朝鮮民主主義研究センター

根拠薄弱な金正日悪者説(萩原遼『金正日 隠された戦争』)(2004年11月28日)
北朝鮮の穀物生産は良好、だが依然として食糧不足(2004/11/20-2004/11/26)(2004年11月27日)
金正日の肖像画が撤去?/日朝実務者協議(2004/11/13-2004/11/19)(2004年11月20日)
ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編『北朝鮮の人権』(2004年11月14日)
今週の北朝鮮(2004/11/06-2004/11/12)(2004年11月13日)
野村旗守編『日朝交渉「敗因」の研究』(2004年11月 7日)
今週の北朝鮮(2004/10/30-2004/11/05)(2004年11月 6日)

2004年11月28日

根拠薄弱な金正日悪者説(萩原遼『金正日 隠された戦争』)

北朝鮮でもっとも飢餓が深刻だったのは、金日成が死んだ直後の1995年から1997年にかけての時期だ。しかし、金日成の死と飢餓の発生を関連づける主張はあまりなかった。ソ連・東欧の体制崩壊に伴って援助性の強い取引が減ったことや、大規模な水害が発生したことを原因とするのが普通だ。それに対して萩原氏は、本書において、餓死は金正日による意図的な殺人だ、金日成はその障害となったために「除去」された、と主張している。

きっかけは1989年にルーマニアでチャウシェスクが処刑されたことだという。萩原氏は北朝鮮で中堅官僚だった脱北者から証言を得る。友好国の独裁者が処刑されたのを受けて金正日はこう言ったというのだ。「見ろ、チャウシェスクもこんなふうにペクソン(庶民)にやられたんだ。ペクソンが民乱をおこすとお前たちもこういうように絞首されるんだ」。そして、このとき金正日は敵対階層たる庶民との生死をかけた闘争を決意したのだろう、と推測する。

1991年から1992年にかけての時期、金日成は農業がうまくいっていないことに気づき、再建に乗りだしたという。重工業最優先の政策を農業と軽工業を優先する民生重視の路線に大転換した。しかし金正日は体制維持のために敵対階層の抹殺と軍事力の強化が必要だと考え、父の動きを冷やかに眺めていた。

1994年、金日成はカーター元米大統領と会談して核危機を一段落させ、さらに韓国の金泳三大統領との南北首脳会談を決めた。しかし、会談が実現すれば民生重視の路線に財政的な裏付けがついてしまう、と考えた金正日は反対した。7月6日の経済協議会では、金日成は火力発電所を早期に建設して農業を再建することを主張し、金正日は核開発の観点から原子力発電所の建設に固執した。その翌日に金日成は急死した。萩原氏は「金日成は7月7日に死ななければならなかったのである」と、金正日が金日成の死に関与したかのように書いている。

金日成が死んだ後、金正日はついに敵対階層抹殺計画を実行に移した、と萩原氏は論理をすすめる。食糧配給を断って人為的に飢饉を発生させた。とりわけ敵対階層が多い咸鏡北道をまっさきに切り捨てた。選別的食糧配給の実態はスー・ローツェ氏の論文に依拠して具体的に説明されている。スー・ローツェ氏は、世界食糧計画(WFP)による援助食糧の配給状況を調査するため、1996年に北朝鮮を訪問した。そして洪水被災者よりも大都市住民のほうが優先的に援助食糧を受け取っていることを発見した。例えば、慈江道煕川市に住む被災者は、慈江道全体の被災者の16.62パーセントにすぎないにもかかわらず、三回にわたって到着した援助食糧のうちそれぞれ47パーセント、20パーセント、31パーセントを受け取っていた。その一方で、洪水被災者のうちもっとももろい人びと(vulnerable people)に支援の的をしぼろうとする援助関係者の試みは妨害されたという。

萩原氏はさらに、アンドリュー・ナチオス氏の『北朝鮮 飢餓の真実』によって自説を補強しようと試みる。ナチオス氏はtriageという用語で北朝鮮の政策を説明した。triageとは、助からない患者を放置して助かりそうな患者を治療することだ。具体的には、北朝鮮政府は咸鏡北道や咸鏡南道を切り捨て、食糧供給を停止したという。しかし萩原氏はこれだけの説明では満足しない。北東部切り捨ての背後には敵対階層の抹殺という意図があった、と断定する。

