生命哲学の掲示板
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世界宗教について 投稿者:ミンチ 投稿日:2009/10/20(Tue) 19:36 No.2015  
世界には数多の宗教がありますが、それらによって宗教間の対立や抗争もまた御座います。

元々、宗教とは人を幸せにするために。あるいは、世界の平和のために作り上げられたのが宗教であるはずです。

この根幹については仏教やキリスト教。あるいはイスラム教など古今東西様々な宗教であれ、同じはずです。
ならば、対立などせず。もっと歩み寄りが可能なのではないだろうか?と、私は常々思っておりました。

宗教を理由として、互いに互いを敵とする状況は悲しむべきことです。
何とか、このような状況は打開するべきであると考えております。
皆様方は、如何思われるでしょうか?


Re: 世界宗教について たかこ - 2009/10/20(Tue) 20:08 No.2016  

創価学会も他の宗教を批判しており、創価学会に入らないと不幸になるとおどしたりして勧誘したり、喧嘩になったりしています。

親族間で争いになったり、周りの人たちと争いになったりもしています。

創価学会の人こそ改めてはいかがでしょうか。

人には修羅の命があるので争いがなくなることは難しいと思います。


Re: 世界宗教について シリウス - 2009/10/20(Tue) 20:43 No.2017  

まず、ミンチさんごめんなさい。昨日間違ってミンチさんの記事を消してしまいました。本当にごめんなさい。

たかこさんが言う通りに、学会は宗教批判をしています。
永き月日により、私利私欲や名声欲しさにどれだけの正しい宗教が捻じ曲げられてきたかは、知る由もなく歴史の中で本物が見えなくなってきている結果だと思います。
勧誘は、自発的に一人の人の幸せのためにするのですが、力が入りすぎて、または抵抗する人に、業を煮やし「説得」になり修羅と化します。
あくまでも、個人の幸せを真心から願うなら、根気よく「納得」できるまでお付き合いするでしょうし、入会するか否かは相手の個人の問題であるので、個人の自由を尊重することが当たり前であると考えます。

私個人としては、モンポウゲシュ(間違ってるかな?)種まきをすることが大切で、言うだけ言ったら種まき終了、本人の決断(自由を尊重)に任せます。

今現在、世界の宗教の発祥者が一同に集まって話し合いの場がもたれたならば、宗教間の争いはなくより優れた宗教が存在しているかもしれないと考えます。


北朝鮮問題について 投稿者:vol de nuit 投稿日:2009/10/17(Sat) 19:13 No.1995  
 ごぶさたしております。 

 最近、北朝鮮や拉致問題について関心を持っております。もちろん、右翼まがいの言説とはスタンスは違います。が、日本海の向こうで行われている強烈な人権侵害行為にしたいして無監視ではいられません。強制収容所で行われている恐ろしいことが漏れ聞こえるたびに、怒りを禁じえません。

 拉致問題は当然のこととして、仏法者として拉致問題・北朝鮮の人権侵害をどう考えればいいのか、考えあぐねております。北を体制崩壊させ、拷問の鉄鎖から強制的に解放するか(ちょうど、日本にとってのマッカーサーのように)、あるいはいわゆるsoft landing させるか、しかしソフトランディングさせようとして「塩を送」れば、その塩は全部支配層の胃袋に入っていく現実などなど、どうしようもないことだらけです。

 みなさま、この問題についてどうお考えですか?


Re: 北朝鮮問題について Jonathan - 2009/10/18(Sun) 19:40 No.2007  

 仏法者なら対話ですね。
 情報がTVニュースだけになってませんか? 国連や各国がどのように対話や支援を行っているか調べてみてはいかがですか?
 


