式とも、よくニセの情報を流すのだが、長くいていた分だけ、これはあやしい、これは本当というカンが多少は働く。だが、日本の政治については、本音と建前、そこのところがまだ、よくわからない。だから書けない。
■で、とりあえず書けることは、自分の目の前で展開される政治部記者の生態なので、官邸テーマのエントリーはしばらくはこっちを主流にする。
■ずいぶん前の話で恐縮だが、番記者(女性)がバレンタインデー・イブに麻生太郎首相にチョコをプレゼントした。小泉純一郎元首相に「叱咤激励」をうけて、心が弱っていたのか、普段なら「記者いじり」のひとつもしそうな麻生首相も、本当に嬉しそうだったという。残念ながら、私はその場にいなかった。その夜は夜勤で本社で作業していたのだ。
■女性番記者がバレンタインデーに首相にチョコを贈るのは官邸記者クラブの伝統という。しかし今年はバレンタインデー当日が週末なので、首相にチョコを贈る、贈らないで、女性番記者たちの間でまえまえから話がでていた。ある女性番記者は、首相にチョコを贈るのは抵抗があるという。「番記者と首相の関係は緊張感が必要。チョコをプレゼントするような甘い関係でよいのか」。若い記者の中には、政治部にいながらも、こういう潔癖さやきまじめさが滲む人もいる。
■だが某社のある男性記者はいう。「うちの女性記者の中にはバレンタインデーにリヤカー一杯のチョコ(誇張表現)をもってきて、担当の政治家や官僚に電話をかけて、〝今からチョコもっていきます〟とねこなで声をだしている。ポイントは同じチョコを買わないこと。同じ包みのチョコだと、ばらまいたことが相手にきづかれる」。ちょっと嫌味な口ぶりからして、男性記者としては、バレンタインデーを武器にできる女性記者がややねたましいようである。でも、女に生まれたからにゃ、その特性をフルに生かして仕事するのがかしこいのは当然。男性記者だって女性議員や女性大臣にチョコあげればいいじゃないか、と言われるだろう。
■政治部の番記者は女性が結構多い。しかも美形率も高い。政治部というのはもともと男性社会的な色合いが強いのに、この女性記者の多さは、やはり、保守的なおっさんの政治部長あたりが、美人で若い女性記者の方が「大物政治家からかわいがってもらえる」と思って配属するのではないか、と思う。
■で、実際のところ女性記者の方が政治家と特に親密になれるかというと、私のみるかぎり、女性であろうが男性であろうが、「政治家にやたらかわいがられる記者」というのは存在するが、その第一の決め手は性別ではないと思う。もちろん、美人記者は政治家にも官僚にももてるだろうが、男だって男にもてる人は多いのである。それもハンサムとは限らない。
■政治家にかぎらず権力者に気に入られる決め手は、おそらく「かわいげ」と総称される魅力であって、それはなんとなく手なづけられそうなスキもあるけど、でもバカではなくて、見込みがある(利用価値がありそう)などと評される人物。自然なムードで相手をうれしがらせるお世辞がいえたり、容姿が好ましいければなおよし、性別が違えば、そこはかとなく下心も滲むこともある。
■おそらく政治部記者が最も求められる資質は、この「かわいげ」であって、政治部とはかわいげのある記者がネタをとれる世界である。いや、ネタをもらえる、というべきか。「あの記者は某大物政治家からえらくかわいがられている」などという、やや嫉妬のまじった表現を耳にすることがあるが、政治家と政治部記者の関係とは、そういう上下関係が基本であり、新人記者の頃に教えこまれた「記者はどんな権力者とも対等に向き合い、取材する権利がある」といった建前を信じ込んで、かわいがられる関係に抵抗を感じる者は、けっこう居心地がわるいだろうと推察する。