餓死は金正日によって意図的に引き起こされた、という見解は、昨年出版された『拉致と核と餓死の国 北朝鮮』(文春新書)でも仮説として提示されていた。今回も仮説のままであり、証明はほとんどなされていない。

金正日はチャウシェスクの処刑をみて敵対階層の抹殺を決意した、というのが萩原氏の説の出発点だ。しかしその証拠として挙げられているのは金正日が反乱の恐怖を語ったという証言だけだ。それだけでは敵対階層の抹殺という政策があったことの証明にはならない。

体制に忠実な核心階層が優先的に援助食糧を受け取り、敵対階層が切り捨てられたとしても、それは人権も民主主義もない階級社会にとって当然のことと言える。triageと同等の判断だったとして正当化することさえ可能だ。選別的な食糧配給はただちに敵対階層の抹殺を意味するとは言えない。

金正日による金日成の「除去」については、萩原氏自身でさえ「金正日が金日成を殺した」という表現を避けている。民生重視の金日成路線と軍事偏重の金正日路線の対立が事実だとしても、それが金日成を殺す理由になるとはとうてい考えられない。そもそも金正日の権威は金日成に依存しているのだから、「除去」などという選択肢はありえない。

皮肉なことに、萩原氏は金正日を悪者に仕立てようとするあまり金日成を免罪することになっている。金日成は飢餓の発生を知って民生重視の政策を開始し、邪悪な計画を胸に秘めた息子に殺された、というわけだ。それならば金正日を「除去」すれば北朝鮮の問題は解決することになる。

だが、問題は金正日個人ではなくて北朝鮮の体制そのものにあることは明白だ。アマルティア・センが指摘したように、飢餓を適切に伝える自由な報道機関があり、政府に対して飢餓の解決を求める民主主義的な制度が存在するところでは、大量の餓死者が出ることはない。しかし北朝鮮では、飢餓の実態が適切に報道されたことは一度もなく、飢餓に苦しむ人々が政府や世界に対して問題の解決を訴える機会もなかったのだ。


出版:文藝春秋、2004年11月
推薦度:★★★

2004年11月27日

北朝鮮の穀物生産は良好、だが依然として食糧不足(2004/11/20-2004/11/26)

国連食糧農業機関(FAO)と世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情に関する報告書およびプレスリリースを発表した。北朝鮮の穀物生産量は423.5万トンで、過去10年間で最高。しかし需要に対して89.7万トン不足しており、輸入分を差し引いても49.7万トン足りない。また、コメの価格は昨年の120ウォンから600ウォンに、トウモロコシは110ウォンから320ウォンに上昇しており、子ども、女性、高齢者など社会的弱者の640万人が食糧援助を必要としている。

穀物生産が良好でも食糧不足が解消されないということは、食糧不足が災害によるものでも農業政策の失敗によるものでもないということを意味している。食糧価格の上昇が社会的弱者の生活を直撃しているということは、2002年7月の「経済管理改善措置」以降の市場経済の導入が失敗だったということを意味している。いま必要なのは単なる食糧援助ではない。北朝鮮経済の全面的な改革が必要だ。

2004年11月20日

金正日の肖像画が撤去?/日朝実務者協議(2004/11/13-2004/11/19)

ロシアのイタル・タス通信が、北朝鮮で公共の場所に掲げられている金正日の肖像画が一部で撤去された、と報じた。続いて、日本のラジオプレスが、朝鮮中央通信が金正日に対する「敬愛なる」という修飾語を省略した、と伝えた。しかし、どうやら北朝鮮の体制には何も変化がないようだ。個人崇拝の行き過ぎが是正されただけで、個人崇拝そのものが否定されたわけでは全くない。

北朝鮮内の50箇所で金日成・金正日を批判するビラが撒かれた、という産経新聞の報道もあった。ビラを撒いたのは黄ジャンヨプといっしょに韓国に亡命した金徳弘と接触のあるグループだという。しかし、受け取った人たちが何らかの行動をおこしたのでなければ意味がない。

