朝鮮民主主義研究センター

朝日新聞が人民日報の記事を削除(2004年12月26日)
世界各地で中国大使館に対する一斉抗議行動(2004/12/18-2004/12/24)(2004年12月25日)
李賢主『北朝鮮 断末魔の虫瞰図』(2004年12月19日)
北朝鮮外務省が遺骨問題で「日本の極右勢力」を非難(2004/12/11-2004/12/17)(2004年12月18日)
掲示板を廃止しました(2004年12月18日)
「横田めぐみさんの遺骨」は別人のものと判明(2004/12/04-2004/12/10)(2004年12月11日)
イ・ヨンジュン『北朝鮮が核を発射する日』(2004年12月10日)
スパイ活動の指示を受けた脱北者が自首(2004/11/27-2004/12/03)(2004年12月 4日)

2004年12月26日

朝日新聞が人民日報の記事を削除

昨日書いた人民日報の件について、抗議のメールを送ったところ、返事が来た。「当該記事はアサヒ・コムには相応しくないと判断し、削除いたしました」とのことだ。

政党の機関紙と提携すること自体の問題は残っているのだが、さしあたっては良心ある対応と言える。たまには抗議もしてみるものである。

2004年12月25日

世界各地で中国大使館に対する一斉抗議行動(2004/12/18-2004/12/24)

12月22日、中国政府が北朝鮮難民を強制送還しつづけていることに対して世界各地で同時に抗議行動が行われた。アメリカのLiNK(Liberation in North Korea)という団体が呼びかけたものだ。東京での行動には増元照明さんも参加したようだ。拉致問題とは直接関係ないのに、頭が下がる。

中国の人民日報には脱北者を支援するNGOを「蛇頭」扱いにした記事が掲載された。朝日新聞のサイトにも転載されている。朝日新聞と人民日報は1999年に友好宣言を出しており、以後朝日新聞のサイトは人民日報の記事の一部を掲載しつづけている。国家権力から独立であるべきマスメディアが政党の機関紙と提携すること自体が問題なのだが、今回はその弊害がはっきりと出た。朝日新聞は中国政府の広報紙になりさがっている、と言わざるをえない。とりあえず、朝日新聞には抗議のメールを送ることにした。

2004年12月19日

李賢主『北朝鮮 断末魔の虫瞰図』

1997年から1999年にかけて、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の韓国代表として北朝鮮に滞在した外交官の手記。

半年前に書店で本書を見たとき、タイトルだけで「また脱北者が針小棒大に北朝鮮を批判した本が出たか」と思ってしまった。最近ある人からこの本を薦められて読み、最初の印象が間違いであることを知った。

KEDOの労働者が金正日の写真が掲載されている労働新聞を破ってしまい、問題になった事件のことが詳しく書かれている。北朝鮮側は最初「この事件は、北朝鮮の最高司令官を冒涜した行為に該当し、軽水炉事業の継続などとは比較できない深刻な事件である」と言い、新聞を破った者の引き渡しを要求した。しかし著者が「問題はかえってあなた方にあるんじゃないのか。そんなにたいそうな品物だったら、初めから新聞綴じに大切に綴じておくとか、写真を傷つけないように注意して読めとかいう注意書きを添えるべきじゃなかったのか」と指摘すると、北朝鮮側の人間が「その話はここだけで終わりにして、それ以上触れるな」と話を終わらせようとした。そこで著者が責任問題にふれないことを約束すると厳しい雰囲気が一変したという。北朝鮮側の人間は、金正日に対する冒涜そのものより、自分たちがその責任を問われることを一番恐れていたわけだ。

病院についてのエピソードもある。北朝鮮の労働者がKEDOで作業していて怪我をし、韓国側が運営する病院に運ばれてきた場合でも、「俺、我々の病院へ行きたいよ」と言って周囲を見回す。あとで北朝鮮の官吏が「あの野郎も事情をわかっているくせに、それでも政治行為で口走っただけだから、気を遣わないで、うまく治療してやってください」と頼んできたという。

また、北朝鮮の労働者たちは、韓国側が運営する食堂で飯を食うようになってから勤務態度が激変したという。面倒を起こして追放されたらうまい飯が食えなくなると判断したからではないか、と著者は推測する。