Jonathanに質問します 投稿者:凡人 投稿日:2009/10/10(Sat) 07:45 No.1971  
この宇宙は何故あるのでしょうか?
私は何故存在し、我であることに気が付くのでしょうか?
創価学会の思想を元に説明願えたらと存じます。


Re: Jonathanに質問します ミンチ - 2009/10/12(Mon) 15:58 No.1979  

私では実力不足だと思ったので、本当は話題に参加しないつもりだったんですけど・・・ちょっとだけ。

このテーマが『法華経』と提示した場合なら、問題ないでしょう。
でも、『創価学会』となっているのであれば、この質問に答えるのは難しいかもしれません。

と言うのも、創価学会では「信心即生活」と言う大前提があるのです。
創価学会はあくまでも、最優先するべきは人の日常生活に関することであり、その心身を向上を目的としているからです。

創価学会では、まずこのテーマがありますので、凡人さんのような哲学的な内容は、二の次だ。と言うことになってしまうかもしれません。
もちろん、学問としての創価学会もあると思いますが。

えーと、ご存知だったかもしれませんが一様お伝えしておきます。
それでは、失礼致しました。



Re: Jonathanに質問します 凡人 - 2009/10/12(Mon) 19:16 No.1980  

あっ間違えました。法華経についてお尋ねします。

1=この宇宙は何故あるのでしょうか?

2=私は何故存在し、我であることに気が付くのでしょうか?

3=般若心境の思想とは一致するものなのか?

以上です。宜しく


マナー? ガク - 2009/10/14(Wed) 21:06 No.1985  

丸投げの質問では、どこまで答えてよいのか分からない。
相手が小学生なのか、大学教授なのか、判別できない。

いい大人であれば、自分の質問に対して、回答者がどれくらい労力を使ってくださるのかまで想像し、それに匹敵する努力をしてから質問することも、マナーの一つとして考えても良い。

過去ログを読んでみる、質問に対する現在の自分の認識を書くなど・・・

あなたがなぜ存在し、「我である」ことに気がつく前に、それくらいのことに気がつきましょう。

最近いろんなところで
最低限、双方の見識の違いを双方が認識する段階まで議論できない人が多くて、困る。


Re: Jonathanに質問します ミンチ - 2009/10/15(Thu) 00:24 No.1986  

ガクさんへ。
確かにまったくそのとおりだと思いますが、そこまで厳格にならなくとも良いと思います。
凡人さんは極力、簡潔に述べることで問題点を理解し易いものにしてくれているのでしょう。

それにガクさん。それほど肩肘を張らず楽に参りましょう。楽に、真剣に行えば、それはそれで良い結果に繋がるものだと、私は思います。
それでは、失礼しました。


Re: Jonathanに質問します Jonathan - 2009/10/15(Thu) 21:00 No.1988  

 一回書いたものが消えてしまって書き直しです。リカバリの上にブラウザ環境等を変えると、ほんとに厄介ですね。まあ、懲りずに書きます。

 法華思想では、「縁起(縁によって起こる)」を説きます。相互依存し、時間的にも空間的にも「因果」的に結びついて、生老病死を繰り返していく世界を空・仮・中の三諦で、説きます。死んで無意識の状態で宇宙に溶け込んでいるのが、「空」の状態です。そして生まれて来て形を作っている状態を「仮諦」の状態です。唯識思想や、般若心経ではこれを「色」と呼んでいます。法華経ではそれらを含めて、常住の側面、即ち「中諦」「中道」を説きます。これを分かりやすく言えば仏界であり、南無妙法蓮華経です。
 「宇宙」(法界)といっても、「我」といっても、これが現象世界の本質だというわけです。

>1=この宇宙は何故あるのでしょうか?
>2=私は何故存在し、我であることに気が付くのでしょうか?

 「何故にある」と問われれば、「竜樹の思想」や「唯識思想」で語られているように、「縁起」という相互作用・相互依存というのは、「仮諦」「色」の側面だけでなく、「空」すなわち、「無意識」の側面である「阿頼耶識(あらやしき)」第八識に、「業相続」として蓄積されています。阿頼耶識は、生命の種子であると説かれ、死んで「空」の状態になったとしても、縁によって生まれてきます。
 小乗仏教の哲学では、煎じ詰めれば、生命活動の主体である煩悩を断じ尽くして、涅槃すなわち、永遠の消滅を目指しますが、大乗仏教が説く世界観では、生命は永遠であるので、因果律による生死からは誰も逃れることはできません。小乗仏教による思想の伝播と発展と大乗仏教のそれとは根本的な違いがあることを認識する必要があります。
 この大乗仏教の「空観」の理論的大成者は、竜樹です。またそれを押し広げて唯識思想と言われるものを形づくったのは有名は玄奘三蔵です。

>3=般若心境の思想とは一致するものなのか?