肖像画の件にせよ、ビラの件にせよ、日本のメディアは小さな事件で騒ぎすぎる。振り回されないようにしたいものだ。

なお、毎週土曜に掲載していた「今週の北朝鮮」は、今週からタイトルを変えることにした。その週の主要なニュースをタイトルにする。

2004年11月14日

ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編『北朝鮮の人権』

北朝鮮の人権状況についての包括的な報告書。原書は1988年に出版されているが、その後に日本で出版された脱北者の手記に基づいて詳細な訳注が追加されており、事実上の増補版となっている。自由と平等、生命、拷問と非人道的処遇などといった項目ごとに、まず世界人権宣言の条文が示され、次に北朝鮮の法律が引用され、つづいて現実の状況が脱北者の証言などによって解説されている。

当然ながら、北朝鮮の人権状況が肯定的に評価されている項目はない。拷問に対する罰則規定がない、司法の独立が規定されていない、など、法律そのものに問題があるケースも指摘されている。

平等との関連では出身成分制度に注意が向けられる。強制収容所や拉致についても言及がある。1988年出版であるにもかかわらず地村さんや蓮池さんのケースが記されていることには驚く。「外国人の拘禁」という同じ項には日本人妻の問題も書かれている。

宗教の自由についての章で金日成崇拝が取りあげられていることには思わず笑ってしまう。「金日成崇拝は宗教の一部を成し、金日成の思想体系が、北朝鮮で唯一正当なものであると認められている。この無批判的かつ強制的な金日成崇拝は、あらゆる形態の組織化された宗教を抑圧し、北朝鮮国民の、思想と良心の自由の権利を侵している」ということだ。

巻末には1988年の刊行直前にミネソタ弁護士会国際人権委員会と北朝鮮国連大使との間で交換された手紙も収録されている。ミネソタ弁護士会国際人権委員会は、本書の内容に論評していただければできるだけ反映します、と申し入れた。それに対して北朝鮮の大使は「報告の内容は、我が国を中傷する虚偽とでっち上げに満ちた、歪んだもの」「朝鮮民主主義人民共和国において設立された社会主義制度は、人間の主権と尊厳に最高の価値を置き、社会の中のすべての者が人間に奉仕する最も進んだ制度です。それゆえ、『人権侵害』など行われておらず、考えられないことであることは至極当然なことです」と答えている。ミネソタ弁護士会国際人権委員会が何も修正する必要を感じなかったであろうことは容易に想像できる。

出版:連合出版、2004年10月
推薦度:★★★★★

2004年11月13日

今週の北朝鮮(2004/11/06-2004/11/12)

「『北朝鮮住民、相次ぎ金正日に反旗』 NYTが報じる」という朝鮮日報の記事の元ネタは、ドイツの週刊誌『シュピーゲル』に掲載されたAndreas Lorenzの記事だ。これをNew York Timesが転載し、朝鮮日報に紹介された。記事には1998年に北朝鮮の松林(ソンリム)で起こった労働者のデモの様子が伝えられている。

寒い二月の朝、黄海製鉄所の8人の管理職が公開処刑されたことに対する抗議が始まった。彼らの罪? 労働者とその家族に食糧を供給しようとして工場の資財を中国の商人に売ったことだ。当時松林の多くの住民が飢えていたが、崩壊した配給制度に頼らずに食糧を得ようとすることはサボタージュおよび反逆と見なされた。中国の貨物船が南浦港で松林宛の積み荷を下ろしたところでこの取引が露見した。8人が公開処刑されたとき、群衆の中の一人の女性が叫んだ。「彼らは私腹を肥やそうとしたのじゃなく、労働者を助けようとしたのよ。銃殺するなんてひどいわ」。この勇気ある女性は町でもっとも尊敬されている市民の一人だった。平壌の立派な病院で看護婦として働き、国の指導者たちの看護をしたことさえあった。しかしそのことは彼女を守ることにはならなかった。3人の兵士が彼女をつかまえてその場で銃殺した。群衆はおそれおののいて逃げ散った。しかし数時間後、製鉄所の労働者たちが職務を放棄した。平和的な抗議は短命だった。翌朝、戦車が工場の門を破って突入し、デモの参加者をなぎ倒した。目撃者によれば数百人が命を落とした。数日後、煽動の容疑をかけられた数十名が銃殺され、無数の「反革命」とその家族が収容所に送られた。