■で、さきごろ世間を騒がした、中川昭一・前財務・金融担当相のG7〝酩酊〝記者会見。中川氏が会見直前に某社の美人女性記者ら、お気に入り記者を集めて会食したという話が新聞や週刊誌で話題になった。「美人記者」と週刊誌やタブロイド紙は強調して書くものだから、なんかいかがわしげなことを連想させるが、要するに2月14日のバレンタインデーだから、女性記者限定の会食にしたのだろう。いずれにしろ、閣僚から特別扱いされて同じテーブルに呼ばれるというのは、まちがいなく彼女らが「かわいげ」のある優秀な記者であるということだ。本来なら、政治家によく食い込んでいる、と評価されてしかるべきだが、残念なことに、昼食会の現場ルポという特ダネ記事は書けなかった。
■中川氏が注文したワインを飲んだ飲んでいないかを、たびたび電話連絡で席を外していたので目視で確認していなかった、というのが表むきの理由。だが、記者という職業の人間が、テーブルにおかれたワイングラスの量が変わっていないか減ったか、その変化にまったく気づかないほど観察力がないはずはない。
■本当のところは、要人臨席のクローズドの食事会での会話やできごとは「完全オフレコ」というこの世界のルールと「情」に縛られて何も書けなかったのだと思う。あるいは稀少な愛国保守系閣僚を擁護することこそ真の国益という信念から、沈黙を守ったのかもしれないが。(それだったら、酒ぐせのあまりよろしくない大臣にワインを注文させるなよ、と言う意見もあるが)
■あの会見映像が流れた日、官邸記者クラブでは、他紙の記者らが、昼食会の同席した女性記者らに連絡してウラをとろうとがんばっていたが、結局最後まで連絡とれずじまいだった。
■そういう中で18日付の産経新聞は「薬の影響」とする中川氏の言い分を全面的に肯定した記事で、酒のせいとする同日付の毎日新聞の記事と並べて読むと、政治記事とは政治家と記者の距離感とか編集長の方針によって、ここまで変わるのか~ということがよく分かっていただけると思う。某紙の記者は、産経の記事を読んで「産経新聞はまだ、中川氏が返り咲くと思っているんだ」と言っていた。おお、政治部記者とは記事からそういうところをよみとるものなのか。私はてっきり、記者の情の深さ、あるいはその政治家は自分に対しては絶対ウソをつかないとの自信から書かれた記事だと思ってしまった。
■とういうことで、本当に政治部の優秀な記者とは、かわいげを発揮して権力にかわいがられつつ、その権力を批判するときは手加減しない非情さも持ち合わせている記者らしい。ただし、その変わり身を「人間としてどうよ?」と思われないだけの取り繕いができる器用さも必要だ。そういう風に考えると、政治家に必要な資質も、記者と同じかな。政治家もより強い政治家にかわいがられつつ、いざその人が落ち目になると、批判に転じて、自分自身がより大きな権力を手にいれようとする。
■私が東京にもどって、政治部に配属されるとき、会社のえらい人たちや先輩記者が、「麻生(首相)は福島みたいなのを、意外(?)に気に入るかもしれん」「がんばって、かわいがられてこい」という激励の言葉を受けた。入社したてのときから「かわいげのない」と言われ続けてきた私に、いまさら、かわいげを出せと。しかも、もう40すぎでっせ。努力してはいるのだけれど、中国では皮肉と諧謔で売ってきた私ですから、ちょっと苦しい。
■で、せめて女の魅力がプラスに使えないかしらん、と思って、髪などのばしてみたのだが、若い美人記者らとならんで秘書官らとオフの懇談会にでたとき、美人記者には「美人記者さん」と呼んだり、結婚や合コンの話題をふったりするのだが、私の顔の上に視線がとまると、そういう会話の流れふと、止まるんだな。いや、美人とよばれたいわけじゃないし、あたしに結婚や合コンの話をふられても確かにこまるんだが。しかし、あまりに露骨に口ごもられると、「この正直もの!官僚は平気でウソがつけるんちゃうんかい!」と内心つっこんでしまう。
■というわけで、私がかわいげのある政治部記者になるのは当分無理なので、このブログでも官邸発の政局や政策に関するまともな記事がエントリーされるのはずっと先のことになる。まあ、あんまり取材対象との距離が縮まると、私などは簡単に情に流される人間だから、このあたりでいいのかなと思ったり。取材対象と記者の関係は緊張感があった方がいいのよ!とうそぶいてみたり。
by さくやこの花
お知らせ:実は退職することに…