このような様々なエピソードにより、著者は北朝鮮の人々の二重性を明らかにする。公式のイデオロギーは絶対のものだが、人々の心を完全に支配しているわけではなく、表面を覆っているにすぎないわけだ。公的な場では攻撃的にふるまっても、私的な会話では穏やかに話すのだという。

本書にはミシェル・フーコーの権力論やエーリッヒ・フロムのファシズム論を使って北朝鮮の体制を理解しようと試みている章もある。しかし、上記のような様々なエピソードが描き出しているのは、理論通りの全体主義体制ではない。息の詰まる硬直した体制の下で、わずかでも呼吸できる空間を見つけようと努力する人々の姿だ。このことは、硬直した体制もいずれ変わるだろうという希望を与えてくれる。

出版:ビジネス社、2004年5月
推薦度:★★★★★

2004年12月18日

北朝鮮外務省が遺骨問題で「日本の極右勢力」を非難(2004/12/11-2004/12/17)

北朝鮮の外務省が「横田めぐみさんの遺骨」に関して「夫が自分の妻でもない別人の遺骨を日本側に手渡したということは想像だにできない」とし、経済制裁を主張する「日本の極右勢力」を非難する談話を発表した。不可解な談話だ。なぜ遺骨が別人のものだったのか分からないなら「夫」に問い質せばよい。

このことは、経済制裁が北朝鮮に対してすでに有効な圧力として機能していることを意味する。北朝鮮は経済制裁を避けたいなら何らかの措置を取らなければならない。しかし、日本政府が経済制裁をちらつかせるのは脅迫まがいのやり方であって、北朝鮮が核開発で周辺国を脅迫しているのと変わらない。やめるべきだ。

北朝鮮とは関係ないが、今週は一つ嬉しいニュースがあった。立川自衛隊監視テント村の活動で自衛隊官舎に反戦ビラを配り、逮捕された3名について、八王子地裁が無罪判決を下した。3名のうちには、当サイトの掲示板になんどか投稿してくれたことがある大洞俊之さんも含まれていた。内容的にも完全勝利と言っていい判決のようだ。

掲示板を廃止しました

掲示板を廃止し、投稿不可能にしました。ブログへの移行によって存在意義が薄れ、利用者もいなくなっていたためです。

今後はブログのコメントやトラックバックを御活用ください。

2004年12月11日

「横田めぐみさんの遺骨」は別人のものと判明(2004/12/04-2004/12/10)

日朝実務者協議で横田めぐみさんのものとして渡された遺骨が別人のものだということが分かった。めぐみさんの夫から受け取った遺骨がなぜ別人のものなのか、理解に苦しむ。

「救う会」は日本政府に対して改めて経済制裁を要求しており、北朝鮮産のアサリの不買運動も検討するという。

しかし、それでも私は経済制裁に賛成しない。

第一に、経済制裁は、効果があるとすれば一般の民衆に犠牲を強いるものになる。北朝鮮には飢餓に苦しんでいる人たちがまだ多く存在し、国際社会の援助が続いている。経済制裁は最後の命綱を切り、境界線上にある人たちを餓死へと追いやるかもしれない。もちろん拉致には関与していない人たちだ。経済制裁は八つ当たりにしかならない。

第二に、拉致問題を理由として日本単独で経済制裁を実行するのは、金正日政権を屈服させて残る拉致被害者を返還させることが目的だ。つまり日朝交渉のカードにすぎない。それで北朝鮮の体制が変わるわけではないし、拉致問題そのものの全面解決にもつながらない。拉致問題の全面解決は、拉致実行犯や主謀者の処罰、被害者への補償、再発防止策の徹底などを含む。日朝交渉の枠内ではとうてい望めない。

第三に、経済制裁は唯一の手段ではない。北朝鮮の体制変化がなければ拉致問題は全面解決しない、という観点に立つなら、アメリカで成立した北朝鮮人権法のほうが経済制裁より効果的だと言える。日本でも同様のものを作るべきだ。また、六ヶ国協議を拉致問題を含めた北朝鮮の人権問題を討議する場に変えるよう、外交的に努力することも考えるべきだ。最終的には北朝鮮を除いた五ヶ国が北朝鮮の「処分」を討議する場になればよい。