この事実はJasper Beckerが近いうちに出版する本で紹介されているらしい。1950年代の中国の飢餓に関して『ハングリー・ゴースト』という優れた本を書いたジャーナリストだ。

中央日報が報じている「民労『脱北者の救出は、北と中国への主権侵害』」という記事には呆れる。民主労働党の脱北者問題真相調査団が脱北者支援を「国外脱出ほう助行為に当たり、北朝鮮と中国の主権を侵害し内政に干渉する行為だ」と非難し、「政府は南北交流協力法を改正して、金品によって企画脱北を助長する彼らを厳罰に処すべきだ」と主張したという。民主労働党は左翼系の労組に支えられている政党のはずだが、これではまるで朝鮮労働党の南朝鮮支部だ。ここまでひどい政党になってしまったのかと思うと残念でならない。

2004年11月 7日

野村旗守編『日朝交渉「敗因」の研究』

今年5月の第二回日朝首脳会談で日本の対北朝鮮外交は敗北した、という観点に立ち、敗因を探る。

荒木和博氏の「小泉ジャパン"無法国家"にヤラれっ放しの致命的な理由」は、1960年に成立した自民党と社会党の「擬似連立政権」=「1960年体制」に問題の根源を求める。自民党は憲法改正による再軍備を放棄し、社会党は現実的政策をとらない「なんでも反対」の政党になった。拉致被害者は力によって取り返す以外ないのに、「1960年体制」ではそれができない、という。三浦小太郎氏の「自民党タカ派政治家は、なぜ強硬路線を貫けないのか?」は、対北朝鮮強硬派だった平沢勝栄の「転向」を追跡する。平沢は、武力行使や経済制裁によって金正日体制を崩壊に導くことができればよいが、それは現状では難しい、という認識から、対話路線へと変わっていったという。そして、荒木氏と同様に、強硬路線を貫く手段、つまり軍事力が日本にはないことを問題として指摘する。しかし、二回の首脳会談により、金正日に拉致を認めさせ、5人の拉致被害者とその家族を救い出したことは、救う会関係者の荒木氏や三浦氏にとっても誇るべき成果のはずだ。小泉政権に対する批判に気をとられすぎているように見える。三浦氏は日本に人権外交がないことを嘆いているが、拉致問題に関して小泉政権がやってきたことは人権外交そのものではないのか。

北野邦夫氏の「小泉・官邸も踊った『嘘』と『はったり』の研究」は、第二回日朝首脳会談に至る過程において北朝鮮から首相官邸に二つのルートで工作が行われたことを指摘する。若宮清と吉田猛のルートと、飯島勲と許宗萬のルートだ。吉田猛は北朝鮮の工作員、飯島勲と許宗萬を引き合わせたのは尹義重という工作員。いずれにしても工作員のルートで、首相官邸がこれに乗ってしまい、拉致被害者の家族と引き換えに経済制裁の放棄と人道援助の再開を約束することになったという。この論文は日本外交の敗因の研究という課題にもっともよく答えているように思える。

残念なのは米朝関係や南北関係をテーマにした論文がひとつもないことだ。六ヶ国協議の分析もない。これらの要素を無視して日本の外交を語れるはずはないのだが。


出版:宝島社、2004年12月
推薦度:★★★

2004年11月 6日

今週の北朝鮮(2004/10/30-2004/11/05)

アメリカの大統領選挙でブッシュが再選を決めた。今後もしばらくはイラクで一般市民が殺されつづけることになった。北朝鮮に関して言えば、六ヶ国協議の行方と北朝鮮人権法の運用が焦点になりそうだ。第一期のブッシュ政権は、北朝鮮を「悪の枢軸」に加えたり金正日を独裁者と非難したりするなど、口先では強硬派を装っていたが、実際には六ヶ国協議の対話路線に参加していた。しかし北朝鮮人権法は新しい要素になる可能性がある。北朝鮮の人権問題は現在の体制を変えなければ解決できないため、核問題と違って金正日政権の取引材料にはならないからだ。注目したい。