ようやく、水伝関連本の原典を読む機会に恵まれた。
なかなか示唆に富む良い本であった。
もっとも、批判記事を先に読んでいたので、この本の問題箇所はあらかじめ適当に読み飛ばすことができた。
この本の主旨は「『愛と感謝』の心が大切」ということであろう。私もこの主旨に賛同する。
おそらく、水伝に肯定的な人は、この主旨に賛同したのではないだろうか?
水伝を、『愛と感謝』の心を励起するための「自分だましのテクニック」として受け止めれば、つまり、水伝の実験は科学的に厳密でないということを正しく理解しつつも、「水に感謝をささげることで、水がきれいになる」と信じることで、『愛と感謝』の感情を励起させることできるのであれば、そういう使用法も有りではないかと思った。
なかなか示唆に富む良い本であった。
もっとも、批判記事を先に読んでいたので、この本の問題箇所はあらかじめ適当に読み飛ばすことができた。
この本の主旨は「『愛と感謝』の心が大切」ということであろう。私もこの主旨に賛同する。
おそらく、水伝に肯定的な人は、この主旨に賛同したのではないだろうか?
水伝を、『愛と感謝』の心を励起するための「自分だましのテクニック」として受け止めれば、つまり、水伝の実験は科学的に厳密でないということを正しく理解しつつも、「水に感謝をささげることで、水がきれいになる」と信じることで、『愛と感謝』の感情を励起させることできるのであれば、そういう使用法も有りではないかと思った。
追記)
但し、小さい子に、「自分だましのテクニックとして受け止めよ」と教えるのは困難なので、やはり、小学校の道徳教育で使うには無理があると思う。
但し、小さい子に、「自分だましのテクニックとして受け止めよ」と教えるのは困難なので、やはり、小学校の道徳教育で使うには無理があると思う。
同感です。
バクスター効果においても、植物にも心があるので、草木や花を大切にしようという道徳観とつながってきています。
水伝の道徳観の内容が「『愛と感謝』の心が大切」ということであれば、ニセ科学批判者がなぜそれを道徳的に間違いであると否定するのかわかりません。水伝に選民思想やカルト思想とかレッテルを張りつけていますが、『愛と感謝』の心が大切」という道徳の内容は社会から逸脱しているどころか、多くの人たちが古来から善と考える道徳だと思います。
ニセ科学批判者は、水伝を価値判断のレベルでも批判しているようですが、彼らは水伝の「『愛と感謝』の心が大切」という道徳観が間違いであるという理由を説明することができるのでしょうか? 人間が平和に共存していくためには、「『愛と感謝』の心が大切」という道徳観は尊重されるべきものであり、私も特に間違いだとは思えません。やはり、ニセ科学批判者は水伝のこのような良い部分を排除して、悪い部分だけを取り出して全体像とし、印象操作しているように私には思えます。