朝鮮民主主義研究センター

2004年11月28日

根拠薄弱な金正日悪者説(萩原遼『金正日 隠された戦争』)

北朝鮮でもっとも飢餓が深刻だったのは、金日成が死んだ直後の1995年から1997年にかけての時期だ。しかし、金日成の死と飢餓の発生を関連づける主張はあまりなかった。ソ連・東欧の体制崩壊に伴って援助性の強い取引が減ったことや、大規模な水害が発生したことを原因とするのが普通だ。それに対して萩原氏は、本書において、餓死は金正日による意図的な殺人だ、金日成はその障害となったために「除去」された、と主張している。

きっかけは1989年にルーマニアでチャウシェスクが処刑されたことだという。萩原氏は北朝鮮で中堅官僚だった脱北者から証言を得る。友好国の独裁者が処刑されたのを受けて金正日はこう言ったというのだ。「見ろ、チャウシェスクもこんなふうにペクソン(庶民)にやられたんだ。ペクソンが民乱をおこすとお前たちもこういうように絞首されるんだ」。そして、このとき金正日は敵対階層たる庶民との生死をかけた闘争を決意したのだろう、と推測する。

1991年から1992年にかけての時期、金日成は農業がうまくいっていないことに気づき、再建に乗りだしたという。重工業最優先の政策を農業と軽工業を優先する民生重視の路線に大転換した。しかし金正日は体制維持のために敵対階層の抹殺と軍事力の強化が必要だと考え、父の動きを冷やかに眺めていた。

1994年、金日成はカーター元米大統領と会談して核危機を一段落させ、さらに韓国の金泳三大統領との南北首脳会談を決めた。しかし、会談が実現すれば民生重視の路線に財政的な裏付けがついてしまう、と考えた金正日は反対した。7月6日の経済協議会では、金日成は火力発電所を早期に建設して農業を再建することを主張し、金正日は核開発の観点から原子力発電所の建設に固執した。その翌日に金日成は急死した。萩原氏は「金日成は7月7日に死ななければならなかったのである」と、金正日が金日成の死に関与したかのように書いている。

金日成が死んだ後、金正日はついに敵対階層抹殺計画を実行に移した、と萩原氏は論理をすすめる。食糧配給を断って人為的に飢饉を発生させた。とりわけ敵対階層が多い咸鏡北道をまっさきに切り捨てた。選別的食糧配給の実態はスー・ローツェ氏の論文に依拠して具体的に説明されている。スー・ローツェ氏は、世界食糧計画(WFP)による援助食糧の配給状況を調査するため、1996年に北朝鮮を訪問した。そして洪水被災者よりも大都市住民のほうが優先的に援助食糧を受け取っていることを発見した。例えば、慈江道煕川市に住む被災者は、慈江道全体の被災者の16.62パーセントにすぎないにもかかわらず、三回にわたって到着した援助食糧のうちそれぞれ47パーセント、20パーセント、31パーセントを受け取っていた。その一方で、洪水被災者のうちもっとももろい人びと(vulnerable people)に支援の的をしぼろうとする援助関係者の試みは妨害されたという。

萩原氏はさらに、アンドリュー・ナチオス氏の『北朝鮮 飢餓の真実』によって自説を補強しようと試みる。ナチオス氏はtriageという用語で北朝鮮の政策を説明した。triageとは、助からない患者を放置して助かりそうな患者を治療することだ。具体的には、北朝鮮政府は咸鏡北道や咸鏡南道を切り捨て、食糧供給を停止したという。しかし萩原氏はこれだけの説明では満足しない。北東部切り捨ての背後には敵対階層の抹殺という意図があった、と断定する。

餓死は金正日によって意図的に引き起こされた、という見解は、昨年出版された『拉致と核と餓死の国 北朝鮮』(文春新書)でも仮説として提示されていた。今回も仮説のままであり、証明はほとんどなされていない。

金正日はチャウシェスクの処刑をみて敵対階層の抹殺を決意した、というのが萩原氏の説の出発点だ。しかしその証拠として挙げられているのは金正日が反乱の恐怖を語ったという証言だけだ。それだけでは敵対階層の抹殺という政策があったことの証明にはならない。

体制に忠実な核心階層が優先的に援助食糧を受け取り、敵対階層が切り捨てられたとしても、それは人権も民主主義もない階級社会にとって当然のことと言える。triageと同等の判断だったとして正当化することさえ可能だ。選別的な食糧配給はただちに敵対階層の抹殺を意味するとは言えない。

金正日による金日成の「除去」については、萩原氏自身でさえ「金正日が金日成を殺した」という表現を避けている。民生重視の金日成路線と軍事偏重の金正日路線の対立が事実だとしても、それが金日成を殺す理由になるとはとうてい考えられない。そもそも金正日の権威は金日成に依存しているのだから、「除去」などという選択肢はありえない。

皮肉なことに、萩原氏は金正日を悪者に仕立てようとするあまり金日成を免罪することになっている。金日成は飢餓の発生を知って民生重視の政策を開始し、邪悪な計画を胸に秘めた息子に殺された、というわけだ。それならば金正日を「除去」すれば北朝鮮の問題は解決することになる。

だが、問題は金正日個人ではなくて北朝鮮の体制そのものにあることは明白だ。アマルティア・センが指摘したように、飢餓を適切に伝える自由な報道機関があり、政府に対して飢餓の解決を求める民主主義的な制度が存在するところでは、大量の餓死者が出ることはない。しかし北朝鮮では、飢餓の実態が適切に報道されたことは一度もなく、飢餓に苦しむ人々が政府や世界に対して問題の解決を訴える機会もなかったのだ。


出版:文藝春秋、2004年11月
推薦度:★★★

投稿者 kazhik : 2004年11月28日 09:58
コメント&トラックバック

 小池さん、ご無沙汰です。
 ご存知かもしれませんが、萩原遼さんが来年の1月15日に藤沢の市民集会で話すそうですよ(URL参照)。
 直接、議論してみるのも良いのでは?

Liberatorのコメント(2004年12月 3日 03:35)

御案内ありがとうございます。救う会神奈川、活発ですね。

藤沢は私の家からはちょっと遠いんですけど、萩原さんとはいずれ議論する機会があればと思っています。

kazhikのコメント(2004年12月 3日 06:55)

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