 との質問に関連すれば、竜樹は法華経に通ずる理論的大成者ですが、唯識思想は、玄奘が法華経の「唯有一仏乗」を退けたので、理論的には般若心経までで留まって、法華経に入っていません。
結局、般若心経と言う経典は、仏の智慧の一側面を表現しただけで、法華経でいうところの「円満」「具足」の智慧を解き明かしていないのです。
 それは、さきほど書いた「中諦」常住の側面の欠落ですね。
 これら、仏教の歴史を踏まえて法華経の理論的大成者は、天台です。その法華経思想をより深く説き、実践的に大成したのが日蓮大聖人だと我々は捉えるわけです。

 「我であると気付く」のかということですが、生命の種子である阿頼耶識から、人間が生まれてくるとき、個人を個人足らしめる「末那識(みなしき)」第七識という無意識が生まれます。それを元に、考える自我である第六識と五感が形成されるわけです。また別の角度から言えば、末那識から、自我に気付かない草木、または動物に生まれず、人間として生を受ける宿業を積んできたから、自我に目覚めたです。
 ただこれも、天台の法華思想では、阿頼耶識のさらに奥に、「根本浄識」第九識、すなわち仏界を立て、日蓮仏法ではこれを南無妙法蓮華経とするわけです。

 以上、確かにガクさんが言われるように、質問には、その人の思索の背景があり、ある程度その過程を説明してもらえないと答えにくいし、抽象的な説明になってしまうので、あれですが、簡潔に要点を語ると以上です。
 結局、小乗仏教が煩悩否定なら、唯識思想では自我否定でニヒリズムに陥り易く、これでは出家者の苦行になってしまって、原始仏典にある釈迦本来の「あらゆる生命を慈しむ」という生の肯定的な哲学から遠ざかってしまいます。煩悩も自我も、大我である清浄な仏界の生命に支えられて、それらを活かして、人生を自他共に幸福に生きていこうというのが、法華経と日蓮仏法の教えです。


Re: Jonathanに質問します 凡人 - 2009/10/17(Sat) 09:55 No.1993  

お返事有難う御座います。しかし仏教とは

南インドの般若経、中インドの維摩経、西北インドの法華経、実に複雑な話ですが而二不二のような結論にあるのではないのでしょうか!

日本では仏教各派、特に法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。ただし、浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗・法華宗は『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典としているため、般若心経を唱えることはない。これは当該宗派の教義上、用いる必要がないということであり、心経を否定しているのではない。例えば、浄土真宗西本願寺の住職であった大谷光瑞は般若心経の注釈を著している。



> 法華思想では、「縁起(縁によって起こる)」を説きます。相互依存し、時間的にも空間的にも「因果」的に結びついて、生老病死を繰り返していく世界を空・仮・中の三諦で、説きます。死んで無意識の状態で宇宙に溶け込んでいるのが、「空」の状態です。そして生まれて来て形を作っている状態を「仮諦」の状態です。唯識思想や、般若心経ではこれを「色」と呼んでいます。法華経ではそれらを含めて、常住の側面、即ち「中諦」「中道」を説きます。これを分かりやすく言えば仏界であり、南無妙法蓮華経です。
 「宇宙」(法界)といっても、「我」といっても、これが現象世界の本質だというわけです。

この点は、私の解釈ですが、而二不二なり、般若経とは、かなり違っていて、例をあげると=
実体がないということにおいて、目の前の具体もなく、感覚もなく、見えるものでもなく
、思いもなく、意味もない。 何も見えなく、何も聞こえず、何も匂わず、舌にも感じず
、感触もなく、気持ちの浮き沈みもなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もな
く、触るものもなく、思うものもない。また、さとりの果てが来ることもなければ、迷い
が消えてしまうこともない。と般若経はなります。