拉致問題は、難民、強制収容所、飢餓などといった北朝鮮のさまざまな問題の一つだ。広い枠組みの中で解決策を探っていくべきだと思う。

2004年12月10日

イ・ヨンジュン『北朝鮮が核を発射する日』

著者は1994年の米朝枠組み合意で設立された朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)で政策部長を務める人物。

北朝鮮の核開発について、著者は「核兵器の製造は時間の問題でしかない」という立場を取り、核開発能力を疑う説を退ける。そして、プルトニウムの再処理や濃縮ウランの製造工程が完了してしまったら核開発の監視は難しくなる、今が最後のチャンスだ、と訴える。

著者によれば、北朝鮮で核兵器の開発が始まったのは1979年頃で、アメリカの偵察衛星がその動きを探知したのは1982年。1989年、アメリカは1992年に濃縮プルトニウムの製造が行われる見通しだという事実をソ連、中国、韓国に知らせた。当時の韓国は盧泰愚政権。ソ連、中国、東欧など共産圏と国交を結ぶ一方、日本や欧米が北朝鮮と直接接触することは極力認めないことで、北朝鮮を南北対話に応じさせる、という北朝鮮包囲政策をとっていた。アメリカが北朝鮮の核開発の危険性を知らせても重要視せず、南北対話の枠内で解決しようとした。しかし1992年、アメリカが偵察衛星の写真を韓国政府に提供すると、南北対話よりも核問題のほうが優先課題となった。1993年にスタートした金泳三政権は、盧泰愚政権とは異なり、米朝協議による核問題の解決を求めた。厳しい危機を経て米朝は枠組み合意に至る。著者はこの合意の重要な問題点を指摘する。この合意は既に抽出されたプルトニウムに触れておらず、核兵器の製造を阻止できない、というのだ。この背景には、クリントン政権が核開発の事実究明よりも核兵器の中東への輸出の阻止を第一目標としていたことがあるという。

米朝枠組み合意については、各条項に関して米朝がどのように対応してきたかを具体的に検討している。例えば、軽水炉の建設が遅れた理由について、軽水炉供給協定の締結に予定の6ヶ月ではなくて14ヶ月かかったことや、特権取得・免除・通行・通信などに関する議定書の交渉に数年が費やされたことなどが挙げられている。重油の供給については、KEDOは2002年11月に中断を声明するまで約束通り供給した、と指摘。ときどき供給が遅れたのは北朝鮮に油類貯蔵施設が不足していたからだという。

著者は米朝枠組み合意の中で北朝鮮の最重要課題だったのは重油供給ではないかと推測する。軽水炉はIAEAの核査察を受けて核を放棄しなければ受け取れないことになっていたため、はじめから期待していなかったのではないかというのだ。それに対して重油は黙っていても受け取れる実利だった。

北朝鮮が2002年10月に高濃縮ウラン計画を認め、それを受けてアメリカが重油供給の停止を宣言したことで、枠組み合意は崩壊した。しかし著者によれば枠組み合意はいずれにせよ崩壊する運命にあった。枠組み合意では、北朝鮮はIAEAの核査察を受けなければ軽水炉の主要な原子力部品を受け取れないことになっている。しかし北朝鮮は軽水炉の建設が完成に近づいても核査察に応じる動きを見せなかったというのだ。

本書は北朝鮮の核問題の全体像を理解させてくれる優れた解説書だ。しかしタイトルの仰々しさは冷静な内容に相応しくない。どうして軍事に関する本にはいつも仰々しいタイトルがついてしまうのだろうか。

出版:PHP研究所、2004年12月
推薦度:★★★★★

2004年12月 4日

スパイ活動の指示を受けた脱北者が自首(2004/11/27-2004/12/03)

北朝鮮でスパイ活動の指示を受けた脱北者が韓国で自首するという事件が起こった。何かと引き換えにスパイ活動をやらされていたのか、確信犯なのかは分からない。二重スパイだったのかもしれない。いずれにせよ、これをきっかけに韓国で脱北者に対する偏見が強まったりしないことを願うだけだ。

「北朝鮮へUターンする脱北者たち 北朝鮮の抱擁政策も一助」という記事は、北朝鮮の脱北者に対する政策が融和的なものに変わった、と指摘している。しかし、本当に「抱擁政策」と呼ぶに値するものかどうかは怪しい。アムネスティ・インタナショナルは強制送還された脱北者が収容所に送られそうになっている状況に対して緊急行動を呼びかけている。