例えば、現在の韓国地域の出身者が最も多くを占めた戦時「慰安婦」(軍のための性の奴隷)の多くは、個々人への謝罪と国からの補償を求めている。
痛ましい証言が十分にあるにもかかわらず、日本は一般的な責任しか認めていない。日本の外務省もこうした女性たちへの直接の言及は避け、「いわゆる従軍慰安婦問題」と表現する。
2007年に米国の連邦議会が日本に慰安婦制度について謝罪するよう求める決議を採択した時、民主党の小沢一郎氏(当時は同党の代表、現幹事長)は、日本の国会は広島と長崎への原爆投下を非難する決議をすべきだと威嚇的な発言をした。
小沢氏の慰安婦に対する侮辱的な言動はグロテスクだが、日本人の考えを暗に示すものでもある。今日でも、原爆の惨劇が他のアジア諸国での破壊行為の罪をすべて洗い流したと考える日本人は多いのだ。
小さな慰め
しかし韓国政府は、慰安婦問題に対してよりも、鳥糞石の点在する岩礁への日本の領有権主張に対しての方が感情的になる。
結局のところ、慰安婦を前線に送った男たちは、植民地支配を担った朝鮮総督府のために働く朝鮮人だったのだ。そのうえ1948年以降は、日本の手先となって抑圧に加担した人々は米軍の保護の下で新しく発足した韓国政府に取り込まれた。今さらその歴史を蒸し返されても、都合が悪いのだろう。
それゆえ、公式の歴史は真実を追究するのではなく、逆に真実から逸れていく傾向が強い。昨年の北京オリンピックでの派手なショーや今月の建国60周年となる国慶節で披露された中国の歴史を見れば分かる。60年間の共産党支配のうち、前半の(悲惨な)30年間は見事に消されている。
稀代の歴史家であるコロンビア大学のサイモン・シャーマ教授の言葉を借りるなら、歴史は自己批判の道具であるべきで、自己正当化の手段であってはならない。独裁政権の中国だけでなく、民主国家の韓国や日本でも、歴史が自己批判の道具になるまでには、まだ相当長い道のりがある。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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