つまり、実体とは有っても無いようなものと説法しています。この謎めいた言葉は私は無限の猿定理ののようなものと解釈しました。
説明しますと無限の猿定理はランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという事実を比喩的に表現したもので、猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、例えばウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出すとするもの。
この「定理」は、巨大だが有限な数を想像することで無限に関する理論を扱うことの危険性、および無限を想像することによって巨大な数を扱うことの危険性について示唆を与える。猿の打鍵によって所望のテクストが得られる確率は、たとえば『ハムレット』くらいの長さのものになると、極めて小さくなる。宇宙の年齢に匹敵する時間をかけても、実際にそういったことが起こる見込みはほとんどない。しかし、定理は「十分長い」時間をかければ「ほとんど確実」にそうなる、と主張する。

無限の時空という概念は般若経で言うように無いものは無く、自分がこの世界に今、存在しているとは、無限のルールのなかで出来た過程であり、例え消滅してもまた、また猿の打鍵によって、同じ輪廻を繰り返す、つまり、ある物も無いと言うことのような感じがします。

そして般若経の説法は=どんな物理現象も、物理現象のほかには一切の原因を持たない、ことであり、物理状態を説明するのに、その原因として、物理状態だけがあれば十分で、それ以外の要因は必要ないことであり、私は何故存在し、我であることに気が付くのは、現象としてであり、実体とは有って無いものであるようなものだと、般若心経は説明してると感じました。

法華経は妙法蓮華経 序品 第一
妙法蓮華経 方便品 第二
妙法蓮華経 譬諭品 第三
妙法蓮華経 信解品 第四
妙法蓮華経 薬草諭品 第五
妙法蓮華経 授記品 第六
妙法蓮華経 化城諭品 第七
しか読んだことが無く、

ん・・勉強が足らず、全体像がつかめません! 参考有難う御座いました。


Re: Jonathanに質問します Jonathan - 2009/10/17(Sat) 17:05 No.1994  

 すいません。何を言いたいのか、以前に言いましたが、相手に伝わるようにお話して頂きたいと思います。

 書きましたように、般若心経は、仏の智慧の「一側面」しか説かれていません。故に日蓮仏法の原理から考えれば、報恩抄文段にあるように、法華経に対すれば、麁法(劣った低い教え)として「否定」されます。法華経で重要なのは、如来寿量品です。無始無終の仏の本体、すなわち「常住」の側面が説かれて、初めて円満な智慧がとなります。それが第一点。

第2点目は、
>般若経の説法は=どんな物理現象も、物理現象のほかには一切の原因を持たない
 と、般若心経を唯物論として、とらえて、部分の引用に終わってますが、心経のポイントである。「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。」を、理解してお答えになっておりません。
 これは、仏教用語の「空」を単に「無」としてしか考えいないからじゃないですか?
 題名や文意が示すように、この経典は「般若」=「智慧」という「心」の側面について説かれたものです。
 「而二不二」という言葉を使っていますが、この言葉は、心経にあるように、「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。」のような表現に使われます。また、この言葉が示すように、「色」に対して「空」を明確に立てています。
 心経にはこれがあるがゆえに大乗経典と認識されるわけです。
 確かに、一般に小乗仏教をもって唯物論ではないのか、いう批判がありますが、「小乗空」と「大乗空」は、ぜんぜん違うものです。
 
 「空」や「法華経」については、戸田先生の『生命論』が一番分かりやすく書かれていますが、手に入りにくいので、法華経を含めた理解となると学会の初心者向けの教学書を読まれるといいと思います。


Re: Jonathanに質問します ミンチ - 2009/10/17(Sat) 20:16 No.1997  

凡人さんへ。
私からは相変わらず、少しだけ。

これはまったく私の個人的な印象なのですが、凡人さんは少し結論を急ぎ過ぎているようにお見受け致しました。

問題には様々な種類があります。
凡人さんにとって、この問題は時間をかけて結論を導き出すものなのではないでしょうか?

問題を保留とするのは、決して間違ったことではありません。
唐突に、不意に光明が見える。と言うような事もありますし。
時間に余裕があるならば、じっくりと待つことも良いかもしれません。どうでしょうか?


Re: Jonathanに質問します 凡人 - 2009/10/17(Sat) 22:47 No.1999  

法相宗・天台宗・真言宗・禅宗の人にも聞いてみないと答えが出ません! ちなみに而二不二とは、表と裏を我によって分別したのは、単に虚妄で、本当はどちらがどちらとは言え無い、やはりただの一枚の紙であって、「分別した二なるもの」は、「二つで無い」一枚の紙で、つまり「而二不二」なのであります。

あと、戸田先生の『生命論』の本読んで見ます。どうも!


ミンチさんへ 凡人 - 2009/10/17(Sat) 23:38 No.2000  

色々と勉強になり、対立がある事が分かりました。特に天台宗では、仏教には八万四千もの教えがあるが、それらは別々な悟りを得る教えではなく、全ては釈尊と同じ悟りに至る方法の一つでもあるそうです。

ミンチさんも何か仏法の質問されたらどうでしょうか!何か得るものがあると思います。


Re: Jonathanに質問します Jonatan - 2009/10/18(Sun) 19:32 No.2006  

 「而二不二」を分ける側面と一つである側面を合わせ持った考え方です。
 「色心不二」「依正不二」等。依とは自分の環境で、正とは自分自身です。
 これをただ一つであるとするだけなら、主体性の埋没につながりかねませんし、ただの観念論の終わる危険性があります。やはり、“バランスよく”捉える必要があります。
たとえば、内科と外科は違いますね。でも、本来一つである人間を治療する医療です。内科的見方と外科的見方は、共通するものがあります。しかし、両方がないと適切な治療は受けられません。ただ一つ、一つと言うのは実践的ではないんです。
心の問題と体の関係もそうです。バランスよくとらえなければありません。

 また「同じ悟りに至る方法の一つ」でもあったとしても、他宗は、ものすごく“遠回り”ですよ。
 私は、大学時代3年間で日蓮大聖人の御書と徹底して向かい会い、唱題して、御書全般が言おうとしていることが理解できるようになりした。また一般哲学や諸々の学問すら、よく分かるようになりました。
 八万四千法蔵と言われるくらいですから、これと向かいあうのは深いジャングルの森に入るようなものです。人生もまたそうです。地図なりコンパスが無ければ、迷子になってしまいます。
 天台も諸宗をことごとく論破し、日蓮大聖人は、諸宗をことごとく破折しました。肝心要の法華経、その奥底を説いた日蓮仏法から入ることが、地図やコンパスを得る一番確かな道です。
これは私自身の経験から、凡人さんへの確信をもって言えることです。


Re: Jonathanに質問します たかこ - 2009/10/20(Tue) 19:29 No.2014  

どんなに素晴らしい理論があっても人の振る舞いが悪ければすべて悪いと思う。

精神疾患の人に対するひどい言葉、マイノリティーの差別、など、人としてのありかたを元に宗教・教義が生きてくると思います。



届いてますか? 投稿者:赤いポスト 投稿日:2009/09/28(Mon) 12:06 No.1904  
届いてますか?


Re: 届いてますか? シリウス - 2009/09/28(Mon) 23:42 No.1905  

赤いポストさんはじめまして<(_ _)>
大いにここで、語り合いましょう♪


Re: 届いてますか? 赤いポスト - 2009/09/29(Tue) 13:04 No.1907  

シリウスさんはじめまして
よろしくお願いいたします


生命の本質納得出来ました 投稿者:赤いポスト 投稿日:2009/09/28(Mon) 11:36 No.1903  
あるとき
生命の本質を
納得いくことが出来ました
戸田先生の生命論や池田先生の講義書が
元になってます
生死の問題を本質的に納得出来てとても嬉しいです
いろんな人といっぱい語り合いたいです


Re: 生命の本質納得出来ま... シリウス - 2009/10/01(Thu) 21:27 No.1914  

どんなことが納得できたのですか?
是非お聞かせください(^−^)


Re: 生命の本質納得出来ま... ミンチ - 2009/10/03(Sat) 21:19 No.1922  

生命倫理などの本質を納得できたとは、まったくもってうらやましい限りです。
私もそこそこ読書などをしておりますが、自分自身の我が強過ぎるたちで(頑固なんです)なかなか素直に納得できません。まあ、私もまだまだ洟垂れの青二才なので、すぐに納得できるなどとは思っていませんが。


Re: 生命の本質納得出来ま... 赤いポスト - 2009/10/07(Wed) 00:04 No.1941  

宇宙も自分自身も地水火風空の五大の種で成り立っていて本質的に同じ生命であり無始無終に永遠の生命体であると納得実感出来たことです


Re: 生命の本質納得出来ま... ミンチ - 2009/10/07(Wed) 16:44 No.1943  

なるほど。
自分自身を世界の一つとする考え方ですね。
ちょっとだけ、難しく言いますけれど。
思想学では、孔子の儒教が有名ですが、これと同じくらい有名なものに「道教」というものがあるんです。

この道教では、自分を世界の一部と考えて世界全体を知ろうとするような思想学なんです。
ちょっとマイナーなので、あまり学校でも教えてくれないものなんです。

どうやら、赤いポストさんは自力でその場所にまで到達されたのですね。

私も最近になってそんな思想があるんだなぁ、とまあ知識として獲得したばかりなので詳しくは説明し切れません。
中途半端で、ごめんなさい。


Re: 生命の本質納得出来ま... 赤いポスト - 2009/10/07(Wed) 23:15 No.1945  

一部じゃなくて全体になるんです


Re: 少し遅れましたが ミンチ - 2009/10/08(Thu) 11:34 No.1949  

なるほど、失礼致しました。赤いポストさん。

世界から見ての視点ならば自分はその一部、と言う表現に致しました。
ですが、赤いポストさんは既に自分の中に世界を確立しているご様子。
確かそれは「内宇宙」と言うのだったかな。

世界はいくつもあって、自分もそれらの世界の一つになる。
・・・って、こんな風に書いてしまったら最初に戻ってしまいますね。

いやはや、感覚的な話題を言語化するのは大変ですね。
それをわざわざ話して下さってありがとうございました。


Re: 生命の本質納得出来ま... 赤ポス - 2009/10/08(Thu) 17:38 No.1953  

生死生死と無限に続いていくんです
生きてるときはこの自分自身の心と体
死んでるときは大宇宙大銀河そのものが云わば自分の心と体であり
大宇宙自体となってる状態が死の状態、本体です。
大宇宙全部が生命ですから、
条件やきっかけが整えば、また同じ宿命を持った生命体として生まれ宿命の続きを生きていくんです
それを無限に繰り返し生死生死と自身宇宙自身宇宙と生きるんです


Re: 生命の本質納得出来ま... ミンチ - 2009/10/08(Thu) 19:03 No.1954  

うむむ。と思わず唸ってしまいました。
ちょっと、私にはレベルが高いかも・・・と。

でも、頑張って答えますね。

私には生きる指針と言うか、ルールが一つありましてね。
それは「良く死ぬ事は良く生きる事」と言うものです。

一昔のことですが。私はあんまり格好の良い人生を送っているとは言い難い人生を生きてきました。
だからこそ、死ぬ時くらいは格好良くしたい。
・・・なんて後ろ向きな考えを持っていたんです。
そんな時に、うっかり衝突してしまったのがこの言葉なんです。

読んで字の如く、なんと言うとんでもない言葉だ。と最初に思ったものです。

・・・良く生きないと、良く死ねないのか。と。

今の私が乏しい才能だか努力だかを必死につぎ込んで、
それで結局できているのか?
などと、自問自答しつつ私はこうやって今を生きています。

赤いポストさんからしてみれば、豆粒レベルに小さいことなのかもしれませんが、私はそれで頑張っています。

努力目標を宣言してどうするんだ、こいつは?
・・・と、思われたでしょうね。
すみません、今の私ではこれが限界のようです。


Re: 生命の本質納得出来ま... 赤いポスト - 2009/10/08(Thu) 21:29 No.1956  

ミンチさんの指針はとても大切な素晴らしい指針だと思います
日蓮大聖人も『臨終只今』にありと言われていて
生きたようにしか死んでいけないと
今を生きることの大切さを強調されておられ
ミンチさんの指針が誰にも当てはまる大事なことと感じます


Re: 生命の本質納得出来ま... ミンチ - 2009/10/08(Thu) 22:10 No.1958  

赤いポストさんへ。
こんな私如きの意見でも何かの役に立って頂ければ幸いです。

私も、もう少し立派な答えができるように努力しておきますね。

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